春一番の風が吹いてる

5月 2nd, 2010

春一番の風が吹いてる

映画『ウッドストック』が日本に上陸した頃、当時の人々が感じたのは、コマーシャルな音楽とは対極をなすロックやフォークの新しい時代の到来だった。 マイナーでアンダーグラウンドとされたものが、ニューヨーク州の田舎に数十万人を集めたことがどれほどの衝撃を与えたか… それは太平洋をまたいだ日本でも同じだった。映画が公開された70年頃から、各地でフェスティヴァルを夢見て、数多くの人たちが動き出したのも当然だろう。

そのひとつが大阪、天王寺野外音楽堂で始まった『春一番』だった。前身は70年に開催された『Be in Love Rock(ビー・イン・ラヴ・ロック)』という野外コンサートで、これが発展して71年に『春一番』と名付けられることになる。主催していたのは、関西フォークやロックの拠点となった大阪ミナミの喫茶店、『ディラン』。西岡恭蔵が『ディランにて』と歌ったその店に集まる音楽好きやミュージシャンがDIYで始めたのが、小さな、それでも「なにかが動き出していること」を雄弁に伝えてくれるこのフェスティヴァルだった。中心は福岡風太という人物で、『ディラン』のマスターだった大塚まさじや中川イサトといったミュージシャンもビラまきをするという形でこの祭りが始まっていたのだ。

実を言えば、fujirockers.orgを立ち上げた筆者も72年の春一番を体験したことが今につながっているのではないかと思うことがある。当時、自主制作盤という形で発売された10枚組のライヴ・アルバムがCD化されたとき、躊躇なくこれを購入したほど大きなインパクトを与えてくれたのがこの祭りだった。結局、翌年からは高校生スタッフとしてここに参加。コンサート会場に行ってはビラまきをしたり、当日は会場で雑用をやった体験を積んでいるのだ。特に印象に残っているのは74年で、これほどの規模でさえ「コマーシャリズムだ」と『春一番』を批判して、妨害をしに来た人たちがいたこと。『春一番ライブ’74』として残されたアルバムをよく聞いていると、そんな騒ぎが聞き取れるかもしれない。

あの頃、福岡風太と一緒にこのフェスティヴァルを動かしていたのは、前述の喫茶店、『ディラン』や宗右衛門町にあった画廊… というより、フリースペース、モリスフォームに集まっていた人々。まだ二十歳そこそこだった映画監督、井筒和幸もそこにいたし、同じ場所にたむろしていたのが後にソーバッド・レヴューという超ファンキーなバンドで歌うことになる漫才師のひとり、北京一だった。その他、当時の最先端を突っ走るデザイナーやアーティスト達が今も続くことになるとは思いもよらなかっただろう、『春一番』を作っていたのだ。

その主催者、福岡風太に数年前に会って話を伺っている。そのときも「昔からなんも変わってへんで。ビラ巻いて、必死にチケット売ってやってんねん」と『春一番』への思いを語ってくれたものだ。79年を最後にしばらくは開催されなかった『春一番』が1995年に復活し、今年は5月1日から5日まで5日間にもわたって開催されるようになっている。今頃こんなことを書いたところでどれほどの人が足を向けてくれるか全然わからないし、フジロックとは関係がないと思われる方もいるかもしれない。が、どこかで筆者が『春一番』を体験しなかったらフジロックに関わることもなかっただろうと思う。加えて、日本のフェスティヴァルの歴史を紐解くとき、欠かすことのできない存在が『春一番』だといって間違いはない。

通算25回目となる今年のラインナップはここに発表されているんだが、その素晴らしいこと。あの時代から今も活動を続ける古参から、新しい顔までをカバーしながら、『春一番』でしかない「祭り」を今年も作ってくれるに違いない。関西の方にはぜひ足を向けていただきたいと思う。すでに『春一番』のテーマ(『街行き村行き』に収録)を歌っていた西岡恭蔵は他界し、70年代の顔のような存在だった高田渡もこの世を去っている。が、彼らの残した歌が今も『春一番』のなかで脈々と生きているのを感じることができるはずだ。