フジロック 苗場20th特別インタビュー「フジロックと苗場を繋ぐ人」伊藤長三郎さん編
- 2018/05/28 ● Interview
フジロックの環境を支えるボードウォークの活動について
─ ちょうさんはボードウォークのお手伝いもしていますが、最初の頃から参加されているのですか?
ちょうさん:実は冬の旅館業だけじゃ食べていけないから、それ以外の時期は山の仕事を何十年とやっていたんだ。その経験があるから、ボードウォークの活動が始まった頃に自分も何か協力できるんじゃないかなと思って、出られる範囲は出ようと思ったんだ。
─ ボードウォークも工程が色々変わったとお聞きしました。
ちょうさん:考えて作り方を変えたんだよ。昔の木の組み方は土台を地べた近くに作っていて、土台が悪くなったらそれごと変えるということをしていたんだ。作ってるときは綺麗でいいんだけど、どうしても雪で押されたり、木が腐って来たりすると不安定になってしまうので、その作り方をやめたんだ。しかも作業効率が悪いってことで改善を重ねて、今の構築の方法に至っているんだ。
─ チェーンソーを使ったり、ボランティアの方もだんだんとプロっぽくなってる人もいますよね。
ちょうさん:そうだね。ただチェンソーってのは危ない機械なので、誰かが使っているのを私がきちんと見て、作業者の安全とか作業効率をみて管理をしています。
─ 地元の皆さんはどういった心境でフジロックを迎えていますか?
ちょうさん:これは個人的な意見だけど、ミュージシャンとか音楽が好きな人はワクワク感はあるかもしれない。だけどその期間は宿屋の人たちは色々心配で寝られなくて、宿から出るのも大変。だけど私は好きなアーティストがいたらいっちゃうけど。みんなはここぞとばかりに、宿屋の腕の見せ所と思っていることが多いんじゃないのかな(笑)。
苗場の人たちもびっくり!フジロッカーの体力!! お客さんの変化とは
徳子さん:そういえば私、ようやく3年くらい前に初めてフジロックの会場にいったんですよ。自分の足で初めて歩いた時「お客さん、ここまで歩くんだ!!」って感心しましたよ(笑)。
─ 見たかったら歩くしかないって感じです(笑)。
徳子さん:びっくりした、本当に。それを4日間、まぁ前夜祭はないけど、3日間ってのは。最初の頃は苗場の環境とか下準備の情報とかが浸透してないから、お客さんもあんまり装備が整ってなかったんだよね。宿に帰ってくる頃にはみんな泥だらけで「どういうところ歩いてるの?」ってずっと不思議だった(笑)。 お客さんが私に会場を説明するんだけど、こっちとしては「どうやってあそこまで歩いていくの?」と思っていて、当時はまだボードウォークもなかったし。だから、ぐちゃぐちゃなところを歩いたんだろうなぁ、と。「お疲れさま!」って感じ(笑)。それで時が経つにつれて、装備もしっかりしていってその変化もすごいと思った。
─ 毎年、お客さんの装備もパワーアップしていますよね。
徳子さん:今はだいぶ事前の準備情報がネットに掲載されるようになったけど、最初の頃はなかったじゃないですか。みなさん手探りでやってたような感じ。だけど、その中でも変わらないのが海外のお客さん。半袖・短パンで(笑)宿を出る時にこっちが「それでいくの?!」って聞いたら「No Problem」って。「は〜!すごい」みたいな。まぁ楽しんだようで、喜んで帰ってくるけど。あと、たまに朝方に「すいません、そこに女の子が横たわって寝てるのか、どうなっているのかわかんないんですけど…」っていう報告があって、「えー!」と思って行ったら、海外の方がドーンと寝てたりとかして(笑)。色々そういうのはあるけど、あれだけの人が集まって大きい事故がないっていうのは本当に素晴らしいことだと思います。参加するお客さんの意識が高いんだなぁ、と。
徳子さん:多くの人が集まって、暑くてという状況なのにみんなの気持ちが高ぶり過ぎずに、危ないこととか、ゴミはちゃんと捨てようとか、なんとなく落ち着いていられるのは苗場の環境が影響してるんじゃないかな、と思っているんです。自然に囲まれてる苗場だから、日陰でクールダウンできるしね、そういった環境がいいんじゃないかな。今年もラインナップが出てきたので、交代で行けるようにみんなで話をしているんです。
─ この前、苗場で偶然ちょうさんとすれ違ったら、嬉しそうに「ボブ・ディラン決まったじゃないか!」と(笑)。
徳子さん:あの年代はね。近所の人もいつも行かないんだけど「ボブ・ディランって聞いたからチケット買おうと思うんだけど」って言ってて(笑)。
─ 観光協会にも70代くらいの方からの問い合わせが増えているそうですよ。
徳子さん:まさか生きているうちにボブ・ディランの生の顔が見れるなんてね。わたしはドンピシャの世代ではないけれど、フォークとかそういう流れで聞いたりはしてて「いいなぁ」とは思ってたけど。同じ世代の方から「一人で来たい」って問い合わせも来てますよ。
─ 今年のフジロック、いろんな世代の方が参加されるかも知れませんね。
徳子さん:そうですよね。家族連れも増えたしね。あと新潟の鼓童が出るのも楽しみですね。
フジロックがもたらした人と人との繋がり
─ 宿の仕事をしながら、フジロックで楽しみにしてることはありますか?
徳子さん:うちの場合、フジロック開催時から宿泊した方がずっとリピートして来てくださっているので、最初は20代だった子が、30代後半になっていて、年に一回の再会というのがすごく嬉しいですね。だんだん年を重ねていくと「今年はこういうのが出るから見に行った方がいいよ!」とかお客さんが教えてくれたり。私はパッと見てもカタカナの方と日本の方しかわからないので、お客さんにオススメを聞いたりして、それもすごく刺激的ですね。
─ なかなか20年来の付き合いを作るのって難しいですよね。
徳子さん:そうそう。冬場で40年来のお付き合いっていうのはあるけど、まさか夏でも同じようになるなんて。音楽で人と繋がっていくということは宿を始めた当初は想像もしてなかった。単発のイベントはあったとしても、そういったイベントが続くっていうのはすごいなぁ、と。
─ ここまで続いてるのは苗場の人の力があってこそ、と思っています。
徳子さん:日高さんが一番ですね。日高さんがいなかったら続くってことも考えられなかった。みんなが最初からフジロックを受け入れていたわけじゃないけど、その中でも頑張っている人たちの姿を見てきて、今でもこの苗場にフジロックっていうものがあれだけの人数を招いてくれている。大げさに言えば 「苗場の人たちの人生に、何か大きいものを持って来てくれた」じゃないですけど、そういうのは本当に毎年感じています。
ちょうさん:フジロックは楽しみというより感謝しかないな。フジロックというイベントよりは、フジロックという一つのきっかけを通して日高さんとの関係ができたり、町の人たちの成長を見れたことが嬉しい。この前もグラストンバリー・フェスティバルの視察の話をいただいたけど、そのときも日高さんから「若い人を育てていこう」っていう思いを聞いて、それはフジロックのために育てていこうとは思っていなくて、苗場の若い人たちを育てて、何かに繋げて欲しいと思っていると私は受け取っている。そういうきっかけがあることが嬉しいね。
─ 最後に読者へメッセージをお願いします。
ちょうさん:今年はボブ・ディランがくるということで、俺らの世代はカリスマ的だったからね、個人的には楽しみ。ノーベル賞の授賞式にも出席しなかったのに、苗場には来てくれる。これはもうね、若い子にも見て欲しいよ。多分、彼の奥底っていうのはさ、若い子にはわからないかもしれないけど、フォークソングってことでメッセージを伝えたりする時代に生きてたからさ、もうこの時間は贅沢な時間になると思うよ!
徳子さん:今年は見に行くアーティストを何で決めようか?ジャンケンでもして決めようかね!
─ 本日はありがとうございました。
フジロック開催前の過去の話から、フジロック記念館をいつか苗場に…という未来の話まで飛び出し、今後の苗場の姿を想像することができたのではないでしょうか?日高さんの言葉をしっかり受け止め、フジロックだけではない、苗場の未来の為に活動をされています。ちょうさん・徳子さんご夫婦は、フジロッカーと共に成長していく苗場の姿を、ありのまま話してくださいました。そして「ボブ・ディランを若い子にも見てほしい!」という熱い想いを感じることができました。フジロック最終日、どのライブを見るか迷った時は、是非ボブ・ディランを!!
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