「フジロックを守りたい」その想いはどこからくるのだろう。今年のフジロックを諦めた人 編
- 2021/10/07 ● Interview
たくさんのガイドラインとルールの下で開催されたフジロックから1ヶ月が経過しました。ニュースでは開催に対しての賛否両論が巻き起こりましたが、その影で「フジロックを守りたい」と動いた人たちがいることを決して忘れてはいけません。今回は連載として、今年のフジロック影で支えた人たちに話をきいてきました。なぜ、みなさんはフジロックを守りたいと動いたのでしょうか?そして、その想いはどこからくるのでしょうか?
第二回目は「今年のフジロックを諦めた」白倉夕佳さんと金子翔太さん(以下、敬称略)にフジロックを見守ってくれた人として登場していただきました。どうして諦めたのか、開催中に思っていたことから今後の話まで、たくさんの話を聞くことができました。
フジロックに行かないと決めた日
─ 今年のフジロックを諦めた理由を聞かせて下さい。
金子:やっぱりコロナ禍という状況が大きくて… 仕事が福祉職というのもありました。職場から「絶対に行っちゃダメだよ!」と言われていたわけではなくて、新潟県内なのでギリギリセーフで。チケットを買うためのお金も用意していたんですよね。だけどコロナの状況が二転三転していきましたよね。
今年、初めて妻と子ども二人を連れて家族旅行でフジロック!という感じで考えていたんですけど、最終的には「楽しみたいんだけど、家族を守らなくてはいけない」とか「万が一のことがあったら…」という気持ちで。モヤモヤした気持ちのまま行くのは嫌で、その気持ちを払拭できなかったんですよね。
─ いつ頃、行くことをやめようと決断したんですか?
金子:家族会議をして… 最終決断は7月中旬くらいですね。やっぱり仕事と家族のことがあるから。新潟県内で行われることだから、行くことはできたんでしょうけどね。
白倉:私は去年も今年も最初から行かないって決めていたんですよ。コロナ禍ということではなくて、今年子どもを産んだばかりで。やっぱり産んですぐとか、フジロックってしんどいじゃないですか。
実はフジロックがあるから、ずっと子どもを作らないでいたんですよ。去年のコロナが流行るちょっと前の段階で「もしかしたら2020年はフジロックをやらないんじゃないかな」ってところから始まって、じゃあ今だ!っていう感じで子どもを産んで。
だから、どっちにしても去年はなかったけど、「やっていたとしても行かない、今年も行かない!」っていう気合いで子どもを産んだので、もともと諦めていたというのもあるんですよね。
─ コロナ禍ということではなくて、子どものことを考えたんですね。
白倉:もう少し子どもが大きくなってから、と思っていました。
開催中に思っていたこと
─ そんな中、今年2年ぶりのフジロックが開催されました。開催中はどういった気持ちでしたか?ライヴ配信もありました。
金子:開催中はなるべくフジロックのことを考えないように… ライヴ配信も見ないようにしようって。仕事に集中すれば気が紛れるのかなぁって。
だけど時間があるときにやっぱり見てしまって。いろいろな感情があって、一人で見ていることができなくて… 子どもたちと一緒に見て。「本当ならここにいたんだよ」って説明したり。「みんなマスクをしているけど楽しそうだね」という話をしながら見ていました。
金子:配信を見ていると、みんなが距離を保っていて、マスクもしていて。正直に言えば「ここまで感染対策をしっかりしているなら、行けば良かったな」と思いましたよね。
白倉:私は配信を全く見ていないんですよ。忙しくて、ということではなくて、別に見なくていいかなって。私はフジロックに行ってもライヴを一つも見なくていいんですよね。行けば通りすがりに見て、そこで出演者を知って好きになることはあるんですけど。事前に誰が出るのか知らなくても楽しめるんですよね。SNSを見ていたら、私の周りの人たちは配信の感想を綴っていて、「みんな見ているんだな」って思っていました。
NHKで放送された番組は見たんですけど、お客さんたちが楽しそうにしていて、開催されて良かったなって、すごく感じました。そのとき、フジロックが愛おしくて、泣きそうになって。ステージやライヴそのものよりも、ライヴを見て楽しんでいる人たちを見るとすごく涙が出そうになるんですよね。
白倉:ただ、自分の大好きなフジロックの文句を言われると悲しいですよね。いろいろ叩かれていると。本当に… マジで鬱になりそうでしたよ。こんな世の中で大丈夫なんだろうかって。みんなストレスが溜まって文句を言いたいだけになっているんじゃないかって。その矛先をフジロックに向けられたことがすごく悲しかったですね。
フジロックってどんな場所?
─ 金子さんは今年初めてフジロックに行こうと思っていたとのことですが、行っていたらこんなことをしたかった、ということはありますか?
金子:景色全体を見たいですよね。雰囲気を楽しんだり。今の状況では難しいと思いますけど、(将来的に)ハイタッチをしたり、人との交流を楽しんだり、少し日常から離れてフジロックの世界を体験したいですね。
「こういう世界があるんだよ」って子どもたちが小さいうちに見せておきたいというのもあります。自分が小さい頃にキャンプとか連れて行ってもらったことがないので、子どもたちには自分ができなかった経験をどんどんしてもらって、大きくなってもらいたいなって思っています。
白倉:絶対いいと思います。私も子どもが大きくなったら、フジロックでいろんなことを学ばせたいと思っていて。学べる場所だと思っているんですよ、来ている人の当事者意識が強いから。楽しませてもらいに… ではなくて、自分たちもフジロックの一部という人が多いと思うんです。
例えばすごい土砂降りのときでも「こう考えれば楽しくなる」とか… 人生ってそうじゃないですか。同じ生活をしていても「つまらない」と思う人と「楽しい」と思う人、考え方ひとつだと思っていて。それをフジロックに行くことで学べると思っていて。自分がそうだったから。
フジロックって生きていくうえで基本的なこと、当たり前のことを学べる場所ですよね。ゴミは分別するとか、困っている人がいたら助けようって。モノの見方がポジディブになると思ってて、だから私も子どもを連れて行って学ばせたいです。
フジロックの好きなところ
白倉:フジロックで落とし物をしたことが何度かあるんですけど、それが絶対戻ってきていて、その中の一つに… ガムランボールってわかります?中に玉が入っているものなんですけどね。
─ 鈴みたいな?
白倉:そう、お守りみたいなのがあって、そのとき革紐につけていたから落としちゃって。「ない!」って気付いて、「さっきまでホワイトステージにいたから、そこで落としたのかも」って、すごく大事にしていたから、探しに行ったんです。で、「ないない!」って下を見ていたら、「どうしたんですか?」って声を掛けられて。「落としたんです」って。
「どんなものですか?」って聞かれて説明をして、そしたらその場にいた人たちが、みんなで探してくれて。見つかったんですよ。「これですかー?」ってすごく遠くの方から聞こえて。本当に嬉しくて。涙を流しながら何度も頭を下げて、ありがとうございます!って。その後、拍手が沸き起こって。すごく感動して。そういうこともあって、すごいなこの場所は… って。フジロックってそういう場所なんですよ。
金子:そういう話もネットで見たりしていて、とにかく早く体験したいし、家族でそういう気持ちを共有したいし、自分も話す側でいたい。そんな経験を人に伝えられるようにしたいなって思っています。羨ましいです。
白倉:言葉では伝えきれないんですよ、絶対に。フジロックって。
─ 最後にお聞きします。来年は行きたいですか?そして、もし仮に来年もコロナ禍という状況があまり変わっていなかったとしたら、どうしますか?
白倉:うーん… 夫が何と言うかですけど、私は行きたいかな… 一日だけになるかも知れないけど。
金子:家族のことと、会社のことがあるので、そうなったら従うしかないと思っています。だけど、この状況が良くなったら、子どもにキャンプを経験させてあげたいし、そこも含めて、個人的にも行きたいです。今、子どもは上が小学四年生、下が小学一年生で。将来一緒に行って、お酒を飲んだりしてみたいですよね。今のうちからそっちの方向で育てていこうと思っています(笑)
白倉:理想ですね。ハライチの澤部さん一家みたいな(笑)
─ 本日はありがとうございました。
最後に
今回紹介したのは今年のフジロックに行くことを諦めた人です。取材をさせていただくにあたり、「顔も名前も出さなくても大丈夫です」と話しましたが「フジロックのためなら」と快く引き受けてくださいました。取材後も、フジロックで食べたいフェスごはんの話などで、盛り上がりました。ありがとうございました。来年こそ、苗場の空の下で会えますように…
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取材、写真、文:アリモトシンヤ