• 津田大介氏インタビュー(前編)~音楽好き少年がフジロックにハマるまで~


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    フジロックには、オールナイトフジのように「フェスティバル内イベント」があるけど、2011年からジプシー・アヴァロンで行われるアトミック・カフェもそのようなフェス内イベントであろう。もともとは80年代に、核兵器に関するアメリカのドキュメンタリー映画である『アトミック・カフェ』を日本でも上映しようする運動がきっかけとなってはじまった反核・反原発イベントで、加藤登紀子、浜田省吾、宇崎竜童、尾崎豊、ザ・ブルーハーツ、ルースターズ、エコーズ、BOØWYらが出演した。2011年の東日本大震災を受けてフジロック内に復活。そのイベントの司会を務めているのが今回のインタビューに登場する津田大介氏である。

    インタビューでは津田さんの半生を振り返り、音楽好きの少年がフジロックにハマるまでを前編、アトミック・カフェに関わるようになってからを後編としてお送りする。インタビューは今年の4月中旬、Web会議サービスZoomを使用してリモートでインタビューを行った。一緒にインタビューに参加したのは、フジロッカーズorgのメンバーとしてアトミック・カフェをレポートし続けて、昨年のアトミック・カフェには出演者としてステージに立った永田夏来である。そのときに語られた「ミュージシャンの薬物事件による音源自粛問題」は、今年5月15日に発売された『音楽が聴けなくなる日』(集英社新書)としてまとめられているので、この問題に関心のある人は必読。

    津田大介 公式HP
    津田大介 Twitter
    アトミック・カフェ公式HP

    バンドに熱中した高校時代

    ─ まずは音楽遍歴を教えてください

    津田:実家は裕福ではなかったのですが、子どものころから割と音楽が身近にありました。小学生低学年のころはピアノを習っていたので、その後楽器を弾くことに抵抗がなくなったのは大きいですね。普通にテレビっ子だったので『ザ・ベスト10』などの歌番組を観ていました。初めて買ったレコードは小泉今日子の「渚のはいから人魚」です。中学では吹奏楽部に入ってユーフォニウムを吹いてました。小学生のころからテレビゲームが大好きで、ゲームセンターにもよく行ってました。ちょうどそのころゲームミュージックがレコード化されていたので、当時はゲームミュージックをよく聴いてましたね。この体験があったから後にテクノなども抵抗なく聴けたと思います。ロックの入り口は、中2(1987年)のとき、クラスメイトから薦められて聴いたBOØWYでした。ただ、BOØWYを好きになっていろいろ聴き始めた瞬間に解散が発表されてショックを受けました。やっぱりバンドを追いかけるならライブに行きたくなるし、解散してないバンドを探そうと思って地元にあったレンタルレコード屋に行って気になるバンドのレコードを借りて聴きまくっていました。受験直前、中学3年の冬にイカ天(『三宅裕司のいかすバンド天国』)が始まったことも大きかったですね。あまりにも面白くて毎週楽しみに見ていました。

    小泉今日子 “渚のはいから人魚”

    BOØWY “MARIONETTE”

    高校に入ると本格的に音楽中心の生活になっていきました。自分の入った都立北園高校は制服と校則が一切ない大学みたいな学校でした。かったるかったので授業にも出ず、その時間部室にこもって友人とボンバーマンとか桃鉄やっていても何も言われないし、授業がやたら休講になるので、休講になったらみんなで近くのボーリング場やゲームセンターに繰り出してそのまま学校には戻らないみたいな(笑)。自由過ぎる高校がすごく楽しくてバンドや音楽の部活ばかりやっていて、その中でエレキベースを始めました。バンドブーム全盛期でクラスの男子の半分くらいはバンドをやっていた、そんな時代ですね。最初はBOØWYやブルーハーツ、ユニコーン、JUN SKY WALKER(S)など、当時流行っていたバンドのコピーをやるところから始まり、それらをやり尽していくと、今度は爆風スランプや米米CLUBみたいなテクニカルなバンドのコピーとかやるようになって……特に米米CLUBはSUE CREAM SUE(シュークリームシュ)役として女子2人のダンサーが入ってホーンセクションも入れて本格的でしたね。高2の文化祭が終わってコピーバンドに飽きたねと、オリジナル曲を作り始めて、高3の文化祭でオリジナル曲だけでやったら、賞もらうことができて、そしたら体育館で開催された卒業式の謝恩会で卒業生の前でライヴをすることに。そんなリアル「けいおん!」みたいなエピソードもあったりします。

    米米CLUB “sure danse~どうにもとまらない”

    音楽やりながら新聞部の部長もしていて、高校3年の1月まで新聞を出していました。まあそんな感じの高校生活だったので、受験勉強は全くしませんでした。結果、順調に浪人したんですが、そのときに毎日遊んでたゲーム機をしまったんですね。ゲームやらなくなった分、音楽への情熱は高まることになり、浪人時代は予備校のある高田馬場や、池袋・新宿・渋谷の中古CD屋を回るというのが1日のスケジュールでした(笑)。よく大学受かったなぁといまでも思います。それくらい音楽をとにかく聴きまくっていた。

    CD漁りする上で当時役に立ったのが『布袋寅泰のRadio Pleasure Box』です。(元BOØWYの)布袋寅泰がNHK-FMでやっていた番組からできた本がめちゃくちゃよくて、この本でクラシックなロックから当時のデジタルロックやジャーマンニューウェーヴを知りました。高田馬場の中古CD屋にいったら、他で見みつからなかったディ・クルップス(Die Krupps)のベスト盤が見つかったときは狂喜乱舞しましたね。そうやって、中古CD屋を回っていくのにさらにハマっていきました。

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    DIE KRUPPS “Risk”

    充実した音楽ライフを送る一方で、未来への不安はやっぱりあって、浪人生をやっていると精神が荒んでくるんですよ。聴く音楽の趣味もどんどんアヴァンギャルドなものを聴き始めて、そのうちジョン・ゾーンとかエクストリーム・ノイズ・テラーとかそういうのに行き着くんです。そこまでいくと「もうドラムの音もいらないな」ってなって、それよりもっと激しいものを聴きたくなってインダストリアルとか100%ノイズのホワイトハウスやSPK、非常階段とかずっと自分の家で聴いていたので、近所でも噂のヤバいやつだったみたいです。「津田さん家の息子さんが浪人して気がへんになったみたい」と(笑)。あの一年間ずっと音楽を聴いてきた経験があったから、いまでもずっと音楽が好きで聴いている部分はありますね。

    John Zorn “TV-LIVE”

    Whitehouse “On Top”

    宅録をしていた大学時代

    津田:高校のころから音楽と雑誌、テレビが好きだったので、将来はマスコミに行きたいと思ってました。マスコミ行くなら出身者の多い早稲田に行くのが王道だろうと思って、現役のときも浪人のときも早稲田の複数の学部を受けたんですが、なんとか社会科学部に滑り込むことができました。サークルも音楽だろうと思ったんですけど、早稲田って音楽サークルだけで200~300あってものすごく多いんですよね。4大サークルっていうのがあって、一応、説明会をみたんですけど、高校があまりにも楽しくて、やれることを全部やってきたし、一浪して精神的に荒んでいたので、説明会とか行ったら「バンドサークルのリア充たちが、もう無理」ってなっちゃったんです(笑)。どこも違うなと思って気持ちが荒んで歩いているときに、たまたまやっているサークルをみたら多重録音芸術研究会というサークルが目について。名前がよかったんです。宅録で自分たちの曲を作って、聴かせ合ってお互いに批評するという根暗なサークルなんですけど(笑)。

    そのサークルからゲーム会社いってナムコの「風のクロノア」の音楽をつくったサウンドクリエーターや、Mind Design、Fantastic Explosionというテクノユニットのメンバーだった澤田さんなどがOBにいました。そのサークルの居心地がよくて、3年のときには結局幹事長もやりました。アルバイトしてシンセ買ってパソコンの使い方覚えてテクノやエレポップを作ってましたね。

    Fantastic Explosion “UFO is Coming”

    僕が大学に入学した1993年はまだ牧歌的、かつ大学が「レジャーランド」と揶揄されていた時期です。実際大学時代の僕は典型的なダメ大学生で、授業にでた記憶がほとんどないんですよね……。それでも大学4年生になるとどうしようということになるんです。就職活動をするかしないか。高校のときに新聞部にいて新聞づくりが楽しかったので、マスコミの世界にいくか、好きな音楽かどっちかだなって思ったんです。先にどちらに適性があるかやるだけやってみようと思って、あるレコードショップがやっていたオーディションがあってデモテープを送ったら、そのデモテープが最終選考の8組に残ったんです。その8組で野外ライヴをやって、そこで優勝したらインディーズでデビューって感じだったんです。結局優勝できなかったんですけど、そのときに割と満足したというか。当時の思い出でいうと、ケラさん(現・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)が1996年くらいに休止していたナゴムレコードを復活させる動きがあって、デモテープを募集にテープ送ったんです。そうしたらケラさんから連絡がきて実際に喫茶店で会って話すことになりました。あのときは緊張しましたね……。

    ある程度真剣にやれば、インディーズでデビューするくらいにはいける、音楽の才能がないわけではない。と同時に思ったのは練習がすごく嫌いで、一日中、練習に集中はできないなぁっていうのがあって、だったら音楽は趣味で好きなものとしてやって、自分は文章書く方が合っていると思って、そっちを目指そうと人生の目標が決まったんです。

    それで、出版社を受けていいところまでは行くのですが面接で落とされて、という経験が続いて、人格が否定されたようですごく落ち込みました。と言いつつ、もし受かったとしても普通に単位落として留年してしまうんで内定取れたとしても結局行けなかったんですけどね!(笑)就活全滅してどうしようかなと思ったときに、多重録音芸術研究会の先輩たちから一通りパソコンとインターネットを教えてもらっていたので、パソコン雑誌で書いているライターさんのアシスタントをやりながら、商業原稿を書くようになりました。僕の初商業原稿はIOデータからでている安いGM音源のレビュー記事でした。働きながら大学の残った2コマを受け、何とか1998年に奇跡的に卒業することができました。

    第1回のフジロックに……

    ─ そのころにフジロックも始まってますね

    津田:友達に誘われてフジロックの第1回にいってるんです。チケットも買っていたんですが、会場へ向かう電車の乗車率が300%くらいで死にそうになって、ようやく着いたら、そこから行列で何時間も待って雨も降ってきて、僕の中ではフジロックはトラウマになってました。4時間くらい並んだんですけど、途中で友達たちと「もう帰ろうか」って話になって……あとからしてみれば伝説の第1回じゃないですか。そこに居合わせたかったと思うと同時に、そのときTシャツ1枚とビニール傘でいっていたので絶対にろくなことになってなかっただろうから帰って正解だったなと(笑)。観たかった、でも観られなかったという思いが強くて、それ以降フジロックに行くもんかと、頑なになってました。

    フジロックに行くようになったきっかけはmixi(ミクシィ:FacebookのようなSNSサービス)ですね。2004年くらいはmixiが一番盛り上がっていた時期だと思いますが、自分には音楽好きの友達が多かったので、マイミクがみんなフジロックに行ってたんです。彼らが携帯で現地の様子を書き込んでいて、それ見てなんて面白そうなイベントなんだと(笑)。その期間、東京でその書き込みを見せられるわけです。それ見て下らないプライドは捨てて翌年から行こうと決めました。

    ベストアクトは

    ─ 初めてのフジロックはどうでしたか?

    津田:なんだかんだで初めて行った2005年が一番記憶に残ってますね。とにかく初回だったので、楽しさが異常でした。なんでこんなに楽しいところに意地になって来なかったんだろう? って後悔しました。当時よく聴いていたミュージシャンのライヴを観られたっていうのがよかったですね。

    よかったのは解散ライヴだったレッドマーキーのPEALOUT。カイザー・チーフス、フューチャーヘッズ、シャーロット・ハザウェイとかもよかったです。フジロックって、がんばれば前の方に行けるじゃないですか。今だったらそんな体力ないですけど、昼から明け方まで何かしらずっと観て、これ以上楽しみ尽くせるものがなかっただろうなっていうのが2005年のフジロックですね。

    ピールアウト 2005年 フジロック ライヴレポート
    カイザー・チーフス 2005年 フジロック ライヴレポート
    フューチャーヘッズ 2005年 フジロック ライヴレポート
    シャーロット・ハザウェイ 2005年 フジロック ライヴレポート

    ─ ベストアクトは何ですか?

    津田:ベストアクトを挙げるなら2008年のマイ・ブラッディ・ヴァレンタインですかね。マイブラはブートレグ盤を集めているくらい好きで、初来日は行けなかったので、生で観る初めてがこのときだったので最高でした。マイブラに並ぶくらいよかったのが、2007年のバトルスですね。ドラムのジョン・ステニアーが好きなんです。2008年のマーク・スチュワートも最高でした。2005年のビーチ・ボーイズも多幸感あってよかったですし、同じ年のニュー・オーダーも印象に残ってます。真剣に観ていたのはこの辺ぐらいまででした。

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    MY BLOODY VALENTINE “Soon”

    マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン 2008年 フジロック ライヴレポート
    バトルス 2007年 フジロック ライヴレポート
    マーク・スチュワート 2008年 フジロック ライヴレポート
    ビーチ・ボーイズ 2005年 フジロック ライヴレポート
    ニュー・オーダー 2005年 フジロック ライヴレポート

    ─ 他のフェスはいかがですか?

    津田:フジロックがあまりによかったので、フジが大好きな人たちに話を聞くとみんなRISING SUN ROCK FESTIVALに行ってるんですね。なので、ライジングに行ったら超楽しかったです。ロック・イン・ジャパンには実は3回行ってるんですが、サマーソニックには行ったことがありません。あと今はトークの司会の仕事でもあるんですけど、中津川 THE SOLAR BUDOKANも最高ですね。フジロックのよさがありつつ、めちゃくちゃ快適で、中津川フォークジャンボリーをやっていたという歴史性のある場所だし、すごくいいですね。あと去年初めてだったんですけど、森・道・市場に行ってこのフェスもすげえいいなと思いました。自分のなかでも夏はフェスに行くというのがこの15年くらいの定番になりました。

    (後編に続く)

    Text by イケダノブユキ
    Photo by 古川喜隆、Izumi Kumazawa

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