• フジロッカーズ・オルグ、取材スタッフルーキーの目に映ったフジロック


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    フジロックファンからフジロッカーズ・オルグへ。フジロック・エクスプレスのスタッフとして、初めて参加した2022年。ルーキーでしか感じることのできない思いを、フジロックを終えて過ぎゆく夏を前に、書き留めていた。あれから約一年が過ぎ、またこの季節がやって来た。ルーキーだった時の感覚と経験を経て、今年はどう感じるだろう。

    フジロッカーズ・オルグに興味を持っている人、オルグって何をするの?と気になっている人、フジロックに思いを寄せている人…色んな方へ。これは、期待と不安が交差した、ルーキーの見聞録。

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    フジロックとの出会い。初めは勝手な先入観だった。

    私は音楽フェスが好きだ。自分の好きなアーティストのライブでは、ステージ前の爆音の中で、自分もサウンドを奏でているように、歌詞の一語一語をこぼさないように歌う。一方で、知らないバンドを知って新しい境地に興味を持ったり。夏の青空にステージのセット、そのロケーションを眺めるだけでも嬉しくて、風や夕暮れに自分も乗せてみる。

    2000年代後半頃から、男鹿なまはげロックフェスティバル、ap bank fes、ROCK IN JAPAN FES、中津川 THE SOLAR BUDOKANといった音楽フェスに行くようになり、フジロックの存在も知っていた。だけど、数年は指をくわえて、遠くから眺めていた。それはどうしてか。開催される期間の休みの確保、決して安くはない費用、苗場までの移動などトータルで考えるプラン。それと、「敷居が高いのではないか」という勝手な先入観がハードルとなっていて、仕事帰りによく行くアジア料理店に飾ってあった「FUJI ROCK FESTIVAL Naeba」の赤いノボリを見つめては、ぼやいていた。

    「フジロックか…どんなところなんだろう。どんなフェスなのかな。」

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    それから決心と行動力が伴い、仕事の休みも取れた2016年。フジロック20周年のメモリアルイヤーは、私の苗場デビューという嬉しい記念が重なった。

    音楽フェスに慣れた、いわゆる〝フェス女子〟だったはずなのに、フジロックはフェス常識の範囲を超えるようで、驚くことが多かった。

    森の中でいろんな飾りが光ったり回ったり、ペイントされた大きな岩と目が合ったり、なんとも可愛くて和む(フジロックではお馴染みのゴンちゃんだと後に知り、私は彼?のファンになっていった)。

    会場の奥に足を進めると、向こうからサウンドが聞こえてワクワクして、雨が降るとあちこちにポンチョの花が咲いているみたい。むしろ、雨が強まる中でのライブは、演者と私達の距離が近くなるような一体感がある。

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    お客さんの年齢層も幅広い。学生くらいの若者、50〜60代くらいの壮年期世代の方たちや、ちびっこも元気に歩いている。客層をピンポイントに絞っていなくて、なんてピースフルなんだろう。海外の方も多く見かける。水も森も豊かで、気持ちいい。この広い森がもう、フジロックなの?なんかもう、楽しい!

    フジロックを一度体験すると、「また来年も…」と自然に考えていた。先入観が邪魔していた時間が、本当に勿体なかった。そうして毎年夏は、苗場に行きたくなるフジ熱が温まっていく。これが、〝フジロッカー〟の感覚なのかな。

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    他のフェスなら、リピート参加すれば段々と勝手が分かってきて、会場内の配置や、時間の使い方も慣れてくるものだけど、フジロックは来る度に新しい気付きがあった。去年はなかったのに、「今年はここにそんなものがあるの?」なんてことも度々。3日あっても、前夜祭を足しても、時間が足りない!

    たくさんの人々がこの苗場で、思い思いに過ごしていた。キャリーケースに荷物を積んでキャンプサイトに向かう家族、駐車場で車のハッチを開けて日除けにして、ゆっくり飲みながら準備する仲間達、一人木陰で椅子に座り、じっくり読書する人…などなど。みんなどこから来たのかな。車のナンバーを見ても、各地からやって来ているのが分かるから、勝手に旅物語を考えてしまう。フジロックに何を思うんだろう。大きな荷物を抱えていても、大粒の雨に打たれていても、みんな表情がいい。理屈じゃないのかな。

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    初参加から3、4回経ってくると、初めの頃と気持ちが変わってきた。デビューした頃は、終わるとただただ「フジロス」状態で。その思いを繰り返すうちに、疑問を抱くようになる。過酷だし、お金もかかるのに、どうしてフジロックに行きたくなるんだろう。何度来ても楽しいし、すごい。よく分からないけど、恩返しできないかなぁ。そんなふうに、疑問から感謝へと、気持ちが展開していった。

    この感覚、きっと私だけじゃないはず。他のフジロッカーにも話を聞いてみたい。そんな思いが、オルグの門を叩くきっかけだった。

    〝仲間募集〟の文言を頼りに、オルグに飛び込んでみる。

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    フジロックへの思いを、頭の片隅に抱きつつ過ごしていた初冬のある日、SNSで偶然に見つけてしまう。

    「フジロッカーズ・オルグ、仲間募集します!」

    きた?これじゃないか?熱意は十分あると思う。やってみて、落ちたらそれでいい。そう、ダメ元の精神。その思いを胸に、私はフジロッカーズ・オルグの門を叩いた。キャリアも年齢も強みなんてないけれど、一歩踏み出した。

    私はメディア関連とは違う仕事をしていて、カメラマンやライターとも関わりはなく、全くの無知だったけれど、オルグはベテランも新人も素人も分け隔てなく、スタッフ募集の間口を開けてくれていた。知ったかぶりは要らない、格好つけても必ず後でボロが出るんだ。と、自分の言葉で動機を書き、応募した。ダメ元だから、たとえ不合格でもいい。トライした自分を評価しようという姿勢で臨んだ。すると後日、オルグスタッフのリーダーから連絡がきた。エクスプレス・スタッフとして、フジロックに行けるという知らせだった。その後の面談で、リーダーのMさんが私を「連れて行きたいんだ」と言ってくれた。本当に鼻血が出そうなくらい興奮して、家の中でジャンプしてしまった。私の素人なりの熱意が伝わったのか。決してクリエイティブなんかじゃないし、パソコンもあまり詳しくないアナログな人間だけど、そのままを表出して良かったんだ。嬉しかった。

    エクスプレス・スタッフでの参加が決まると、6月にはフジロッカーが集まる「フジロッカーズ・バー」の派生イベント「フジロッカーズ・レストラン」に参加して初取材を経験したり、開催直前の7月初旬には「ボードウォークキャンプ」に参加し、ボードウォークの補修を手伝うことで、違う側面からフジロックを考えた。そうして少しずつ、オルグとしての気持ちを整えていった。

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    欲張りで人見知り。
    オリジナルのお守りを忍ばせ、デビュー戦に臨む。

    私は、楽しいことや盛り上がるのも大好きだけど、大いに人見知りでもある。
    取材をしたいが、緊張してしまいそうだ。そんな思いをリーダーに相談すると、エクスプレス取材班用の腕章があると教えてくれた。それがあれば、私も堂々と声をかけられるかな。名刺代わりにしてみよう!テンプレートを印刷すると、たまたまミスプリントでハガキサイズになってしまった。でもそこから発想を変えて、カスタマイズしてみる。腕章の文字「FUJIROCK EXPRESS 取材班」をステージに見立て、会場の風景を思わせるようなレイアウトをフェルトで作る。背景は青空で、木も入れて、お馴染みのゴンちゃんが「取材ご協力お願いします!」と呼び掛ける。それを100均のクリアなサコッシュに入れて出来上がりだ。もはや腕章の形を成していないけれど、フェルトの優しい雰囲気で和む。私の緊張も解れるはず。これをお守りに首から下げて、取材に向かおう。そこに力強い助っ人として、フジロックに行くときは常に帯同している「ゴンちゃん風ヘアゴム」も付けた。これはまだフジロックを知らなかった頃、雑貨屋で見つけたもの。赤くて丸いプラスチックに目玉がついていて、偶然にもゴンちゃんにそっくり。今年はスタッフとして頑張るから、援護を頼む。

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    メディア初心者の私ができることは?

    フジロックでは、『モアファン』のスタッフになった。急な天候の変化や、昨年と違ったレイアウトの紹介、フジロッカーのインタビューなど、会場内のいろんなモノゴトを見つけて伝える。事前にメンバーと打ち合わせをして当日に臨んだけど、不安や緊張はやっぱり拭えなかった。ただ机上で理解しても、やってみなきゃ分からない。だから、実践するしかない。以前先輩と話した時に、「ボードウォークキャンプでも参加者と話していたし、ピープル取材が向いているかもね」とアドバイスをもらっていた。それをヒントにして、人と話そうと思った。声をかけよう。スタッフも、フジロッカーにも。そこからコミュニケーションが生まれて、きっかけになるはず。

    ここ数年馴染みのあった3Daysのデザインとは違う、スタッフ用のリストバンドを左手首に着けると、歩く足よりも先に、気持ちが促迫気味に前進していた。スタッフジャンパーとTシャツも併せて受け取った。ということは、遊びではなくて、取材する立場として開催中は動くんだ。当たり前だけど、そういうことだ。リーダーMさんの言葉が脳裏に響いていた。応えなきゃ。ルーキーでもできること、きっとあるはずだ。

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    見えないウィルスへの戸惑い、葛藤。

    新型コロナへの感染予防策を徹底して行われた2021年の〝特別なフジロック〟を経て、今年は〝いつものフジロック〟と謳い、開催された。昨年の取材時は、フェイスシールドを装着したり、人との接触も、シビアだったそう。その年は、私はお客さんとして参加していた。いつもなら周囲に「フジロックに行ってくる!」と話していたが、2021年は何となく秘めていて、身近な人にだけ伝え、その後も感染しないよう静かに過ごした。楽しかったけど、少し複雑な気分だった。今年は昨年よりも規制が緩やかだったけれど、常時マスクを着用。行動制限はないものの、感染者数は増えている状況下での開催。そして今年は、スタッフとして初参加。会場内に昨年のような“パトロール・スタッフ”はおらず、各自で感染予防策に留意した行動だ。取材したいけれど、嫌がられないか… 見えないウイルスに戸惑う。でも、いらぬ心配だった。声をかけた殆どのフジロッカーは、快く取材に答えてくれた。皆さんの心意気が温かい。そんな雰囲気に嬉しくなる。アルコール飲料の販売や深夜枠のライブと、嬉しい再開が多いけれど、コロナは今も進行中で、難しい状況が続く。フジロッカーも、スタッフも、フジロックを楽しみたい。でも参加したことで感染したり、自分がウイルスの媒介者にならないかなど、フジロックに来れた嬉しさと不安で葛藤していた人も、少なからずいたと思う。実際、私はそうだった。この状況下の様々な見解がある中で、開催を決断したフジロックに、感謝と尊敬の思いを感じていた。

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    リーダーの言葉の意味は?ルーキーの自覚が生まれる。

    ルーキーの私には記事のノルマがあった。それは路頭に迷わないように、リーダーが出してくれた道標だ。いよいよ、前夜祭からモアファンとしての活動が始まった。キャンプサイトがオープンする昼頃に会場入りして、まずは先輩スタッフに着いて行き、インタビューの流れを見せてもらった。例えば、目立つアイテムや服装など、ちょっと気になるフジロッカーに声をかける。良い意味でラフに話した方が、応え易いようだ。何とか自分も、勇気を出して実際に取材をする。そこから、下書きして記事をまとめて投稿するという一連の流れをやってみる。そして、翌日からは一人で動けるように準備を整えて、初日に臨む。あぁ、いちいち緊張する。

    物事を成し遂げるには、いかに準備が大事かということを、ここでも思い出していた。
    私は過去にライブを主催したことがある。仲間内の小さな規模だけど、準備、練習、リハーサル、連携…と、そこまでの過程が不十分だと本番が成功できない事を、身をもって学んでいた。その一連は、オルグスタッフでも言えることだと、連日会場を歩いて取材しながら感じていく。

    期間中は、リーダーMさんの「連れて行きたいんだ」という言葉を、度々思い出していた。「私はちゃんとできているか?スタッフとして連れて来て、失敗だったと思われていないか?みんなに邪魔だと思われていないかな」と、作業しながらの自問自答が続いた。その思いと並走して、自ずと責任感も生まれていた。

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    ルーキーという看板を励みに、とにかくやってみる

    フジロッカーズ・オルグには全国に支部があって、スタッフの住まいも様々のため、連絡手段はSNSを通じて行っていた。だからやり取りも、ラグを感じることはなかった。オルグに入った際は、自分の支部の上司が窓口になってくれて、さらにエクスプレス・スタッフになると、所属チームや各担当スタッフと連絡を取ったりと、オルグ全体が組織化されているという印象を持った。それぞれが本業の仕事もあって日頃忙しいはずなのに、フジロックが近づいて来るとさらに連絡も多くなる。オンラインでの全体ミーティングを数回行い、対面のミーティングはフジロック前に一回だけだった。それでも、メンバーの名前と役割も大体は理解できて、当日に会えた時は、なんだか嬉しかった。会わなくても打ち合わせは出来ているって、ちょっと不思議な感覚もありながら。
    ルーキーの私はとにかくスタッフの皆さんに挨拶をした。それぞれのタイムスケジュールで動いているから、毎日全員に会えるわけではない。緊張するけど、自分から声をかけた。

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    忙しくても、取材優先で観たいライブが観れなくても、スタッフは取材に出かけたり、黙々と本部テントで作業している。その原動力って、なんだろう。本当は、先輩スタッフにもインタビューしたかった。でも雑談していられないような忙しさだった。夜になったから作業終わり、ではない。自分の担当するタスクが全て終われば、その日は終了だ。だから、ルーキーの私は終わらなかった。取材で撮った写真のサイズを編集して貼り付けて、記事を下書きし、見直して修正する。一連の流れはシンプルなのに、通信環境の調子が悪くて遅かったり、書いたはずの記事が停電で消えてまたやり直したり、ドジばかりだった。この数秒のロスが積み重なって…眠い。もう夜も遅い。でも、私はスタッフになったんだ。どうすればこのロスをなくせるか。万が一、記事が消えても対応できるようにメモに残したり、少しずつ工夫を学んでいく。先輩達も、疲れていても作業を続けている。自分の力量の無さに嘆き気味に作業していると、「大丈夫?最初はみんなそうだから、切り上げて帰りなよ!」と先輩が声をかけてくれた。若干意地もあったけど、リーダーの言葉に、ルーキーなりの責任感を感じていた。

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    一般客として来ている私の夫は、キャンプサイトに泊まっていた。作業が終わって入浴を済ませ、ようやく私もテントに戻る頃、夫は睡眠中。一体、今何時だろう。体も気持ちも余裕がないルーキーだけど、なんとか終わったよ。と、やっと横になる。薄紫とオレンジ色を混ぜたような柔らかい空が、夜が明けていくのを静かに告げている。移りゆく瞬間なのに、写真を撮ることも忘れるくらいふわ〜っと空を眺める。テントの外に干してあるバスタオルと帽子が、「お疲れ様、お帰り」と迎えているようだった。疲れたけど、嬉しい。頑張ったけど、まだまだだ。こんな、達成感とも疲労感とも言い表せない気持ちは、初めてだ。

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    お守りが、力を貸してくれた。

    カスタマイズした腕章は、人見知りする私の味方になってくれた。サイレントブリーズでは、小さな女の子達がカプセルトイの容器にゴンちゃんを上手に描いて、マラカスを作っていた。声をかけると、私の腕章を見つけて「ゴンちゃんだ〜」と言ってくれた。そこから会話ができて、取材させてくれた。入り口ゲートでフジロッカーのメッセージ書きをしていた時も、たまたま先輩スタッフが、ある人のSNSのフジロックの呟きを見つけていて、会場で話を聞けたらおもしろいよねと言っていたのを覚えていた。偶然にもゲート前の取材で出会うことができ、彼女達も、私の手作り腕章に気付いてくれた。私なりの名刺、役に立ったね。

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    ルーキー、不安が上回る。
    自分の言葉に自信を持っていいよ。リーダーが教えてくれた。

    でも、本当は必死だった。先輩スタッフのように事前に情報を集めておいて、会場で取材に当たったり、コロナ前の人出などの比較といった、取材の展開もできない。かといって、これをやってという指示もない。自分で見つけて、発信する。読み手が求めるのはなんだろう?自分の主観でいいのか?不安が期待を上回ってしまった2日目の朝、会場にいるリーダーAさんに相談した。「自分が感じたことは他人には否定出来ないから、自信持って発信して良いんだよ」そう教えてくれた。胸の内のつかえが取れるようだった。
    それから、私を「連れて行きたい」と言ってくれたリーダーMさんの期待に応えられているのか?そう考えると、不安はやっぱり拭えなかった。
    「お客さんの目線に一番近いのがルーキーの今。その感覚を大事にして伝えれば良い。次はきっと、この感覚はもうないんだ」そう自分に言い聞かせて、会場に向かう。

    作業を続けていると、時々ふっと集中力が切れて、疲労に負けそうになる。気が付けば、グリーンからのサウンドが本部テントに流れ込んでいた。ふと、ポンチョも荷物も持たないで、PCも開いたまま、ぱっと立ち上がってグリーンに向かう。入り口付近で立ち止まると、当たり前だけど、みんなライブを聴いていた。椅子に座っていたり、ゴロンと寝転がっていたり、ご飯を食べたり。耳だけでも十分いいけど、やっぱり目で観る方がいいな。ライブを数分聴いて、ぐーっと伸びをして、本部テントに戻って作業再開だ。

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    今年オルグに入って、エクスプレス・スタッフではなく一般として来ていた私のオルグの〝同期〟と時々時間を調整して、本部テントからほど近いオアシスで合流した。緊張で戸惑いながらも記事を書いている私に「頑張って」と声をかけてくれた。眠気と不慣れさで作業の効率が悪くなってきた頃に、夫がコーヒーを差し入れてくれたり、会場内の写真を撮って送ってくれたりと、応援が心強かった。二人のリーダーの言葉も言い聞かせながら、今しかできないエクスプレス・スタッフとして、伝えられることをやろう。「睡眠時間を取るのがもったいない!」と思った。首から下げている腕章の〝お守り〟も、静かに見守ってくれていた。

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    偶然って、貴重な財産なんだ。初めての取材が教えてくれた。

    〝偶然〟は貴重な財産だ。これが、今年スタッフとしてフジロッカーに取材して、実感したことだ。幸運なことに一日一組はお話を伺うことが出来た。手作りのゴンちゃんうちわを持って参加した仲間達、奥さんが大きな花のカチューシャを着けた、とってもポジティブな家族、妄想で長距離を歩いて苗場入りしたという、発想が楽しい女性とその良き理解者の友人、フジロックが大好きだった亡きご主人をTシャツに描いて、みんなで参加した家族と仲間、自転車で名古屋から北海道と渡って、帰る道中でフジロックに参加した旅人。今年のフジロックに至るまでの過程や思いを、いろんな言葉や表現で聞かせて頂いた。〝聞く〟って、シンプルなことだけど、こんなにも色んなことが吸収できるんだな。たくさんの人と出会って話を聞いて、改めて感じた。

    FUJIROCK EXPRESS ’22

    フェスに感謝したくなる。それが、フジロック。

    後日こんな知らせを聞いた。亡くなられたご主人のインタビューをさせてくれた女性は、実は私のフェス仲間の友達だった。私のフェス仲間は、コロナでフジロックに来るのを断念していたが、私のルーキー初陣を応援していて、記事を読んで気が付いたんだそう。偶然の出会いで取材した人なのに、間接的に繋がっていて、なんだか面白い。

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    最終日、フジロックの公式カメラマン宇宙大使☆スターさんが、入り口ゲート前でお客さんに取材する私の姿を写真に収め、SNSに載せていた。それを後日オルグのリーダーが見つけ教えてくれた。
    『今年のフジロック、「初めて来ました」という人たちに沢山会いました。「どう?はじめてのフジロックは?」って聞くと、「ヤバい、ヤバい、ヤバい、なにこれ?」の連発。「何が印象的?」って聞くと、「スタッフがめちゃめちゃ楽しそうなのが、ちょー最高!」だって。その一言、なんか、嬉しかったなぁ。みんなで創り上げ、みんなで楽しむ。それがフジロックであり、それが「お祭り」なんだ、と思ったフジロック2022でした。』というコメントと共に、私が写った写真が添えられていた。私の後ろ姿から〝楽しそう〟な雰囲気が出ていたのなら、本当に救われる思いだ。内心は心配で不安で精一杯だし、連日の睡眠不足で思うように動けないし…と自分のキャパの小ささを感じていたところだったから。

    あの写真の向こう側にいるフジロッカー達と炎天下の中、フジロックが大好きだったという亡きご主人を思って、みんなで泣いた直後だった。その写真には、スタッフジャンパーの「FUJI ROCK FESTIVAL 2022」のロゴも写っていて、私にとっても嬉しい思い出となった。

    楽しくて、自然と感謝したくなったフジロックに、私は何ができたのか。恩返しがしたいなんて大きなことを言ってしまったが、はたしてそれはできたのか。フジロックにはそれぞれのエピソードがあると思う。フジロックに初回から参加している人もいれば、数年空いて復活した人も、今年初めての人もいた。それぞれにフジロックを思い、そのために逆算して家事をこなしたり、貯金や節約もしただろう。休みを確保するために仕事の同僚に相談したり、調整もあっただろう。コロナで断念した人もきっと多かったと思う。

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    一年に一度のフジロック。ここに来るために、人生の節目を迎えて来ているのだと思う。そんな、イベントだけど日常に寄り添っているフジロッカーの人間模様の一部を、フジあるあるを話しながら聞き出し、記事として発表できたのは、私がやりたかったことに寄せられていて、ありがたかった。フジロックに直接的な恩返しができたとは言えないかもしれないけれど、人生のページをめくりながら、「ただいま!」と毎年苗場に帰って来るフジロッカーの思いを綴り、彼らのフジロック愛を、ほんの少しだけれど伝えられたと思う。ルーキーで要領が悪くて、決して上手ではない私が、自分の言葉でフジロッカーの思いを代弁できた2022年は、本当に貴重な経験となった。

    この機会を作ってくれたフジロッカーズ・オルグ、出会えたみなさんにありがとうと言いたい。泣いたり笑ったり、思いをつなぐフジロックに、ありがとう。
    2022年、ルーキー夏の記録。

    それから季節が一周して、桜が散って、新緑が増えて、半袖を着始めたら、もうすぐだ。フジロッカーズ・オルグ、2年目の今年も、たくさん遊んで、楽しむんだ。フジロックで。

    Text by 小亀秀子

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