• フジロック 苗場20th特別インタビュー「フジロックと苗場を繋ぐ人」大熊文弥さん編


    苗場でのフジロック開催が今年20回目の節目を迎えます。そこで今回、節目を迎えた苗場とフジロックを繋いでいる人たちにインタビューを敢行しました。20年という歳月を経て、苗場の人々が見ているフジロックの姿は一体どんなものなのか。そして苗場にやってくるフジロッカーに対しては、どんな思いなのでしょうか。第4回目のインタビューは苗場で美味しい和食をいただけるお店「つくし亭」の大熊 文弥さん(以下、文弥さん)。大将こと日高さんをはじめ、多くのフジロック関係者が訪れるお店です。海外スタッフからも愛されていて、フジロックでお馴染みのビッグ・ウィリーズ・バーレスクのドラマーのウィリーは毎年予約を入れているのだそう。そんなフジロック関係者御用達のお店を切り盛りする文弥さんに、お話を伺ってきました!

    Photo by Riho Kamimura

    Photo by Riho Kamimura

    ─ 初めて苗場でフジロックが開催されたときのことを教えてください。

    文弥さん:まず、苗場で開催することができたのは日高さんが直接、地元の人と何度も何度も話をしてくれたおかげだと思っています。月に1~2回くらいは苗場に来ていたと思いますよ。おひとりでいらっしゃることもありましたね。開催前には、97年の天神山、98年の豊洲でフジロックが開催されたときのお客さんについて、尾ひれが付いた噂もいろいろ聞いていましたが、実際に苗場でやってみたら全く違いましたね。会場の外にもゴミが落ちてないんですよ。地元の人たちも「あれ?聞いてた話と違うね」みたいな。お客さんのマナーが良くてびっくりしましたね。

    ─ お店にはフジロック関係者の方がよく訪れていますが、日高さんとの出会いはいつ頃だったのでしょうか?

    文弥さん:まだフジロックが苗場に移る前のある日、日高さんがスタッフさんと10人くらいでお店に来てくれました。「どうも日高です、よろしくお願いします」と。その当時はまだ若かったので、非常に爽やかでしたよ(笑)。その中にはジェイソン(スマッシュUK代表)もいたのですが、当時は外国の方がお店に来ることに慣れていなかったので、母が日高さんに「うちは和食なもんで、食べていただけるかどうか」と少し心配そうに話したところ、「そのまま出して欲しい」と言ってくれたんです。そのとき、焼き魚もお出ししたのですが、皆さんお箸で綺麗に食べてくれたのが印象的でした。

    ─ 今は海外の方も箸の使い方が上手でびっくりしますよね。

    文弥さん:その日、日高さんがお店を出る際に、母が「頑張ってくださいね」と、ひとこと声をかけたらしいのですが、日高さんはそれが非常に嬉しかったようで、今でも時々そのことを話してくれます。

    Photo by Riho Kamimura

    Photo by Riho Kamimura

    ─ 今年で苗場開催20回目を迎えますが、お客さんの変化についてどう感じていますか?

    文弥さん:高齢化しましたね(笑)。開催当初から参加している方を見ていると、粘りがなくなってきたなと(笑)。昔は、夜中の2~3時まで遊んでいた人たちが、今はもっと早く寝るようになって。

    ─ ははは(笑)。

    文弥さん:苗場での初年度から毎年お店に来てくれる常連さんがいて、最近はだいだい土曜日の21時頃いらっしゃるんです。やっぱり、腰をおろしてゆっくり休憩したいですもんね。それで、その方々がお店を出るときに「また会場に戻るの?」と聞くと、「いや、今日はもう宿に帰ります」と。そういう意味で、粘りがなくなってきたと思います。ちなみに、うちのお店で休憩した後、「今日はもういいかな」と諦めて宿に帰る人たちを「脱落組」と呼んでいます(笑)。楽しみたい気持ちと身体がついていかなくなってきてますよね(笑)。私らの世代あたりから50代くらいの人は、土曜日を境目に、どんどん体力が落ちてきているように見えます。

    ─ 自分のペースでゆっくり楽しむ人が増えたのでしょうね。

    文弥さん:会場内では無理せずゆったりと過ごしているみたいで、年相応の楽しみ方をしていますね。うちのお店に夕方に来て、日本酒を飲んで2時間程ゆっくり休憩しながら体力を温存して、また見たいアーティストの時間に会場に戻る、という方もいますよ。

    ─ 他にはどんなお客さんがいらっしゃいますか?

    文弥さん:結婚して家族が増えた方の中には、一緒に参加するのではなく、「自分のためのリセットの時間」として、家族は残してきて、昔一緒に来ていた仲間と遊ぶ、という方も結構いますね。年に一度のワガママということで、来る前に家族にはたくさん忖度してきていると思いますが(笑)。

    ジョー・ストラマーも!アーティストとの思い出

    Jason Mayall | Photo by Riho Kamimura

    Jason Mayall | Photo by Riho Kamimura

    ─ スマッシュUK代表のジェイソン率いるロンドン・チームも常連ですよね。

    文弥さん:そうですね。ジェイソンからは毎年、今年は何日の何時に何人という予約をもらって、メニューは任されています。ロンドン・チームの中で、誰がどんな食べ物が好きかというのはだいたい頭に入っているので満足してもらっているんじゃないかな、と思っています。ジェイソンとは公私共に仲良くしてもらっていて、家族に近い付き合いをしています。彼が苗場に来た際、予定していたところに泊まれなくなって、家に泊まりにきたこともあるんですよ。

    ─ アーティストとの印象的な思い出はありますか?

    文弥さん:ある年のフジロックで、夜10時頃に店を閉めようと父がドアに鍵をかけようとしていたときなんですけど、日高さんが、麦わら帽子にTシャツ、という釣りキチ三平スタイルでお店の前に立っていたことがあって(笑)。そのときに、初めてジョー・ストラマーと彼の家族も一緒に連れて来てくれたんです。「とても大切な友人だから、ぜひ、つくし亭に連れてきたかった」と言ってくれて。お店は閉めた後でしたが、そのとき作れるもので和食を楽しんでもらいました。あと、本当にありがたいなと思っているのは、ウィリー(ビッグ・ウィリーズ・バーレスクのドラマー)が「今年はこの日にライブがあるから」と、毎年6~7月頃に連絡をくれて必ずフジロックのライブ前後くらいにお店の予約をしてくれます。いつもバンドメンバーと来てくれますよ。海外の方にお刺身をはじめ、和食を楽しんで食べてもらえるのはやっぱり嬉しいですね。

    Big Willie’s Burlesque | Photo by 木場ヨシヒト

    Big Willie’s Burlesque | Photo by 木場ヨシヒト

    文弥さん:それから、特に嬉しかったウィリーとの思い出があるんです。フジロック中は、苗場食堂と自分の店の仕事があり、会場をゆっくり見ることはできないのですが、毎年の楽しみとして、日曜の夜、仕事が全て終わった後に大好きなパレス・オブ・ワンダーに行くんです。そこに行けば、ジェイソンやロンドンチームのスタッフにも絶対会えますし。ある年に嫁さんと会場に向かっていると、場外エリアでウィリーがうどんを食べていたので声をかけて3人で飲んでいたところ、横にいた女性2人組のお客さんがすごくはしゃぎ出して。どうやら彼の大ファンらしく、ウィリーが声をかけて5人で飲んでいました。

    ─ お客さんも喜んだでしょうね。

    文弥さん:そしたら、突然彼がいなくなったんです。この後、深夜にライブも控えているし、ホテルに休みに行ったのかなと思っていたら、10分後くらいにまた戻ってきて。そしたら、嫁さんに彼のCDをプレゼントしてくれて。うれしいサプライズでしたね!一緒にいた女性2人組のお客さんは羨ましそうに見ていたのですが、そこはさすがウィリー、ちゃんと彼女たちの分のCDも持ってきていてました。彼女たちは関西から来ていて、深夜1時くらいのツアーバスで帰らなくてはいけなかったのですが、最後に大好きなアーティストに偶然出会えて、さらに素敵なサプライズがあったものだから「私もう帰りたくなーい!!!」と言いながら、渋々バス乗り場へ向かって行きましたね。彼女たちにとって、きっとその年はすごく忘れられないフジロックになったと思います。

    苗場音楽突撃隊に加入!2013年の思い出

    Photo by 岡村直昭(写真左が文弥さん)

    Photo by 岡村直昭(写真左が文弥さん)

    ─ 文弥さんは、苗場音楽突撃隊で演奏されたことがありましたよね?どんなきっかけで演奏されたのでしょうか?

    文弥さん:2013年に初めて、苗場音楽突撃隊で苗場食堂のステージに出させてもらったんです。その年、いつものように日高さんが5月くらいにお店へ来たときに「とんでもなくバカなことを思いついたから、後でグリーンスター(苗場のペンション・現在閉館中)に来い」と呼び出されて(笑)。嫌な予感がするなぁ…と思って行ってみたら「今年、苗場音楽突撃隊で演奏しろ」と言われたんです。

    ─ 突然(笑)。

    文弥さん:でも、自分を見に来る人は絶対いないからお客さんにも申し訳ないし、と話したのですが「やるのか、やならいのか」と言われて。せっかくの貴重な機会なので最終的に「やります」と返事しました。出演が決まってから本番当日までの約2ヶ月は、ゆっくり眠れない日が続きましたよ(笑)。それで、フジロック直前にグリーンスターでリハをしたとき、日高さんがニコニコしながら「いいじゃねぇか!」と言ってくれたのでホッとしましたね。本番のステージが終わった後、楽屋でメンバーの皆さんと乾杯した時のビールは本当に美味しかったです。気持ち良かったですね。やっぱり、やって良かったなと。本当にすごく良い経験をさせてもらいました。

    ─ すごい経験ですよね。

    文弥さん:地元でたまたま楽器が弾けるということで、みんなが憧れているフジロックのステージに立つことができたのは、非常に素晴らしいことだと思います。私は今はもう出ていないのですが、これから地元の若い子の中に楽器ができる子がいたら、同じようにステージに立つチャンスがあればいいなと思っています。池畑さん(元ザ・ルースターズ / 苗場音楽突撃隊のドラマー)が本当に手厚く優しくフォローしてくれるので大丈夫ですよ。ちなみに、昔、日高さんに「グリーンステージで朝イチにやろう!」って言われたこともありますよ(笑)。日高さんが「俺がドラム叩くから、お前たち前でやれ」って。「いやいや、グリーンステージはありえないでしょ!」って(笑)。まぁ飲んでいたときの話ですけどね(笑)。もう10年以上前のことです。

    ─ 今、着ていらっしゃるTシャツはそのときのものですか?

    文弥さん:2013年の苗場音楽突撃隊のものです。かなり着こんでいるので、たいぶ汚れてきちゃっていますが(笑)。去年、池畑さんと飲んだときにこのにTシャツを見せたら、(汚れていて)可哀そうだからってことで、新しい2017年のTシャツをいただきました。

    Photo by Riho Kamimura

    Photo by Riho Kamimura

    ─ 今までのフジロックで大変だったことはありますか?

    文弥さん:やっぱり、2013年ですかね。昼間に苗場食堂をやって、夜はお店に入って、お店の後は日曜のライブの個人練習をして。翌朝、5時半から苗場食堂の仕事が入っていたときは、さすがに気が狂いそうになりましたよ(笑)。前日の深夜に苗場食堂を閉めた人から、車の鍵などを預からないといけなかったので、その人たちが深夜3時くらいに帰ってくるのをギターを弾いて待っていました。その後、朝5時半には会場に入っていましたから。

    ─ 最後にフジロッカーの皆さんに向けてひと言お願いします

    文弥さん:私の中では、とにかくまず、日高さんあってのフジロックだと思っています。日本では、これだけの野外規模でフェスティバルをやっているところってないんじゃないかと。それから、お客さんが楽しみながらもマナーを守ってくれているから、苗場で20年も続けられたんじゃないかなと思います。やっぱり、特別な空間ですよね。嫁さんの後輩も毎年本当に楽しみにしていて、それを見ていると、改めてフジロックってこんなにも楽しいんだと伝わってきます。みんな目がキラキラしてますもんね。だから、皆さんフジロックに来たら、全てを解放して思う存分楽しんで欲しいです!

    ─ 本日はありがとうございました。


    文弥さんの「日高さんあってのフジロック」という言葉は、前回、前々回のインタビューからも感じられたのではないでしょうか。筆者も、色々なフジロック関係者の方から話を聞いている中で、日高さんの無茶ぶり炸裂伝説をよく耳にします(笑い事じゃない方、すみません 笑)。そして、様々なところで色々な人たちが「むちゃくちゃやーん!!!」と言いながらも実現の為に動いているなと感じます。損得は抜きにして、たくさんの人たちの「この人のためならやってやるぞ」が、ギューっと詰まって今のフジロックがある、そんな気がしてきますね。その原動力の鍵は「来てくれるお客さんをとにかく楽しませよう」という日高さんのブレない姿勢があるからこそ、これだけ多くの人たちに愛されるフェスティバルになったのでしょう!

    Text by Eriko Kondo

    【関連リンク】
    フジロック 苗場20th特別インタビュー「フジロックと苗場を繋ぐ人」師田冨士男さん編
    フジロック 苗場20th特別インタビュー「フジロックと苗場を繋ぐ人」師田輝彦さん編
    フジロック 苗場20th特別インタビュー「フジロックと苗場を繋ぐ人」伊藤長三郎さん編

Fujirock Express
フジロック会場から最新レポートをお届け

フジロッカーズ・オルグ盤『フジロッカーズの歌』7インチアナログEP

フジロッカーズ・オルグ盤『フジロッカーズの歌』7インチアナログEP

bnr_recruit

bnr_recruit
PAGE TOP
301 Moved Permanently

301

Moved Permanently

The document has been permanently moved.