• BRAHMAN・TOSHI-LOWインタビュー前編 彼とフジロックとその“変化”


    BRAHMANのTOSHI-LOWにインタビューを行いました。フジロックで数々のハイライトをつくったアーティストであり、音楽ファンでもあり、そして復興支援者でもある彼の考えを、前後編に渡るインタビュー記事でお届けします。

    苗場からフジロックを中継するサイト・FUJIROCK EXPRESS。今年掲載された何百という記事の中で一番の注目を集めたのは、TOSHI-LOWのMCを紹介した記事でした。ステージ上から彼が伝えたフジロックの話をきっかけに、フジロッカーズオルグは彼からフジや震災後の日本について話を聞いてみたいと思い、今回のインタビューに至りました。フェスティバルシーンの変遷の中で、彼は何を感じてきたのか?ご覧ください。

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    呑まれたこともあったフジロックのステージ

    ー今年のフジロックはトリ前という位置でした。「この場所、この位置だから」っていう特別な気負いのようなものはありましたか。

    ありましたよ。苗場に移ってすぐの頃に観たグリーンステージの大きさ、実際立ったらむちゃくちゃ規模以上の大きなものを感じていて、それはおっかなさ、苦手意識でもあって。だからグリーンに対しての気負いはあるっちゃあるんです。年上のお兄ちゃんて、大人になってもずっと年上っていう感覚があるみたいな。でも結果的には今年グリーンでよかったと思っています。

    ーBRAHMANは今回を含め、グリーンの出演だけでも4回になりますね。

    4回も出てるんですか。まったく場慣れしている雰囲気がない(笑)。

    ー(笑)ほかにもホワイトステージでトリを務めていますし、2011年は前夜祭・レッドマーキーでした。そしてOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND(以下OAU)ではヘブンにオレンジ、今年はピラミッドも…なので、ほぼすべてに出ています。TOSHI-LOWさん自身が一番印象に残っているステージはどこになりますか。

    2001年、グリーンで初めてやった時かな。呑み込まれていたって思うし、ステージ降りていく瞬間、唇を切れるくらい噛みしめたのを覚えています。午前11時で、ギラギラの夏の太陽の下でやることに関してやりづらさがあった。時代の流れもあって見に来る人も多く、だから余計に自分がやりきれなかった時の悔しさもありました。

    ー2001年といえば1998年、2000年と出演したAIR JAM後とも言えるタイミングですね。

    そこは自分たちの転換期だと思っています。AIR JAM組と言われた90年代の流れが2000年である意味頂点を、そして崩壊を迎えたと俺は思っていて。頂点からの下り方っていうのは、いきなり下がるわけではない。実際その時盛り上がっていた人達は盛り上がっていたと思うし。でも自分の心の中では次のフィールドというか、下山の準備ばっかりしていたんです。もう一度またアンダーグラウンドに戻ってくのか、フィールドを変えるのか…それらの選択肢の中には「どんどんビッグになっていこう」というのは全く無くて。だから自分の心は閉ざしているのに立つのは大きなステージっていう、すごくねじれた状態にいたんです。ライブはお世辞にも良い内容だったとは言えないし、当時の自分の限界だったんでしょう。

    ーそして2005年、今度はホワイトのヘッドライナーです。立ち位置としては今年のグリーントリ並に大きいと思うんですが、その時は2001年に感じた呑み込まれる感覚はあったのでしょうか。

    そこにはなかったですね。当時は自分が30代を迎えたり家族を持ったりとか、自分が描いてなかった世界に突入してきた頃で、自分自身との戦いが始まった感がありました。

    ー場所ではなく、対・自分だったと。

    _DDD0505_s2001年に思ってた「対・社会」よりも、「対・己」。その初期にいたからどう対峙していいかわからないというか、迷いがすごくあった。でも、やりきることを覚えた感触はすごくあって。後悔しないために、じゃあ演奏が良いとか悪いとか抜きにして、「やりきる」ためにどうしようかなあって思っていました。その時のステージには自分たちの幕があって、ライブ開始とともにそれが「バン!」て落ちるはずが…落ちなくて「上手くいかねえな人生」みたいな。

    ーOAUの始まりもこの頃ですね。

    いろんなことが自分の中で現象として変わり出したあたりだと思うんですよね。90年代の流れっていうのは完全になくなって、ともすれば00世代。(観客も)半分の人は喜んでくれるけど、もう半分の人から見れば時代遅れの音楽をやっていると感じる狭間だった気がする。もちろんそこは最終的に気にするポイントじゃなくて、たとえ客がひとりでもいれば、俺たちは同じステージができると言い切れるので。でも明らかに自分たちも社会のあり方をわかってきたりして、変わり目の時でした。それにちょうどフジロック2日くらい前に初めて子供が生まれて。自分の環境の変化に戸惑いが多かったのかな。

    バックステージの“喧嘩”

    ー自分の変化同様、立つステージが意味を持ったりすることはありますか。

    フジロックにはいつもいいポイントで呼んでもらっていると思います。ある意味縁があるというか、その年その年で自分の中で(出演に)意味があることが最終的には多いなと思う。今考えればこういうことだったのかなっていうか。運命なのか宿命なのかわからないですけど。

    ー震災後、そしてフジロックでアイドルの出演を巡る騒動にも言及した2011年の前夜祭もそうですよね。今までBRAHMANがやってこなかったMCを初めてしたということも含め、観る側にも大きなインパクトがありました。ちなみにあの出演経緯はどういったものでしょうか。

    ただの『前夜祭出る?』「出る出る!」みたいな話です(笑)。その年ってROCK IN JAPANとかでは大トリとかでしたけど、でもまあ今年も飛び入りでサマソニ出たように、アーティストが位置に縛られる必要なんてないって俺は思っていて。そういう垣根を跳び越えるのは、俺らの気持ちひとつじゃないのって。あとは「2011年」ていう意味がデカかった。その年にどうしても出たかったのも事実で、俺が出たかったっていうか、言いたかった。言いたいし、伝えたいしっていうことがあった。その時なんかほらフジロックが面白いくらいに揉めてたから、アイドル出すとか出さないとか何かくだらねぇことで。

    ー(笑)。アイドルうんぬんの話はフジロッカーズのスタッフの中でも当然、ファンサイトだし真相を明らかにしようぜって声も出て「日高さん(SMASHの社長)にコメント取りましょう」って話したら「日高が何も言わねぇっていうならそれがフジロックだよ」って花房(浩一。Fujirockers.orgのマスター)が(笑)。粛々とアトミック・カフェなどを伝える日高さんのインタビューを出したのを覚えています。

    実際どうでもいいって思ってるんだろうね。あのおっさん、そういう人だから。どうでもいいっていうのはほったらかしってことではなく、そこが本質でも何でもない。フジに来てみればわかるわっていう、そんだけの話だと思う。ああいう人は強いなって思う。最終的に俺がケツ持つからそんなのいいんだよ、みたいなのね。すごい好き。

    ー日高さんとの関わりについてフジロックを通じた以外では何かあったりするんですか?例えば普段飲みに行くとか。

    最近どこで飲んでいるのかも知らないし…呼ばれたいけど(笑)。でも行くとなにか怖いんだよ。2008年のグリーンステージの後かな、組事務所みたいな社長のテントに行って、色んな皆さんがわっさーっといる中で「今日ありがとうございました。なんかいいところでやらしてもらって」みたいな感じで言ったら「トシロウくん、ミュージシャンはね、頭下げちゃダメだよ!もっとデカいとこでやるんだよ」みたいに怒られて。でもこの人、本気で言ってるんだなって感じたし、そりゃ寛容だよなと思った。

    ーTOSHI-LOWさんのこれまでの言動を見ていると、ミュージシャンであり、同時にすごく純粋な音楽ファンなんだなあって私は思うんです。それこそフジロックのMCも、あとは震災以降のAIR JAMの、Hi-Standard(以下ハイスタ)の人たちに対する声高な働きかけもTOSHI-LOWさん自身の「ハイスタ見てえ」っていう気持ちを強く感じました。

    9_gs_brahman_JulenEstebanPretel_DS10777音楽ファンじゃなくて音楽やってる人って少ないと思いますよ。その中で特に俺は過去に受けとめたものをずっとひきずるタイプで、いいなと思ったものは一生好きっていう。AIR JAM…あの年は力が必要でしたからね、あの3人の。自分ですべてできるなら頼まなかったけど、これはあの三人組じゃないと無理だなっていうのが早い段階でわかっていた。この人たちがやったら、自分達がやるより何十倍、何百倍の人が喜ぶだろうなって。

    あとは、日高・花房みたいな意固地なおじさん達から「嫌なものは嫌」って喧嘩する事も教わったし(笑)。違うものを違うと言えねぇような生き方を選んで俺はここにいるわけじゃない。黙って見過ごしてまで音楽の世界で平穏にいたいとは思ってないっていうのが、2011年からは強く出てきた。だからハイスタのメンバーとも喧嘩したし、揉めることは多いよ…生意気だから(笑)。

    ーフジロックで、音楽面で自分達以外のステージに何か印象深いことって何かあったりしますか。出演される年は、他のステージのライブを見たり?

    アーティストエリアに入れるから逆に外じゃ見れない風景見れるでしょ。ライブは見れたら余計嬉しいけど、ロビーでぼやーっと未来から来たみたいな服着て素で座ってるビョークとかシュールで超面白い(笑)。で、ライブももちろん…ポーグス、バッドブレインズ、後はアンスラックス出た時も違和感ハンパなくて面白かったな。どっちかって言ったらホワイトとか、あとは全然知らないけどたまたまヘブンで観たバンドがぐっときたり。

    ー別のインタビューで、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのゴッチさんと初めて会った時のエピソードも拝見しました(笑)。

    拳立てやらした時ですよね。オアシスエリアで会って、「弱そうだからそんなんじゃフジロッカーに殴られる。鍛えてやるわ」って。で、俺がベロベロに酔っぱらってゴッチと拳立て勝負するんだけど負けるっていう(笑)。それで仲良くなったんですけど。フジロックは何も見ないでオアシスで一日ベロベロになって、「え?レッチリ終わったの?行こうと思っていたのに」って言ったりするのが最高の贅沢だったりしますね 。しかしフジロックは気合い入れないと過ごせないじゃん。呑みに行くにもやっぱりカッパ持ってかないといけないとか、遊ぶにしても腹のすえ方が違う。野外で消耗して、なんか酔わねぇなって思っていたらいつの間にか足腰立たなくなってたりするし。

    フジロックがこれからどうなるか知りたい

    ーところで、出演するだけでなく自分たちもフェスの運営に携わっているNew Acoustic Campは、どういった気合いの入れ方をされていますか?

    あれは完全に「脱フェス」です。このところ「フェス=外コンサート」になっている気がしていて。俺が思うフェスは、一人ひとりが自分の好きな行動をする替わりに、自分たちがある程度自覚を持っていないと野外なんだから楽しめないでしょっていう発想のもとでやりたいんです。それが最近は決められたレールに乗せられて、挙句の果てには踊り方まで決められて、アレしちゃいけない、コレしちゃいけないとか…なんか俺の一番嫌いだった学校の校則みたいなのができ始めて。もちろんそれを楽しめないのかって言ったらやっぱり大人なのでそれはそれで楽しめるんですけど、パズルも同じ形でピースが少なければ簡単だけど満足度が低いっていうか。最終的には自分で、いびつだけど難しく組くみ上げていきたい。だから俺らは合わないのかなって。良くも悪くも、創られていく途中にあった90年代後半のやつが俺は面白かったし、ワクワクした。New Acoustic Campには「俺はチケットを買ったお客様だから」みたいに威張るやつなんか1人も来てほしくないし、そのかわり立ち入りエリアの境はロープ1本だし、でかい黒人のセキュリティもいない。みんながある程度自分たちでこうしちゃダメだなってやらないという、どちらかっていうとキャンプですよね。キャンプに音楽が付いてくるっていう逆の発想でやっています。

    ー今年で4回目ですが、“運営側”として感じるところは。

    難しい、なかなか浸透していかないし。ただ、自分達で遊び場を創っていくひとつの形を提示できるものにしたい。音楽がやれる世の中って、いいじゃないですか。みんなで一晩、焚き火を囲みながら過ごせる世界。そういう共有の場を自分達で創れるのは面白くて。自分達でライブ企画するのと一緒で、そういう感覚が伝わっていったらいいなって思います。

    それこそフジロックがこんなに続いているのすげえなって思う。毎回変わっていくし、いつの間にか群馬県なんじゃねえのっていうところまでステージあるし(笑)。発展していく途中、ゴールがないから面白いんでしょうね。あとは日高のおっさんが「やーめた」って言えば終わるんだろうし。何かね、社長の頭の中には最高の形と終わりも何か見えている気がしないでもないんだけど、そういうのもありえる、この永遠じゃない感じ。どこまでがフジロックになっていくのか、どういう形で終わるのかっていうのを知りたいなっていう。

    ー自分はフジロックのモデルになったイギリスのグラストンバリーフェスティバルに行ったことがあるんですけど、そのスケールを肌で感じると、「フジロックまだまだ可能性の余地あるな」って気がします。

    グラストンバリーてすごいんですか。

    ーすごいです。面積がとにかく広いっていうのもあるんですが、文化の根付き方、歴史を感じるんです。ポールマッカートニーのステージを「パンクス今に生きる」みたいな若者が、そしてその隣にはおじいちゃんおばあちゃんがワクワクしながら、それぞれ同じ目で観ているっていう光景はまだフジには実現できていない気がします。長年続いたものならではの景色だなって。ただ、フジロックがこれからグラストをなぞっていくのかっていうと、それも違う気がしていて…。

    俺もそれは違うと思う。全然ガラパゴス化してもらいたいね。

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    ーところで、変化といえば幕張で八角形のステージ、360度がフロアのライブをやったBRAHMANもフジロック同様に変化を繰り返しながら動いていく印象があります。(右はそのライヴの模様を収めたDVD・ブルーレイ『超克 the OCTAGON』のジャケット)

    その都度その都度でできる最大のことを探していくと、新しいことにチャレンジせざるをえなくなってきてしまうんで。今回の幕張に関してもひと月前までセンターステージってこと以外は何も決まっていなくて、打ち上げなんかで自分たちがつくれるものを話し合って、みんなで知恵を寄せ集めながら、かつ予算を低くするにはどうしたらいいとか考えて作ったりします。本番で思っている全てができないのかもしれないけど、挑戦したい。それにそういうことを聞いてくれるスタッフとか運営企画があるっていうのは面白いね。それでやるとすぐ真似されたりするけど、それでもやっぱ挑戦する一番手が俺はいいなって思ってる。

    ー常に新鮮さを、っていう感覚でしょうか。

    現状にまだ満足してないんじゃないんですかね。もちろん、十分幸せだとは思っているよ。音楽で飯えて、十何年もやれて、仲間もスタッフもほとんど欠けることなくやってこれているし。だけど、これがゴールなのかって言われるたらまったくもって違う。満足かって聞かれたら、まだまだ自分を満たすようなものはない。何がゴールなのかは自分でもわからないし、だから迷うんだけど、でもそこを恐れてもね。
    後編「3.11のあとで」につづく

     

    前編は以上です。後編では彼が東北大震災を経て今も精力的に取り組んでいる支援活動と、東北の現在について語った内容をお届けします。そして記事中でも話していた「超克」ツアーファイナル、八角形ステージの模様を収録したライブDVD・ブルーレイ『超克 the OCTAGON』は現在発売中。最新の彼の“挑戦”を、ぜひ映像でもチェックしてみてください。

    ■BRAHMAN / OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND
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    BRAHMAN MC全文書き起こし | FUJIROCK EXPRESS ’13
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    取材・文:鵜飼亮次
    写真:深野輝美、Julen Esteban-Pretel(ライブ写真)

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