4年ぶりの開催への思い 朝霧JAMS’インタビュー コアメンバー編
- 2022/11/21 ● Interview
2022年、ついにこの日がやって来ました。
「やっと。」
この一言に込められた思いや、これまでの経過を、朝霧JAMS’コアメンバーの3名の方から伺いました。台風や新型コロナウィルスでの中止を乗り越え、4年ぶりの開催となった、節目のインタビューです。
朝霧JAMS’ コアメンバーから
・代表 堀内 潤さん(写真中)
・田邊 元裕さん 通称〝もっち〟(写真左)
・田島 孝之さん 通称〝たじー〟(写真右)
─ 今年は、4年ぶりの開催という事で、朝霧JAMS’さんにお話を伺いたいと思い、お声をかけさせて頂きました。お忙しいところ、ありがとうございます。まずは、スタッフもお客さんも、〝待ちに待った〟朝霧JAMだと思います。率直に、今の思いはいかがでしょうか。
堀内「やっと、という感じです。」
─ その一言ですね。きっと、多くの方がこの日を待っていたと思います。
堀内「台風で中止となって、コロナの影響でさらに中止が続いて、本当に色々なことがありました。でもやっぱり、ここの風景は変わらないんです。」
─ 大事な、この朝霧という場所ですね。
堀内「富士山があって、ステージがあって、たくさんのテントが並んでいて。あぁ、こうだったな。と、みんなが思い出すんですね。」
─ 記憶と感覚はすぐに蘇ってきますね。4年ぶりに、ついに帰って来ました。
堀内「色々な思いはありますが、こうしてまたスタートできたことを、本当に嬉しく思っています。」
─ 過去にもJAMS’さんにお話を伺った事がありましたよね。
堀内「そうでしたね。2018年にも、当時の代表がインタビューを受けたんですよね。」
─ 前回のインタビューから、もう4年も経つのですね。今年の朝霧JAMは中止が続いた後の再始動となりますが、スタッフの担当部署はどのように配置されていますか?
堀内「JAMS’はキッズランド、朝霧ランド、ボランティア受付と整理班、環境班、それと、今年はないのですが、救護班となっていて、現在は各部署に5名前後の配置で分かれていますね。」
田邊「整理班が一番人数が多いですね。」
─ 例年だと200人くらいのボランティアの方が参加されているとの事ですが、今年はスタッフ人数が少ないと伺いました。実際は、どれくらいの人数が参加されたのですか?
堀内「今年は子供も含めて140人で、実際にボランティアで動けるのは124人でした。」
─ 例年よりだいぶ人数が減っていますが、それでも9月にボランティアの募集を締め切られていますね。
堀内「募集期間を2回延長したのですが、今回は応募が少なかったです。やはり、開催していない3年は大きいですね。2018年まで参加していた人も、3年間で生活環境は変わって行きます。この3年で、本来なら獲得できたであろう人や、初めて携わる人もいたと思いますが、今回はそれができませんでした。例年ですとリピーターの方も多いのですが、今年はあまり集まらなかったです。その中でも、初めて当ボラ(当日ボランティア)として参加する人はいつもよりも多く、半数よりちょっと欠けるくらいの人数はいました。フジロックはどうでしたか?」
─ 2021年のフジロックは、来場者数は例年より少なかったですね。お客さんに声をかけてフジロックに来た理由を聞いてみると、「今年は人数が少ないから来た」という方もいらっしゃいました。
堀内「私も2021年のフジロックに行きましたが、なんとなくいつもと客層が少し違うなという印象を持ちました。外国人アーティストの出演がなかったせいなのか、お客さんの年齢層も低いなと感じました。」
─ 確かにそうですね。出演者が国内アーティストのみであったり、コロナが進行中でしたので、行きたいけど参加を断念したという人も多いと思います。コロナがもたらす影響は、客層に変化を来したという事も、否定できないですね。今年はボランティアのリピーターが少なく、新しいスタッフが増えたという事で、業務内容の伝達方法などに変化はありましたか?
堀内「いつもは、開催前に現地説明会を行っています。それで、例年なら研修の後に懇親会としてバーベキューをしていまして、そこでコミュニケーションが取れて、メンバー達も仲良くなっていきます。しかし、今年はコロナの影響もあったので、懇親会は行いませんでした。コロナ対策として中止にしたのですが、ボランティア同士の繋がるきっかけを減らしてしまいました。」
─ コロナ対策を優先してしまうと、大事なスタッフの交流の場を減らす事になり、優先事項を判断するのも難しいですね。3回も連続して中止となってしまうと、気持ちの面でも影響が大きいのではないでしょうか。
堀内「JAMS’としては、開催していない時期にスタッフの士気が下がらないように、いかに維持するかを考えました。もう、本当に心が折れそうでした。それでも、なんとか開催できたので、来年以降も、進化し続けて行きたいと思っています。ここに来てくれた皆さんに、楽しんで欲しいなと思っています。」
─ 中止の期間中、相当なご苦労があったのですね。来年以降も変化し続けるという点では、何か取り組みをされているのですか?
堀内「今年は制作メンバーがインスタグラムを活用して、情報を発信しました。今後はYoutubeでも発信する予定なので、これからも朝霧JAMS’をアピールしていきたいですね。」
─ インスタグラムやYouTubeで発信ができたら見る方も多いと思うので、反響はありそうですね。SNSでの発信を行うとなると、客層のターゲットは絞っているのですか?
堀内「若い人に興味を持ってもらいたいですね。朝霧には全国から集まるフェスがあるという事を、もっと知ってもらえるようにしたいです。それから、地元の人に認知されるまで時間はかかっていますが、少しずつ埋めて行きたいです。まだまだ、努力が足りないところもあると感じています。」
─ 更なる情報発信と、地元への周知拡大。これまでの経験で見えてきた課題ですね。
堀内「SNSに関しては、以前は制作スタッフに丸投げ状態だったのですが、今年は開催前に勉強会を行い、JAMS’みんなが投稿できるようにしました。手探りではあったけど、面白い試みでした。」
─ 私達もSNSを拝見しました。今では情報収集のツールとしてもSNSは便利なので、活用できますね。
堀内「毎年フジロックでも朝霧食堂を出店していまして、朝霧のメンバーも参加してPRブースで情報を発信しています。これはフジロックでの出店がきっかけで始まりました。」
─ 朝霧食堂!私達も毎年食べに行っています。ぐるぐるウインナーもシチューも、美味しいですよね。フジロックでPRできると、反響も大きいでしょうね。
田島「そうですね。今までは自分達の活動の情報発信を積極的に取り組んでおらず、一部の部署のみが行っていました。それを今年はコアスタッフが投稿するようになったので、結果的に功を奏したのではないかと思っています。」
─ 今年の新しいスタッフは、SNSを見て応募された方も多いのではないでしょうか?
堀内「朝霧のフライヤーを作成して、富士宮やコアスタッフの知り合いの店に置かせてもらいました。それを見たきっかけで参加した人もいます。今年は愛知県からフライヤーを見て来た女性もいました。他は横浜とか地元以外の方も参加しています。」
田邊「愛知の方がSNSではなくてフライヤーがきっかけとは、すごいですよね。」
堀内「人数は少ないですが、SNSをきっかけに参加された方もいます。もしSNSで発信しなかったら、その人達の参加もなかったですね。きっと、効果はあったと思います。」
─ SNSの効果もあって新しいスタッフが増えたそうですが、皆さんはスタッフになるきっかけはあったのですか?
田邊「僕は0回目から参加しています!」
─ ゼロ回目ですか!?ということは、朝霧JAMが始まる前から関わってらっしゃるんですか?
田邊「日高さんが会場を探していた1997〜98年頃、朝霧JAM実行委員長の秋鹿さんと日高さんが出会って、2000年頃に朝霧の話が持ち上がりました。その年、20人くらいの有志で苗場にフジロックの視察に行き、僕も当時25歳で一緒に参加しました。」
─ そうでしたか。朝霧JAMの歴史と共に歩んで来られたのですね。
田邊「はい。視察では、こんな新しい文化があるんだと初めて知ったんです。今までのコンサートは文化会館で椅子に座って大人しく聴くというようなイメージが強かったから、カルチャーショックでしたね。」
─ そうですね。確かに、当時は野外フェスが今ほどない頃でしたね。
田邊「その頃はフェスブームとなる前でした。フジロックのお客さん数万人がもし富士宮に来てくれたら、富士山や地元のグルメなど、良いところを知ってもらえる良い機会になりますし、未来が拓けるなと、当時の先輩達も僕ら若い衆も、目が開きました。」
─ 未来が拓けると思うと、わくわくしますね。それからずっとJAMS’メンバーとして活動されているのですか?
田邊「そうですね。日高さんと秋鹿さんの熱量も凄かったんです。「今まで見たことのない風景を創るんだ」と二人は意気投合して、地元の仲間の繋がりで声をかけてもらいました。実は僕の父と秋鹿さんが友達ということもあって、世代を越えた声かけがあり、地域で新しい風景を地元で見ようと、希望に満ちた第1回の開催でした。その時に富士山のロケーションを見た瞬間は、本当に大感動しました。」
─ 記念すべき第1回目ですね。見慣れているはずの富士山に、改めて大感動ですね。
田邊「半信半疑で経験も自信もない一年目は、お客さんが2、3000人くらいでステージも一つでした。2日間の開催ですが、同じアーティストが出演したりとロースタートで。地元を知ってもらうため、地元の食材のお店を2、30店舗集めて提供して来ました。今年はコロナの対策として、20店舗に減らしています。
─ ゼロから切り開いて始まったという歴史もありますし、朝霧JAMS’さんは地元を大切にされていらっしゃるという印象を持ちます。
田邊「そうですね。地元の人達もやる気がみなぎっていて、「一年に一度のお祭りだ!」と、ボランティアを通じて地域の皆さんが元気になっているのを感じています。縦と横の繋がりに誇りを持って取り組んでいます。」
─ 縦と横の繋がり、いいですね。
堀内「僕らは正直、〝おじさん〟チームなんですよ。」
田邊「20年も経つと、親子2、3世代と変わって来ますよね。今はスタッフの子供が、受付を手伝ってくれています。これからも、良いものを発信して行きたいですね。」
─ 親世代から子へ、未来に朝霧JAMを繋げて行くのですね。今年はコロナの影響が大きく、懇親会を中止したり全体のスタッフ人数が減っていたりと、例年通りには行かなかったと思います。その上で、4年ぶりに開催することができて、どのように感じられましたか?
堀内「参加したボランティアスタッフからは、「ようやく朝霧が復活したね」という声が多く聞かれました。開催できて、ほっとしているというのが本音ですね。」
─ 私達も、こうして朝霧に来られた事を嬉しく思います。最後に、朝霧への思いを、メッセージに書いて頂けますか?
「笑顔と元気のおもてなし 再び!! 2022 ようこそ朝霧JAMへ」
─ 書いてくださったメッセージは、朝霧JAMの合言葉ですね。3年の時を経て復活することができて、本当によかったです。本日はお忙しい中お時間を頂きまして、ありがとうございました。
初の開催から20年が経過して、当時のスタッフは当然ながら年齢を重ねて行き、今ではその次の世代の方々へと繋いでいく。地元富士宮市だけではなく、他県からの参加も受け入れ、皆で創っていく朝霧JAMS’は、人と人との関わりを大切にされているチームなんだと、お話を伺う中で感じました。〝縦と横の繋がりに誇りを持つ〟という姿勢は、20年の歩みが教えてくれた財産なのではないでしょうか。
台風やコロナの影響で開催できず、4年ぶりとなった2022年の朝霧JAMは、スタッフの方々も、お客さんも、この場所に来れたという、安堵にも似た思いを抱いたことでしょう。リピーターも、初めての方も。
インタビューを始めて間もなく、堀内代表が私達の問いに返してくれた「やっと。」の一言に、さまざまな思いが凝縮されていると感じました。毎年積み重ねてきた実績が途中で一度止まるということが、どれほどのことなのか。一言では言い表せないほどのご苦労があったことと思います。子どもも大人も楽しく過ごすその笑顔のために、それぞれの役割を担い、皆で朝霧JAMを創っていることを、インタビューを通して、改めて知る事ができました。
<朝霧JAMS’ と応援スタッフの皆さん>
「一期一会」
「笑顔と元気のおもてなし」
「来た時よりも美しく!!!キレイな朝霧JAMがずっと続きますように・・・ かんきょう班 たまちゃん よっちゃん ももすけ」
「息子の高校卒業を前に親子フェス参加を卒業します。念願の朝霧JAMです!!」(親子で朝霧JAMS’)
「出合い」
「4年ぶりの開催うれしい!!」
「心のふるさと朝霧ジャム トゥッティーニ」
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朝霧JAMS’
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※取材時のマスク着用に関しては、任意とさせて頂いております。
インタビュアー:おみそ、小亀秀子
写真:HARA MASAMI、おみそ、小亀秀子
文:小亀秀子