• フジロック 苗場20th特別インタビュー「フジロックと苗場を繋ぐ人」師田輝彦さん編


    苗場でのフジロック開催が今年20回目の節目を迎えます。そこで今回、節目を迎えた苗場とフジロックを繋いでいる人たちにインタビューを敢行しました。20年という歳月を経て、苗場の人々が見ているフジロックの姿は一体どんなものなのか。そして苗場にやってくるフジロッカーに対しては、どんな思いなのでしょうか。第2回目のインタビューは師田輝彦(もろた てるひこ)さん(以下、師田さん)です。師田さんは、苗場金六のツイッターでフジロックに関する情報を発信しながら、苗場食堂、そしてフジロックの森プロジェクト実行委員会の事務局員も行っています。フジロック愛に溢れる、たくさんの話を聞くことができました!

    師田輝彦さん | Photo by Masahiro Saito

    師田輝彦さん | Photo by Masahiro Saito

    フジロックが苗場にやってくる!そのとき地元は?

    ─ フジロックが苗場で開催されると決まったときのことを聞かせてください。

    師田さん:フジロックが初めて苗場に来るということになったとき、当時まだ全然歴史のないイベントなので「すごいロックな人たち、タトゥーやピアスや金髪だらけのヤバイ人たちがたくさん来る」という噂で当然、地元で反対の声もありました。それまでは学生さんの合宿しかない静かだった夏が、いきなり風変わりするかもしれないという不安もありました。でも、苗場はスキー観光以外にも新しい風を吹かす必要があるということで、当時、観光協会長だった叔父にあたる冨士男(師田冨士男氏)も、うちの親父も私も賛成しました。「やってみないとわからない、とりあえずやってみよう。ダメだったらダメで次考えよう。」と。でも、いざ来てみたら予想とは大きく違う状況だったんです。

    ─ 良い方向に、ですよね。

    師田さん:最初の噂だと、勝手に軒下に入って寝る人がいれば、町の中はゴミだらけだし、酷いことになると聞いていたのに、実際は町の中にゴミは無いわ、違法駐車は無いわ、聞いていたのとは全然違う!すごい良いイベントじゃないか、これは素晴らしいぞ!と。結果的に、それまで反対していた人たちは1年で手のひらを返して「是非、来年もフジロックを苗場で!」ということになりました。でも、当時自分はまだ東京にいて、フジロックの間だけ、苗場に帰ってきていたみたいな感じでした。

    ─ 当時はフジロックの時だけ手伝いで帰ってきていたということですか。

    師田さん:そうです。当時は舞台装飾やイベント関係の仕事をしていて、その仕事が軌道に乗って来たところでした。勤めていた会社の社長が若いころ、冬は苗場でスキースクールをやっていて、話がわかる人だったんです。その社長が「お前の生活、よくわかるよ。半年でも良いからウチにいてくれ!」って言われて、夏はフジロックで苗場に帰って来て、それ以外の期間はその会社で働いていました。フジロックが苗場で始まった時も、イベントの会社をやっていたので、すんなり入っていけました。始まった年は、当時苗場食堂はなくて、前身のお店で肉くらいしか売っていなかったんですが、その手伝いなどをしていました。

    準備中の苗場食堂にて | Photo by Natsumi Arakawa

    準備中の苗場食堂にて | Photo by Natsumi Arakawa

    師田さん:8年前に結婚して苗場に戻って来て、当然(地元の)色々な組織に引っ張り込まれるわけです。それで、まず観光協会に入りました。どういう運営体制か、わかっていなかったので、いろいろと話を聞きながらだったんですけど、大切なことは、地元も先頭に立ってフジロックをサポートするということでした。その時はすでに苗場食堂もあったので、どのようなメニュー構成にしていくのかとか、どういう準備が必要なのかとか?そういったこともやっていました。

    フジロックが苗場の春夏秋冬を伝えるきっかけになった

    フジロックの森プロジェクト・ブース | Photo by リン

    フジロックの森プロジェクト・ブース | Photo by リン

    師田さん:そして、2011年にフジロックの森プロジェクトが立ち上がったんです。それまでは観光協会は、あくまで(SMASHの)後方支援の立場だったんですが、会場の整備もしていくことになりました。それで、ボードウォークを核として、森の整備をしていくこともやり始めたんです。

    ─ 具体的にはどんなことでしょうか?

    師田さん:フジロックの会場として使っている場所=森なので、森と音楽の共存を一つのテーマとして、森林を伐採せずに観光資源として開発していくというスタンスで始まったんです。元々は保全活動だったんですが、森を保全しながら人間もその中で、一つの観光資源として共存していくという形をとったのがフジロックの森プロジェクトだったんです。その流れで、ボードウォーク整備も始めて、観光協会としてSMASHさんともお付き合いしながら、こっちで準備・整備していこうと。それが今に至る感じです。フジロックの森プロジェクトを始めて、その中でフジロックとスキー場に来る色々なお客さんの話を聞いていると、冬は冬のお客さんで、夏は夏のお客さんで、両方来るお客さんは少ないんです。

    ─ スキーはスキーで、フジロックはフジロックだけ、という。

    師田さん:そうなんです。冬はスキーに来て、夏はフジロックに来るという人は、実はとても少なくて。スキーヤーで、今でも「フジロックって苗場でやっていたんだ?」っていう人もいますしね。「フジロックという名前は知っている、ただ、名前にフジってついているから、やっぱり富士山方面でやっているのかな」って。

    雪のグリーン・ステージ | Photo by アリモトシンヤ

    雪のグリーン・ステージ | Photo by アリモトシンヤ

    ─ まだ、そういう人がいるんですね。

    師田さん:そうなんです。でも、フジロックを入り口にして(開催期間以外でも)苗場を訪れてくれる人も増えましたし、逆にスキー客の人がフジロックを知ってくれることにもつながっています。「冬だけじゃなくて、夏は夏でこんなイベントがあって、春は春で山菜が採れて、秋は紅葉が綺麗です。一年中楽しむことができるんです!」ってプロモーションをする入り口になれたというのがフジロックに対する感謝なんです。スキーって、スキーやる人しか興味ないじゃないですか?でも、音楽って世界中の人が愛しているので、音楽という媒体を通じて世界中に地名やイベント、全体的なものを発信できるという、音楽というものがあって世界中に発信できる、っていうのが地域として一番大きいんです。「フジロックってどこで開催しているの?苗場か…苗場ってどんなところ?」っていう疑問から、苗場って季節によって色々あるじゃないかって繋がっていったことが、この20年で一番大きいと正直感じていますね。

    ─ 色々な形で興味を持ってもらえて、また苗場に行こう!という人が増えていけば嬉しいですよね。

    師田さん:そうですね。例えばフジロックに来た人が「秋の苗場も良いよね」とか「冬も一回来てみようか」とか、色々なところから情報をキャッチして、シーズンを問わずに来てくれるようになれば素晴らしいですね。フジロックに来てくれた人が、冬にも来てくれるケースが増えてきたんです。やっぱり、もともとスキー場なので、夏も良いけど冬もって人が増えているんです。

    ドラゴンドラから見える紅葉 | Photo by アリモトシンヤ

    ドラゴンドラから見える紅葉 | Photo by アリモトシンヤ

    師田さん:どっぷりはまったフジロッカーの人って1年待てない方が多いですよね。終わってから次のカウントダウンを始めている人もいて。苗場はいつでも来れる場所なんで、よかったら季節問わず遊びに来てもらいたいですね。色々な方に色々な季節に来てもらうためには、環境整備や準備をこちらもしておかなければいけないので、紅葉営業ならプリンスがドラゴンドラの営業をやっていますが、どういった紅葉でどう綺麗なのかって発信していかなければいけないし。冬は冬でスキーをした時に「ここってキャンプサイトで俺たちテント張っていた場所だ!」って。キャンプサイトって冬場はゲレンデじゃないですか「木曜日の朝に走って陣取った場所がここですよ」って。違う角度で楽しんでもらえればと。リフトを使ったらこんなに登るの楽なんだとか。そういった、別の視点から見ると見える景色も変わって来るので、そういったところも今後色々な人に楽しんでもらえれば嬉しいなと思います。

     

    次ページへ:フジロック愛に溢れる苗場金六ツイッターについて聞いてみました。

     

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