• 「フジロックを守りたい」その想いはどこからくるのだろう。Simple day PRODUCT FROM Causette.Joli 編


    たくさんのガイドラインとルールの下で開催されたフジロックから1ヶ月が経過しました。ニュースでは開催に対しての賛否両論が巻き起こりました。しかし、その影で「フジロックを守りたい」と動いた人たちがいることを決して忘れてはいけません。今回は連載として、今年のフジロックを影で支えた人たちに話をきいてきました。なぜ、みなさんはフジロックを守りたいと動いたのでしょうか?そして、その想いはどこからくるのでしょうか?

    第一回目は今年のフジロックを印象づける香りになったハンドソープ、シンプル・デイ(株式会社佐々木商店)です。代表取締役 佐々木伸一さんとブランディング・オフィサーの掛川幸子さん(以下、敬称略)の話をお聞きください。

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    フジロックに商品を提供したきっかけ

    掛川さん

    掛川さん

    ─ 今年のフジロックでシンプル・デイのハンドソープとアルコール・ハンド・ジェルを設置することになったきっかけを教えて下さい。

    掛川:もともとは2019年からコゼットジョリ(マニキュア)でオフィシャル・サポーターとして入っていたんですけど、「今年はマニキュアを塗って楽しんでもらおう!という年ではないよね」と社長と話し合って。私たちは別ブランドでシンプル・デイ(ハンドソープ、アルコール・ハンド・ジェルなど)を持っているので主催者に「今年は特別な年なので、コゼットジョリからのプレゼントとしてお客さんにシンプル・デイのハンドソープとアルコール・ハンド・ジェルを提供します」と提案させて頂いたら、すごく喜んでくださって。それがきっかけですね。

    ─ 会場内でアルコール・ハンド・ジェルが大量に設置されていて、そこに短冊がありましたよね。一つ一つ違った短いメッセージが書いてありました。あれはどういった経緯で作ることになったのですか?

    掛川:社長もフジロックが好きで行っていて、もちろん今はサポーターでもあるのですが、商品の宣伝をするためにやっている… という気持ちはあまり無くて。やっぱりお客さんに受け入れられるように、と常に思っているんですよね。

    今年のフジロックに来る人はきっと、それぞれがストレスや緊張感、もしかしたら罪悪感を抱えたり、複雑な心境で参加されるんだろうな、と思って。それでも「来てよかったな」と思って頂けるように考えて。「手を洗わなきゃ!消毒しなきゃ!」じゃなくて「手洗いや消毒をする時間が少しでも嬉しい瞬間になってほしいなぁ」と思いました。主催者から「アルコール・ハンド・ジェルを設置するツリーを立てます。ここで宣伝することもできますし、何か貼ることもできます。何をするかは御社におまかせします」と言われていたんですよね。

    シンプル・デイって日本語にすると「何気ない日常、あたりまえの日常」という意味なので、フジロック的シンプル・デイ「普段のフジロックだったら、それが当たり前だった」という言葉をいっぱい並べたいなと思って。ただ私と社長の二人だけの引き出しだけでは難しくて。そこで、フジロック好きのLINEグループとFacebookのグループがあるんですけど、私も参加していて。そこにいる人たちに「短冊にメッセージを飾りたいから何か言葉をください」と伝えたら、すごくたくさん集まったんです。それがあの短冊の言葉です。

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    ─ どれくらいの数が集まりましたか?

    掛川:全部で70個くらいですね。ただ、固有名詞は避けて、例えば「清志郎~!」とか。だけど「雨上がりの〜」くらいだったらいいかも… と話し合って。ボトルを150本設置するということだったのでじゃあ倍にしたらいいね!って。だから何箇所か同じ短冊もあったんですよ。消毒をするときに、そのメッセージを見て「ちょっとでも安心してもらえるかな」って。そうすることにしました。

    ─ フジロック期間中はどれくらいの量のハンドソープとアルコール・ハンド・ジェルが使われたんですか?

    掛川:使われた量はわからないのですが、用意したのはアルコール・ハンド・ジェルが約2トン。ハンドソープは約1トンですね。運営から「感染対策は絶対で、切らすわけにはいかない!」と言われていましたし。「もしかしたら、いろいろなメディアが粗探しをしにくるかも知れない。ちょっとでも切れていたら『ハンドソープもアルコール・ハンド・ジェルも切れているじゃないか!』と書かれるかも知れない。それだけは避けたい」と。「わかりました!」と答えましたよね。

    佐々木:運営の方が常にボトルに継ぎ足ししてくださって、最初はちょっとあたふたしたんですけどね。各セクションごとに班があって、そのリーダーが指示を出して、絶対切らさないように!という形で。

    掛川:最初はこんなにすごい勢いで使われるとは思っていなくて、金曜日に入場ゲート近くのハンドソープが切れそうになっていたのを見て、すぐに運営本部に行って対応してもらいました。運営本部では「予想をはるかに超えるほど、みんなが手洗いをしてくれている」と言われて、切らすことはできないのでダブル置きに変更したり、一時間に一回くらい補充をしてくださいましたよね。

    佐々木:みんなで協力し合って、できたことなんじゃないかなぁ… と感じました。

    ─ トイレに並ぶよりも、手洗いに並ぶ列のほうがすごくて。みんなしっかり感染対策を守っていました。

    掛川:運営の方にも言われました。「フジロックを長年やっていて、飲食とトイレ以外で並んでいる列を初めて見ましたよ」って。

    フジロックが終わってからの反響

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    ─ すごく良い香りで、今年のフジロックを印象付ける香りになったと思います。月曜日の撤収のときに頂いたんですが、帰宅して手洗いをする度にフジロックのことを思い出します。

    掛川:フジロックが終わったあと、買ってくれた人もたくさんいらっしゃって。SNSを見たら「届いた!苗場の香り!」とか「フジロックの思い出に浸れる!」と、反響も大きくて。オンライン注文の備考欄にお礼の言葉を書いてくださる方もいらっしゃいました。

    「フジロックを支えてくれてありがとう」とか「これからもずっとお願いします」とか「ちょっと不安感を持って参加した気持ちをあのハンドソープで洗い流すことができた気がします」とか… SNSでの反応も「ありがとう」という言葉がたくさんあって。

    「今まで協賛企業のことをあまり意識したことがなかったけど、こうやってフジロックが開催できるのも協賛企業があるおかげだから、応援したいので買います!」という声をSNSで見たり。「普段の生活にほんの少し、良いものを取り入れるだけで、こんなに心が豊かになると分かった」とか。

    そういったメッセージを見て「こっちがありがとうだよ!」という気持ちになりましたよね。

    フジロックに救われた過去

    2002年 ザ・ハイロウズ | Photo by Makiko Endo

    2002年 ザ・ハイロウズ | Photo by Makiko Endo

    ─ 取材の件で掛川さんに連絡をしたとき、「弊社社長はフジロックで助けられたから、その気持ちを返したいと思っている」と、お聞きしました。どのように助けられたのか聞かせてください。

    佐々木:現在、化粧品会社をやっていて13年目になるんですけど、それまではサラリーマンをしていて、生活している中でやっぱり辛いこと、ストレスも多かったんですよね。初めてフジロックに参加したときは27歳のときで、97年のフジロックの第一回目に行って。翌年の豊洲、翌々年の苗場にも参加しました。そのときはパートナーと一緒に行っていたんです。どっちかというと向こうから「行こうよ!」と誘われて行ってて。

    もちろん私が音楽好きというのもあって、最初の頃は「音楽を聴くため」にフジロックに行ってたんですが、2002年に一人で行ってみたんです。そのときグリーンステージでザ・ハイロウズが「日曜日よりの使者」を歌ったんですけど、曲の前に甲本さんがMCで「ここにはオレみたいな奴が何万人も居るって知って、うれしくなった。死ぬまでロックンロールでいような!」と話したとき、理由もなく感動して涙を流したんですよね。

    そのあと、ところ天国の川辺りで休んでいたとき、やっぱりフジロックっていいな、自然があって、これがフジロックの良さなんだ… と上手く言えないけど思ったんですよね。「ただ音楽を聴きにきているだけじゃないんだな」って。

    Photo by おみそ

    Photo by おみそ

    佐々木:最初のころは雨が降ったら嫌だなと思ったりしたけど、今は雨くらいなんともなくなって。フジロックに参加することでタフになっていくじゃないですか。それと同時に自分自身も成長してきたのかなって。フジロックが自分自身を奮い立たせて頑張ろうという場所になっていたんでしょうね。その当時はそこまで思っていなくて。だけど、今振り返ってみるとそう思います。

    ─ そのときに普段の生活の辛いことやストレスから救われた

    佐々木:そうですね。その後、会社を立ち上げて、たまたまフジロックに協賛できるチャンスがあって。でもやっぱり企業なので「ただ、お金を出すだけじゃなくて利益に繋がること」も考えなくてはいけない。だけど、それを加味しても「大丈夫だ!」と思ったので、社員全員に説明して納得してもらって、2019年からコゼットジョリでサポートし始めたんですね。今回、シンプル・デイで少しでも恩を返せたのかなって思っています。

    フジロックをサポートするまで

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    掛川:私はコゼットジョリをコスメではなくて、ライフスタイル・アイテムという形でブランディングしていたので、例えば化粧品の雑誌に載せるとか、コスメ売り場で売るという発想は一切なかったんです。「じゃあ、誰に知ってもらいたいか」と考えたときに、このマニキュアを自分の人生の友と思ってもらえるような価値観を持つ人に… と考えて。フジロックってお金もかかりますし、不便ですし、過酷で。だけど、参加することで代えがたいものを得られて… そんな人が10万人以上いる。そんな価値観を持った人たちに知ってもらいたいと思ったんですよね。

    今ではフェスで女の子がネイルもお洒落に楽しむ文化があるので、2019年にスポンサーの企画書を作って。だけど、どこに送ればいいのかもわからなくて、とりあえず日高さんの名前を書いてスマッシュさんに書留で送ったんですよ。書留だったら絶対に本人へ届くじゃないですか?(笑)

    でも、なかなか返事がないので社長に「企画書の件、どうなっていますか?」ってスマッシュさんに電話を掛けてもらったら、「すみません!今すぐ確認します!」って。そのあと、私たちのところまで話を聞きにきてくれたんですよね。

    ─ もともと繋がりがあったわけではなかったんですね。

    掛川:とりあえずサポートしたいです!楽しいと思ってもらえるようにします!どうですかー!?って企画書を作って送って(笑)。たぶん日高さんは見ていないと思いますけど。でも絶対に本人に届く方法は書留だ!と… やってみたらいけちゃったっていうね(笑)

    佐々木:うん(笑)

    ─ 真似する人が出てくるような気がしますね(笑)

    新型コロナ・ウイルスとシンプル・デイ

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    掛川:シンプル・デイをローンチしたのは、コロナが蔓延し始めたころだったんですよね。別にコロナに合わせて作ったブランドではなくて、アウトドアとかフェスでも使えて… フジロックは手洗い場も少なかったから「もっと使いやすいアルコール・ハンド・ジェルがあったらいいよね」ということでずっと開発を続けていたんです。で、コロナという状況になって、まだブランドとして固まるところまでは行ってないけど、とにかくアルコール・ハンド・ジェルがない(当時品薄になっていた)から、原料はあるし、開発も済んでいたので2020年5月にアルコール・ハンド・ジェルだけ先にローンチしたんですね。

    ブランド名もたくさんの候補があったんですけど、ちょうどそのとき緊急事態宣言が出てしまって… 当たり前にできたことが、全くできない世の中になって。人と会えなくなるとか、何も行動できなくなること、当たり前にできていたことができなくなるってこんなに大変なんだと思って、それで「なにげない日常=シンプル・デイ」を、ずっとずっと大切にできるように、この名前でローンチしたんです

    しばらくはこの状況に寄り添った生活をしていかなくてはいけないだろうから、次にハンドソープを開発して。ハンドソープのボトルの色も紅消鼠(べにけしねずみ)という色で、オリジナル・カラーで作りました。

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    掛川:紅消鼠って、江戸時代に幕府が町人と商人に「着物の色は灰色と茶色と紺色しか着てはいけません!」という令を出したことがあったんですね。だけど「そんなのクソくらえ!」みたいな感じで町人たちが四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)といって、ものすごく色々な種類の灰色、茶色、紺色のバリエーションを作って、おしゃれを楽しんだという歴史があるんです。

    そのときの江戸の人たちの「おしゃれを忘れないぞ!」という気持ちが素敵だなと思って。その中の一つの色が紅消鼠です。あの黒っぽいボトルの色を構成する中で、実は赤色がたくさん使われているんですよね。(赤色は消されているけど)熱い闘志はこんなに美しいと思って作りました。

    フジロックの会場にこの色があることが、ブラインド・メッセージじゃないですけど(熱い闘志という意味で)いいと思ったんです。

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    ─ その熱意はフジロックにきていたお客さんに伝わっていると思いますし、その想いを繋げたくて取材をお願いしました。ありがとうございます。最後に今年フジロックに行った人と、今年来られなかった人へメッセージをお願いします。

    佐々木:今年フジロックに来られなかった人はたくさんいたと思うんですよ。いろいろな葛藤があるし、楽しみたいという気持ちもあったと思う。仲間と一緒に来る予定だったグループの中で、来た人と来られなかった人もいて。来た人がたくさんの短冊の言葉を見たときに「仲間のことを感じた」という声も聞いています。今後も企業としてフジロックの力になれて、みんなと一緒に楽しめたらいいなって考えています。こんな時代ですけど、また一年頑張ってみんなに会いたいです。

    掛川:今年来られた人も来られなかった人も、いろんな想いをもった人がいると思うんですけど、多くの人たちから「これからもずっとフジロックを支えてほしい」と言われて。だから時代が変わっても、できることで協力したいです。来られなかった人は来年ハンドソープやアルコール・ハンド・ジェルを使ってね!と思っています。

    短冊の中に「嫁と出会った場所」というものがあって、本当は奥さんと一緒にフジロックに来て、短冊の前で記念写真を撮りたかったって。だけどそうできなくて。でも、もしかしたら来年もあの短冊を使ってもらえるかも知れないので、そのときに写真を撮ってほしいですね。今年やったことを未来に繋ぐことができるように、フジロックを支えていけたらいいなって思っています

    ─ 本日はありがとうございました。

    最後に

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    シンプル・デイはフジロックのあと、群馬県で行われたニュー・アコースティック・キャンプでも感染対策の協力を行いました。そこでもたくさんの人に喜ばれ、たくさんのお礼の言葉を受け取ることができたそうです。また、コゼットジョリでは2019年から毎年<NAEBANOSORA SHUGYOKU>という限定カラーのマニキュアをリリースしています。毎年、昨年の苗場の空の色をイメージして作っているそうで、来年のカラーも決まっていると聞かせてくださいました。どんなカラーになるのでしょうか、来年が楽しみですね。

    ■ コゼットジョリ
    https://causettejoli.jp/
    https://www.instagram.com/causettejoli/
    https://twitter.com/causettejoli

    ■ シンプルデイ
    https://simpleday.jp/
    https://www.instagram.com/simpleday_jp/
    https://twitter.com/Simpleday_0501

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    協力:aonoha / by Corny Cluballs
    写真:HARA MASAMI
    取材、文:アリモトシンヤ

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