• 津田大介氏インタビュー(後編)~アトミック・カフェの8年を振り返る~


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    前編から続く)アトミック・カフェの司会である津田大介氏のインタビュー後編である。前編は音楽好きの少年が社会人になってフジロックにハマるまでの話をお届けした。後編は2012年よりアトミック・カフェの司会として関わるようになってからの話である。アトミック・カフェを振り返り、名場面を語ってもらった。もし、フジロックに来る機会があったら短い時間ながらも爪痕を残すアトミック・カフェに足を運んでもらいたい。

    なお、インタビューは今年の4月中旬、Web会議サービスZoomを使用してリモートでインタビューを行った。一緒にインタビューに参加したのは、前編に引き続き、共著『音楽が聴けなくなる日』(集英社新書)が発売中の永田夏来である。

    津田大介 公式HP
    津田大介 Twitter
    アトミック・カフェ公式HP

    アトミック・カフェに関わる

    ─ アトミック・カフェに関わるきっかけを教えてください。

    津田:2011年にアトミック・カフェが復活したのですが、2011年は普通にお客さんでいったんです。鎌仲ひとみ(映画監督)さん、飯田哲也(環境学者)さんのトークもよかったし、何よりYMOの3人が語っていましたね。いい話をしているし、フジロックの客層とも合っているのに、お客さんがあまり多くなくて、もったいないなと、自分が上手く司会で絡めるといいなあと思ったんです。そうしたらアトミック・カフェの企画をやっているNGOヴィレッジの村長の大久保青志さんから2012年のアタマくらいにこういう企画あるんですけど、やりませんかっていうのが来て二つ返事で引き受けました。

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    鎌仲ひとみ、飯田哲也・他 2011年 レポート
    YMO 2011年 レポート

    フジロッカーズorg NGOヴィレッジ村長・大久保青志さんインタビュー

    ─ 例年どれくらいから準備を始めるのですか?

    津田:例年2月から3月くらいに大久保さんから連絡きて、「今年はどうしますか?」みたいな話がくるので、そこから関心ありそうな人に声をかける感じですね。

    ─ 当日の動きを教えてください。

    津田:トークをやる1時間くらい前にアヴァロンの楽屋に集まって、トークがあってライヴがあって、だいたい3時間くらいアヴァロン近辺にいるって感じですね。自分にとって深刻な問題で、2012年以降、客としてフジロックはなかなか楽しめなくなりました。14時から17時あたりってちょうどいい時間帯じゃないですか。ラインナップの発表があって「うわ! これ来るんだったら絶対観るぞ」っていうアーティストがあるときに、大抵アトミックカフェとカブるんですね。なので、ぬか喜びがすごく増えました。なのでアーティスト発表があっても、すぐには喜ばないようにしています(笑)。アトミック・カフェ自体はすごく楽しいし、企画が続く限りこの仕事は続けたいなって思う一方で、お客さんとしてはフジロックを満喫できなくなったので、それが少しだけ寂しいですね。

    ─ ヘッドライナーあたりは観られるのですか?

    津田:基本的にはそうですね。でもあんまりグリーンのトリを観るっていうのも少なくなって、そういう時間帯のときは外で酒を飲みながら友達とまったりすることが増えました。

    「こういう場所が日本にも存在するんだって」知ってもらう

    ─ アトミック・カフェのゲストの人選で心がけていることは?

    津田:フジロックって雰囲気がいいじゃないですか。あの場所の特殊な多幸感というか、こういう場所が日本にも存在するんだっていうことを、ゲストの人たちに知ってもらうことがすごく大事だなと思っています。お客さんたちもいいし──しかも、同時間帯でもっと魅力的な音楽があるのに、わざわざアトミック・カフェで話を聞きにくるような人たちだから、意識が高くて、めちゃくちゃいいお客さんたちなんで、そういういいお客さんをゲストの人たちに見せたいなと。見せたときに上手く化学反応できるようなゲスト、意外性があるけどいいなと思うゲストを選びたいと思っています。

    典型的なのは田原総一朗(ジャーナリスト)さんとかね。フジロックに田原総一朗かよってウケてましたし、田原さんも楽しんでくれたし。あと、東浩紀(批評家)さんや坂口恭平(建築家、作家、アーティスト)さんもよかったし、あとは変化球ですが、もんじゅ君もよかったです。

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    田原総一朗 2014年 レポート
    東浩紀 2013年 レポート
    坂口恭平 2017年 レポート
    もんじゅ君 2012年 レポート

    永田:もんじゅ君のブッキング、印象的でしたけど決めたのは誰だったんですか? もんじゅ君が楽しみなアーティストにU-zhaan(ユザーン)を挙げていたのが印象に残ってますが、誰かが教えたのですか?

    津田:もんじゅ君は僕からのブッキングです。もんじゅ君の中の人が本当にU-zhaanが好きだったんです。

    U-zhaan 2012年 レポート

    永田:2012年のアトミック・カフェは、もんじゅ君とジュニアアイドルの藤波心ちゃんとのごった煮的な感じで、フジロックにこういう切り口があったかと新機軸だと思いました。

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    津田:あの企画が決まってからぬいぐるみを作りましたからね。あと宮台真司(社会学者)さんもよかったですね。ああいう文化芸術が好きで語ることができる人の枠を入れたいなと思っています。30分の短い時間だけど、フジロックのお客さんが聞いてよかったなっていう。出演者の人たちがテレビやラジオでしない話ができる場所っていうのがすごくいいなあと思っているんで。木村草太(憲法学者)さんもすごくよかったです。

    永田:黄色い声援が飛んでました。

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    宮台真司 2019年 レポート
    木村草太 2018年 レポート

    ─ 呼びたい人はどんな人ですか?

    津田:30分って超短いですよね。あっという間に終わってしまうから、1時間くらいかけて最後の方ですごく盛り上がるのはある程度できるんだけど、30分だと、最初の5分から全開で盛り上げられるトークができる人って限られてくるんです。その盛り上がりを意識します。アトミック・カフェって基本的に原発のトークをする80年代にやったイベントの後継でもあるわけなんだけど、やっぱりここ数年は、その時々の社会問題──安保法制の話をしたり、沖縄の話をしたり、去年だったら永田さんも登壇者になった音楽の自粛問題だったり──お客さんにとって意外性があるゲストで、観に来てもらって、そこですげえいい話が聞けて、上手くいくとしてやったりって感じがありますね。

    ─ ゲストの人たちがリベラルに寄っているということはないですか。バランスを取ることはないですか。

    津田:あんまり右・左では考えてないですね。音楽って人を自由にしてくれる、解放してくれることがいいですよね。音楽が好きな人って自由が好きなんだろうなと思うんです。そういうことを改めて確認させてくれる場所がフジロックだと思っているんで。だから左寄りっていうよりはリベラルな人の話を聞きたいし、お客さんに聞いてもらいたい。リベラルの人が相性として組み合わせがよくなる。思想的に右でも自由が好きな人がいればいいんですが。アトミック・カフェなんで、原発のことを考え続ける──今年やるんだったらコロナウィルスの話にもなるんだけど、原発の話をするという基本線は大久保さんもずらしたくないだろうし、僕もちゃんと残した方がいいと思うので、そこのゲストの難しさもあるんですよね。

    去年はドラッグで捕まったアーティストの作品が販売停止になったというのがあって、今年だったらコロナウィルスで自粛になった文化を守れっていう、業界自体が生き残れるかどうかという大きな話がある。なのでそういう話をせざるを得なくなってくると思うので、そういうテーマで話せる人がいいなぁと思うんです。

    フジロックでの体験を日常に生かすには

    ─ アトミック・カフェをやるにあたって苦労していることはありますか?

    津田:辛いことは全然ないんですけど、声を掛けるとけっこう「苗場遠いわー」って断られちゃうこともあるんですよね。フジロックに出られることを面白がってくれる人でないと難しい。大久保さんの方で「この日はこの人でいこう」っていうのが決まっているときもあるので。

    ─ 今までで、ベストと思われる年はありますか?

    津田:一番お客さんが盛り上がったのは、東浩紀さんの回だったと思います。彼も普段と全然違う客層なんで、結構煽るようなことを言ってて、すごくお客さんも掴まれていったなと思うし。

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    永田:あの時は、東さん自身がダークツーリズムの話をちょうど形にし始めた頃で、原発をどう捉えるのか積極的に発言しようとしていたときですね。ツイッターで前の日ぐらいから「フジロックに行ったら石投げられるんじゃないか」ってブルー入っていて。私みたいにアトミック・カフェ全部観ている人もあんまりいないと思うけど、初日のもんじゅ君で「何だこりゃ」とすげえカオスみたいになって、おトキさん(加藤登紀子)と(佐藤)タイジは想定通りの安定感あって。最後の日に東さんが出てきて「どうなるんじゃろ」と思ったら、始めは客席もどう受け止めたらいいのかわかんないみたいな緊張感あったけど、東さんが前の方に出てきて立ち演説になって。

    津田:最後の15分くらいはすごかったですね。

    永田:「なんで、俺アジテーションしてるの?」みたいなことを東さんが途中で言ってて、「いやいやそういう場じゃないですか」って津田さんが言ったっていう。たくさんのお客さんを入れて、気持ちがある人がしっかり話をするとこんなに場が盛り上がるんだというのを体験した感じですね。特殊な空間ができたなと思います。

    津田:あと記憶に残っているのは、やっぱり奥田愛基君がゲストに出てくれたときですね。あのときは僕が司会として壇上からヤジ飛ばしてきたお客さんと言い合いするという初めての体験をしました(笑)。

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    奥田愛基 2016年 レポート

    永田:あれも面白かった。そのときに奥田さんが「民主主義って面倒くさいんですよ」っていうことを言ってて、なるほどこういうことかと思いました。アトミック・カフェは、お客さんを入れて思想とか政治について話すっていうことを実際に体験できる場所としての機能がすごくあるなと思います。坂口恭平もすばらしかった。あのあと1年間は坂口恭平のモノマネで我が家は盛り上がっていました。すごかったよ、あの場を巻き込んでいく言葉の力が。坂口さんの言葉にみんなが共鳴していって意識を伝達していく過程が体験できて、それは本とかYouTubeの配信を観ているだけではできない「その場に参加する」っていう面白さがありました。私からも質問なんですが、津田さんは司会をやっていて、話の流れを持っていくうえで気を付けていることってあるんですか?

    津田:ずっと考えていることは東京のスタジオでやるんではなくて、苗場に来てもらってわざわざ話すってことを意識しています。アトミック・カフェ・トークを何度か聞いてくださった人のなかには気付いている人もいるかもしれませんが、ゲストが来たときに最後の方で僕が必ずする質問があるんです。それは「フジロックで今日話したことを、自分の地元に戻ったときにどうすればいいのか。日常に戻ったあとで自分が一歩一歩変えていくには何をすればいいのか」ということです。フジロックって、日常のいろんなものを発散して解放される場所ではあるし、それは素晴らしいと思うんですけど、やはりそれは日常から切り離された場所ではなくて、日常とつながっている場所であってほしいなと思うんです。フジロックのときだけ解放されるっていうのではなくて、フジロックで解放された感じで365日過ごせた方がいいに決まっている。そうなるにはどうすればいいのか。自分の日常をどう変えていくのか。そこで政治とつながってくると思うんですよね。

    話が面白かった、よかったというよりは、むしろモヤモヤした感じを日常に持ち帰ってもらって、そういうのを感じながら暮らして欲しいなと。そうすれば「あの時、あそこで言われたことは、こういうことか」ということがあとからわかったりする。それを意識してお客さんに伝える司会をしようと思っています。当事者意識を持ってもらうってことなんですけど。

    永田:基本的にフジロックはアーティストがでるものなんだけど、アーティストじゃない人がでることができる唯一の枠がアトミック・カフェですね。アーティストじゃない立場だからこそできる、フジロックに対しての貢献はお客さんに何かを残すってことだけですか? それともフェスに影響を与えている意識はないんですか?

    津田:わざわざこれを見に来てくれたお客さんの満足度を高くするにはどうすればいいかということだけ毎回考えています。他のバンド、すばらしいミュージシャンたちがライバルなので、あえてそっちを蹴ってこっちに来た甲斐があったと思わせないと負けですから。30分という限られた時間や様々な制限の中でどういうパフォーマンスをだせるのか。

    ─ 最後にフジロッカーへのメッセージをお願いします。

    津田:僕もアトミック・カフェが始まったころと比べると世間の印象が大きく変わったと思うんですよね。具体的にはすごくパブリック・エネミー感が増しただろうなと思うので(笑)、会場で見かけても優しくしてほしいなぁと。まあでも、なんだかんだで毎年暖かい声を掛けてくれる人がいるので、そういうときは「あー、自分はこの場にいていいんだ」とホッとします。もし、アトミック・カフェが終了することになっても、フジロックが続く限りは毎年来ようと思ってるので、見かけたら気軽に声かけてください。苗場で乾杯しましょう!


    以上、インタビュー後編をお送りしました。このインタビューは4月中旬におこなわれたので、今年のフジロックはおこなわれることを前提に話しています。しかし、残念ながら6月5日に今年のフジロックの延期が決まり、それを受けて津田さんがメッセージを寄せてくれました。

    フジロック2020の来年への延期が正式に発表されてしまいました。ほかの主要な夏フェスも軒並み中止になっていましたし、世界の状況を見ても大きなフェスは中止に追い込まれていたので、正直3月下旬ごろには「今年のフジロックは無理だろう」と覚悟はしていました。

    コロナ禍は我々から様々なものを奪っていきましたが、これがきっかけになって、育まれているものもあります。具体的には、少なくない人々が文化芸術を「生きていくのに欠かせない存在」であると認識したことです。これまでは当たり前のように享受できたものが、突然その機会を奪われる。失って初めてその大切さに気付くということはよくあることで、それが世界中、あらゆる分野で起きているのだと思います。

    ちなみに、2月から2カ月程度ロックダウンをしていた上海では、ロックダウンが緩和されて以降、個人店のレストランの売上がコロナ前より2~3割伸びているそうで、現在も減る気配がないそうなんです。この売上が半年続けば2カ月お店を閉めていた損害をカバーできると。他方で全国どこにでもあるようなチェーン店の売上は3割減くらいになっているようで、飲食業界の関係者によると、コロナで外食できなかった期間にお客さんがひいきの店への「ラブ」が高まって、ロックダウン緩和されたら何度も行ってお店を支えなければと思ったことが原因だろうと。自分たちが支えなければ、当たり前のように享受できていたものが突然失われる。だから積極的に支えるのだ――この現象は、飲食店だけでなく、音楽業界でもまったく同じことが起きると僕は予想しています。

    コロナでアーティストやフジロックのような場に対する「ラブ」が音楽ファンの間で高まるけれど、すぐにはライブに行けるわけじゃない。その期間が長ければ長いほど、いざライブができるようになって「ラブ」を放出できるようになったときの盛り上がりはヤバいだろうなと。だから、そのときまで音楽業界はサバイブするための様々な方策をとって、何とか生き残ってもらいたいです。そして、感染を心配することなく楽しめるようになったら、全力でファンからの「ラブ」を受け止められるようにする。いまはその準備期間なんだと前向きに思うことが未来を切り拓く意味で大事だと思うんですね。

    来年――もしかしたら再来年以降になってしまうかもしれませんが――無事にフジロックが開催されたら、それはフジロッカーにとって、格別な時間、体験になるはずです。そのときに500%楽しめるように、いまから「ラブ」を貯めておきましょう。僕も皆さんと苗場で乾杯できる日を楽しみにしてます。

    Text by イケダノブユキ
    Photo by 花房浩一、MITCH IKEDA、深野輝美、直田亨、おみそ、アリモトシンヤ、古川喜隆

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