フジロック直前!大将インタビュー(前編)「ボブ・ディランがフジロックを選んでくれたことに感謝」
- 2018/07/07 ● Interview
フジロッカーの皆さま、こんにちは! 当日に向けての準備は進んでいますでしょうか?
ボブ・ディランの出演決定で、例年以上に注目度が高まっている今年のフジロック。1999年に会場が苗場へ移ってから20回目を迎え、グラストンバリー・フェスティバルからは、大人の遊園地「アンフェア・グランド」もやって来ちゃう2018年は何だかとても特別な感じがします、大将!
というわけで、大将ことSMASH代表 日高さんに、前のめり気味でそのあたりの話を聞きに行ってきました! ボブ・ディランのブッキングや出演時間などの話、大将の夢、そしてフジロック当日のお楽しみあれこれ等、色々と聞くことができました。開催まで1ヶ月を切ったワクワク感を更にアップしてもらえたら幸いです!
ボブ・ディランの出演決定に一番驚いたのは大将!?
─ 今回、日高さんの夢であったボブ・ディランの出演が決定し、苗場での開催が20回目ということに重なって、今年のフジロックに対して、いつもとは違った特別な思いというのはあったりしますか?
別に特別な思いはないよ。
─ え?ないん、ですか・・・!?
ボブ・ディランについては、「え、来てくれんの…?」っていうのが本音だよね。前に、こちらからオファーしたことがあって、その時は本人も乗り気になっていたんだよ。ただ、あの性格だから、途中で突然話が立ち消えになってね。交渉もかなり進んではいたんだけど。まあ、いかにもボブ・ディランらしいよね。あの気まぐれな性格というかさ。
─ なるほど。その時は、わりと直前で無しになってしまったのでしょうか?
直前まではいかなかったんだけど。やっぱしそうかい、って感じだったよね。フジロックの3~4カ月くらい前だったかな。だから手は打てたんだけど。でも、今年は向こうから話が来たんだよ。
─ 日高さんからオファーしたわけではないのですね?
そう、向こうから「出たい!」って。「え、本当に?」って感じだよ(笑)。
─ 今回オファーをもらった時、前回の件があるので本当にこのまま正式に出てくれるだろうか、という懸念はありましたか?
うん、それはあるよ。今でも思っているもんね。出演決定にはなっているけども。まあ、当日、会場に顔を見せて、ステージに上がったら「ああ、来たんだな」と(笑)。まあ、そんなことはないけどさ。それぐらい慎重にやらなきゃいけないってことだよね。
大将が考える「ボブ・ディラン」という人間
君たちは、まだボブ・ディランという人について人間的にあまりわからないかもしれないけど。彼は反戦といった社会的メッセージを歌ったりしているけど、彼自身はさ、自分が反体制の人間だとは思ってないんだよ。ただ、その時に歌いたいことを歌っただけで。
俺から見ればの話だけど、1960年代にアメリカがものすごく揺れている時に─ヒッピー・ムーブメントであったり、同性愛者の解放運動であったり、ベトナム戦争であったり、キング牧師の公民権運動だったり─彼は本当に自分が歌いたいことを歌っただけ。だから「アンチ・アメリカ!」という姿勢で歌っているつもりはない、反体制だとは思っていないと思うね。
─ その時に自分自身が純粋に感じたことを歌う人なんですね
うん、その時の自分の思いを歌ったんだよ。今回フジロックに来てもらえて本当に嬉しいよね。他のアジアの国でも演奏するんだよ。フジロックが決まった、ということで。他の国はフェスティバルじゃないけどね。
─ ツアー日程を見ると、アジアを回って最後はオーストラリア、ニュージーランドですね。
そう、フジロックの前に韓国があって、フジロックの後は台湾、香港、シンガポール。で、その後にオーストラリアの方に行く。これは海外アーティストがツアーする時のだいたいのルートだよ。
それからね、俺知ってるからもうバラしてもいいと思うけど、彼はね、中国にも行きたかったんだよな。フジロックに出るんだったらば、ということで。ところが中国というのは、やっぱりまずいんだよ、あの人が行くことは。彼を反体制と思っているから(※過去に中国での公演は行っていますが、今回は実現できないようです)。
実はもっと悪いイメージがあるのはさ、(ローリング・)ストーンズの方じゃない?前科はあるし、マリファナや麻薬だのやってるわけだから。でもボブ・ディランは、はっきり言ってクリーンだよね。でも、(中国としては)やっぱり彼に怖いイメージを持っているんじゃないかな。
それからね、君らは知っているかわからないけど、アメリカのニクソン時代の話ね。1960年~70年代、ニクソンが一番怖かったのは、ボブ・ディランの大衆に対する影響力なんだ。そういうイメージを勝手にFBIやCIAが作りこんじまった。あとはジョン・レノンも同じだろうね。なんとか追い出したかったからね、ニクソンは。そういう勝手なアメリカ政府の思い込みがあって、日本もその政府の宣伝みたいなものを信じこんじゃっているところがあるじゃない。だから、彼がフジロックを選んでくれたことに関しては、感謝しているよ。今回は向こうから話があったし。
ヘッドライナーとしての出演時間
─ ボブ・ディランが大型のフェスに出ることは珍しいような気がしますが。
珍しいよね。前にグラストンバリー(・フェスティバル)では見たことがあるけど。
─ グラストは確か1998年にしか出たことがなくて、メインステージでしたがヘッドライナーではなかったですよね?
違うんだよ、ヘッドライナーなんだよ。俺、行ったから覚えているよ。君たちが言っているのはさ、落語の世界なんだよね。一番最後にやるのがヘッドライナー、大トリだと思ってる。大トリの“トリ”っていうのは、元は落語から来てる言葉だから。なんで大トリって呼ぶか知ってる?
─ いえ、知らないです…。
知らねえんだ。知らないで使っているんだ、意味。
─ 最後に出演する人っていう…。
じゃあ、なぜそれを大トリというんだよ。大きな鳥か!?七面鳥か!?(笑)。違うんだよ。金を全部持っていくからなんだよ。出た中で一番有名でたくさん金を取るから“大トリ”っていうんだよ。だからフェスティバルではね、ヘッドライナーだけど、もっと早めに出してくれっていう人もいるんだ。
1998年のグラストンバリーで、ボブ・ディランは夕方に出たんだよ。あの時はものすごい大雨の後でさ、会場をまともに歩けないくらい。農耕地だから地面がズブズブでさ。彼のステージは、カメラも、スクリーンに映すのもダメなの。夕方なんだけど照明も暗いわけ。だから、本当にいるのかよ?みたいな感じで。
最初はさ─ここがやっぱりボブ・ディランだよね─誰が何を歌っているのか、よくわからない感じだったよね。有名じゃない曲を延々やるわけよ。さすがに1時間近く経つと客がもう帰っちゃうわけ。他のステージに行っちゃうの。だって疲れるもん、あの大雨の後の状況の中、足元がひどい状態だしさ。それで客がバタバタいなくなるでしょ、そしたらもう怒涛のヒットソング攻撃だよ。後でみんなそれを聞いて「ええっー!?」って。まあ、それがボブ・ディランの性格なんだと思うけど。
だから、今年は俺の方から出演時間を聞いたのね。フジロックにボブ・ディランのお客さんは、それほど来ないだろうと思っているわけ。50代後半~70代の人がわざわざ交通費や宿泊費をかけて苗場まで来るかな?って。東京の公演だったら観に行くけども、みたいな人たちが多いと思ったから。
だから、「時間どうする?」って。そうしたら、「8時くらいにやる」って。7時半か8時くらいにやったら、9時過ぎ~9時半までには終わる。そしたら、運が良ければ、お客さんが最後のシャトルバス(越後湯沢駅行き)に乗れる。ということは、最終の新幹線に乗れる可能性がある。もちろん、乗れるかどうかはわからない。保証はできないよ。だって日曜日の夜なんて会場から出るシャトルバスに延々とみんな並ぶからさ。彼は最初、「その時間でいいな」と言っていたんだけど、「いや、一番最後にやる」って。だから、そのつもりでいたら、突然、「やっぱり一つ前でやる」って言い出して。だから、6時50分スタートの8時20分までの予定だよ。
─ フジロックのお客さんのメイン層よりもボブ・ディラン世代は上になるので、もし日高さんの言葉でボブ・ディランを紹介するとしたら?
別にそんなのないよ。出演者のひとりだよ。それは他のアーティストに対して失礼だし。自分が見たい人を見ることだよ、まずはね。プラス、見たこともないし聴いたこともないけど、何か面白そうだなっていう人にも足をのばしてみるのは大事なことだと思うよ、俺はね。
ボブ・ディラン出演にまつわる噂の真相
─ あの、噂なんですけど、グリーンステージでボブ・ディランが出ている時に、裏のホワイトステージでは誰も演奏せずに空けるっていう話を聞いたのですが本当ですか?
ないよ、そんなの。聞いてねえよ。俺はそんなこと考えていない。まあ一番いいのは、その時間帯のホワイトステージは、ボブ・ディランのタイプの音楽じゃないアーティストにすることだよね。
─ それから、これも小耳に挟んだのですが、東京から苗場までヘリコプターで来るかもしれないっていう。
来ない、来ない!そんなこと誰が言っているんだ、バカたれがー。停めるとこないもんな(笑)。いや、あるにはあるよ、駐車場。まあドクターヘリだったらなんとか空けてもらえるかもしれないけど。
まあ、いろんなことを考えたよ、そりゃ。早く来て早く帰した方がいいっていう考えがあったから。でもやっぱりヘリコプターっていう選択はバカバカしいんだよ。向こうもそう思っているもん。全部紹介したからさ。こういうルートがあって、ヘリコプターだと東京の芝浦まで行って飛ばなきゃいけないって。ヘタしたら長岡か新潟空港まで行かなきゃいけない。そこから車で帰ってくるとか。もしくは群馬のどこかに泊まってから来るとしたらまた時間がかかる。全部のルート情報は伝えてあるよ。ただ、それは俺が金を払うことじゃないからさ、あなたが決める手段だからって。
でも誰ひとりやらないよ、そういうことは。アメリカのミュージシャンが一番嫌がるのは、飛行機やセスナやヘリコプターで飛んで移動すること。アメリカのツアーで過去にどれだけのミュージシャンが死んでいるかっていうことだよ。オーティス・レディングだって飛行機事故だよ。ロックンローラーなんかさ、ほとんどアメリカでは飛行機や借りたセスナで飛んだりしているからさ、落ちるんだよ。オーティスなんて死体が出てきたの一週間後だからね。湖に突っ込んでいるから。だからね、なるべくそういう移動はしたがらない。そういうことを知っていたら、そんな発想にならないよ。
─ フジロックのグリーンステージでも、両脇のモニターにボブ・ディランを映すのはNGなんですか?
まあ、あやふやとしか言いようがないね。多分、映るんじゃないかなあ、今の感じだと。まあ、わからないよ。保証はできません(笑)。諦めてはいたけども、映るのは。
まあ、とにかく、テレビでのオンエアーは厳しいだろうな。これはいつものことだと思うけど。ただ、もしかしたら両脇のモニターには映すかもしれない。本当はあるかもしれないよ。彼の気が変われば。要するに、彼はあまりハイテックじゃないんだな、とだけ思っておいて。
─ はい。フジロックのステージではこういう演出にしたい、といったオーダーは来ていますか?
ないよ。要するに自分が演奏できればいいんだよ。
それから、ボブ・ディランの出演を発表した時に、フジロッカーズ・オルグだったか別のところか覚えてないけど、ボブ・ディランを観に来る初めてのお客さんへのメッセージがあったよね。あれはよかったよ。文章がね。いつもの環境と違うところですけども、なるべく楽しんでください、と。だって、そりゃそうだよね。山の中だし、たくさん歩かなきゃいけないから。
ニール・ヤングが出た2001年にさ、お客さんから苦情があったんだよ。「なんで歩かなきゃいけない」「なんで立って観なきゃいけない」「なんで椅子がないんだ」って。この世の終わりかい、って感じだよなあ(笑)。
参加する年齢で特別扱いしたりはしない
─ 4月に苗場の方にインタビューした際、ボブ・ディランが決まってから、年配の方からの問い合わせが増えているという話を聞いて。
うん、それは俺も聞いているよ。だけど、だからといって、そのおかげで何万枚も売れるわけじゃない。そしたらおれは万々歳だよな、ロールスロイスでも買うか(笑)。趣味の悪い車でも。
─ その苗場の方のお話を聞いて、今年は初めて参加する60~70代のお客さんが例年より増えると思い、その方々に向けてフジロック参加のアドバイス記事をフジロッカーズ・オルグで出すことを考えています。
記事について、それは紹介してあげれば。でも俺は、はっきり言って、そんなこと知ったこっちゃねえから。1歳の子供だろうが、70歳のじいさん、ばあさんだろうが同じだよ。人間は人間で、人は人だよ。
世の中にはさ、いろんな音楽のあり方や見方や楽しみ方があるわけだよ。ある程度歳をとった方であれば、文句をたれるんじゃなくてさ、自分なりに楽しんでもらいたいよね。「不便ですよ」っていうことは今までずっと言ってきているんだから。不便だけど、「そうか、こんなものが世の中にあるのか」と思って帰ってもらえたら、俺は幸せだなと思う。だから何ら特別な扱いはしようとは思わないよ。
ただ、体調が悪くなるお客さんも多いかもしれないから、いつものように救急体制はちゃんとしておく。もう、老人ホーム作ろうか(笑)。フジロック介護施設とかさ(笑)。オムツまでそろえて(笑)。これ書いていいよ(笑)。
「俺の夢は、三世代で来てもらうこと」
─ フジロックが22年目になり、客層もだんだん変わって行く中で、今年は一気にお客さんの年齢層が広がると思うんですけど、やっぱりそれは日高さんにとってうれしいことですか?
そうだね。もともと最初から、有名な人が来なくてもそうなって欲しいという思いがあったからね。まあ、何回も言っているけど、俺の夢は、三世代で来てもらうこと。孫と息子もしくは娘と、おじいちゃん、おばあちゃんが来て。時代ごとに好きな音楽が違うから、おじいちゃん、ばあちゃんは60年代の音楽を聴きたい、お父さん、お母さんは70年代や80年代の音楽、息子や娘は2000年代の音楽。ラップだったりとかね。ポップはやんねえからさ、うちは。それは大丈夫だから(笑)。ポップが好きな方は他のフェスにどうぞ行ってください、って。
だから三世代で見にきてもらって、フジロックが終わった後に、三世代で音楽の会話をしてもらえたら、もうこんなに嬉しいことはないよね。「そうか、じいちゃんこんなの好きだったんだー!」みたいなね。「そうか、お前こんなの好きだったのか」と。それだけで、俺は人生明るくなるような気がするんだけどね。
日本の音楽シーンを変えたい ─ その思いから「スマッシュ」、そして「フジロック」が誕生
─ 先ほどお話した60~70代の方に向けた記事を進めている中で、昨年初めてフジロックに参加した60代の方から「自分たちの世代はレコードを聴いてどういう音楽なのか想像しながら育ってきてライブ経験は少なかったけれど、フジロックは眠っていたロック魂を揺さぶる衝撃的なイベントで、自分にとってのパワースポットになった」という声が届いたのです。
いいことだよ。あのね、これは非常に音楽的な先進国─まあ、アメリカやイギリスや日本、それにオーストラリアやニュージーランドといった音楽での先進国という意味で─の話になるんだけど、その中でも日本は実に特有な部分があるんだよ。特有っていうのは、インドア派っていうこと。歌詞カードが付いてるじゃない、それを見ながら聴いてさ。一番いいと思うのは、音楽聴いて部屋の中で踊ってりゃいいんだけどね。要するに、日本はアウトドアじゃなくてインドアが多い。大雑把に分けるとね。
俺は1960年代の時からそう思ってたよ。俺が10代の子供の頃から、みんなインドア派だよなって。まあ、その当時は「インドア派」っていう言葉はなかったんだけど、あえてくくるとしたらそういうことだよね。自分の中だけで聴いているから、自分が好きな音楽をシェアできる人とは仲良くなるけども、自分があまり好きでない音楽を好きな人とはそれほど仲良くならない。これってやっぱりインドア派なんだよね。
─ そういうものを変えたい、という思いもあって、フジロックを作ったのでしょうか?
スマッシュを作った時からそうだよ。だからさ、それまで日本になかった「楽しめー!」「踊れー!」っていう立って観るスタイルを作った。
まあ、長い道のりだったけどね。それまではさ、日本に来る海外のアーティストって、売れた人だけだったんだよ。「いや、それは違うだろ」って。もちろん売れた人も観たいよ、みんな。でも、そうじゃくてさ。特に俺みたいな性格は、売れてないけど、もっともっといい音楽があるなら本国でレコードが出る前でも日本で紹介したい、という思いがあって。だからそういうことをやってきたし、今ではそれが普通になっているよね。
フジロックっていうのは、フジ“ロック”っていう名前が付いているだけに、確かに真ん中の中心部は“ロック”だよ。でもそれだけじゃない。その“周り”もあるわけだよ。世界中のいろんな国の音楽が。アフリカや中南米やカリブや、そういうものも含めての音楽で、その“いい音楽”を聴いて欲しいんだ。
“ロック”と呼ばれる音楽と、もう一つは、形容詞としてはロックではないけども、人間が一生懸命「コノヤロー!」と思ってやっていたら、それはもうロックンロールなんだよ、俺に言わせりゃ。そういったものを音楽の遊園地としてやりたい、っていうのが俺が一番最初にフジロックを作った時のポイントだったから。
尚且つ、音楽だけじゃダメだと。おいしい食べ物があって、遊園地があって─本当に遊園地ね、子供たちが遊べる─みんなが「なんでこんな無駄なものだらけなんだろう?」って思う、その無駄がいいんだよ。無駄をなくしたかったら、1930年代のヒットラーのところで働くんだな。
(後編へつづく)
以上が、フジロック直前!大将インタビューの前編です。
ボブ・ディランの出演について、まさか、ボブ・ディラン側からのオファーだったとは! これはまさに、フジロック・マジックと言ってしまっていいような気がします。世界のロック・フェスティバルを格付けするFESTIVAL 250では、2016年に続き、2017年もフジロックは第3位(ちなみに、第1位はコーチェラ、第2位はフジロックのモデルになったグラストンバリー・フェスティバル)。この事実から、フジロックが世界で認められていることがわかりますが、今年、ボブ・ディランから選ばれたことで、より一層、日本が世界に誇れるロック・フェスティバルなのだと感じました。
それから、インタビューの最後に大将が「無駄」と話していたことについて、それこそが、たくさんの人達を虜にし続けているフジロックの大きな魅力であり、日本の他のロック・フェスティバルとは一線を画している点のひとつだと思います。
ちなみに、このインタビューは6月下旬に行ったのですが、昨日のタイムテーブル発表でボブ・ディランの裏がほぼほぼ空いているのを見た時は、「大将―っ!」と、突っ込まずにはいられませんでした(笑)。この異例のタイムテーブルからも、今年のフジロックの特別な空気というものを感じずにはいられません。
さて、大将からはフジロック当日のことも含めて、まだまだ話を聞いてきています。2018年は、「今年初」が色々! 後編もお楽しみにー!
Interview & Text by Eriko Kondo
Photo by Masahiro Saito