• 「ワールドミュージックの現場をサラーム海上氏と解く」Vol.1


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     2017年の年末。「ジャジューカの夜、スーフィーの朝 ワールドミュージックの現場を歩く」がDU BOOKSから発売になった。この著者は、言わずと知れたワールドミュージックの伝道師、サラーム海上氏だ。フジロッカーズ・オルグでは、2014年にイスラエルのサーフ・ロックバンドBOOM PAMが、フジロックに出演が決定した時にインタビューを敢行している。また記憶に新しい昨年、突如としてオアシスエリアに現れたブルー・ギャラクシーにも、DJとして参加しているサラーム氏。今回は、最新刊「ジャジューカの夜、スーフィーの朝」の話と今年も出演予定のブルー・ギャラクシーについてインタビューを敢行した。

    ぜひ、サラーム海上氏によるYoutubeプレイリストを聞きながらインタビューをお読みください。

    ・ワールドミュージックについて

    ─ サラームさんがワールドミュージックと出会ったきっかけを教えてください

     小学校の授業でクラシックとか聞かされるのがすごく嫌だったんです。でもその中で、“くるみ割り人形”とか“ペール・ギュント”とか“ペルシャの市場にて”とか、そういう民族楽派と言われているエキゾチックな音楽には惹きつけられていました。中学生の時には、インディ・ジョーンズの一作目、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」っていう映画があって、その中で、インディ・ジョーンズがエジプトで、毒を盛られそうになるシーンがあるんですよ。そのシーンでBGMが流れるんですけど、この音楽ともお経とも言えない不思議なものはなんなんだろう、と思って。それを調べていくと、イスラム教のお祈りを呼びかける「アザーン」というもので。それで、当時は1981年だったので、レコード盤しかないわけで。僕は地方出身なので、レコードレンタルとかもなかったので、図書館で借りて聴いたりとか。
     あとは、坂本龍一さんがNHK-FMで「Sound Street」っていう番組をやっていたり、日本の民族音楽研究の第一人者だった小泉文夫先生がNHK-FMで「世界の民族音楽」という番組をやっていて。この二人のラジオ番組があったおかけで、ワールドミュージックに触れる機会が増えていきました。だけど、そういうラジオを聞いていても、やっぱりインドから中東にかけての音楽のフレーズやメロディがこびりつくんですよね。

    ─ 反応するというか

     そう、反応する。耳にこびりついて、どうしてもやっぱりそこらへんが好きなんですよね。それで大学生になると、世間的にはレコードに代わりCDが出て。僕は1986年に大学で上京しました。すると六本木WAVE(※1)があって。ちょうどそのころ、ワールドミュージックのブームが来たんですよ。ジプシー・キングスとか、ランバダとか。でも、流行したのはラテンだったり、アフリカ音楽だったんです。それらも全部聞いたけれど、自分のやっぱりグッとくるのは、アルジェリアとかエジプト、そしてインドの音楽だったんです。   
     初めて海外旅行に行ったのが、22歳の時で、モロッコに行きました。その頃は1〜2ヶ月間の長い旅行に行くのが大流行していて。ユーレイルパス(※2)っていう西ヨーロッパ諸国の電車を1ヶ月間好きに乗れる電車のチケットを買って。寝台列車などで乗り継げば、ホテル代が浮くじゃないですか。そうやって1〜2ヶ月間、ヨーロッパを周るっていうのが、大学生の間に大流行したんですよ。僕もそれが最初の海外旅行でした。二ヶ月間、ヨーロッパを回ったのですが、最初に行きたいなと思ったのがモロッコだったんです。実際にモロッコに行ったらぼられまくって(笑)。 100円くらいの水晶の玉みたいなものを、1万円くらいで買わされたり。

    ※1 1983年に六本木WAVEが開店。ビル1棟が丸ごと様々な文化を発信する拠点となり、文化人や音楽家などから高い支持を得たが、六本木地区再開発に伴い1999年12月25日を以って閉店。
    ※2 ヨーロッパの28カ国の国鉄(またはそれに相当する鉄道)に乗り放題となる鉄道パスのこと。

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    ─ 買ったんですか!?

     そう、そういうのとか、色々ぼられまくって、悔しい思いをして。それは、まず言葉ができないのと、人と交渉ができないっていう、日本にいる時にやったことなかったこと。それで悔しいから、大学の裏にアテネフランセというフランス語の専門学校があって、そこでフランス語を習って。そのころ買えたワールドミュージックのレコードってフランス盤が多かったんです。アフリカ音楽やアラブ音楽は特にそうでした。フランス語ができると、ライナーノーツが読めるんですよ。なので、一生懸命勉強しましたね。

    ─ そこでフランス語を習得したと

    そうです。それで、2度目以降、モロッコでモロッコ人に負けたことはないです(笑)。

    ─ 最初にモロッコに行かれたとのことですが、その時にもうジャジューカ(※3)には触れたんですか?

     ジャジューカに触れたのは、僕が予備校生の時で。ローリング・ストーンズはリアルタイムの80年代の音よりも、初期60年代のブライアン・ジョーンズの時代が好きだったんですよ。ブライアン・ジョーンズは亡くなるんですけど、その亡くなる前に制作した「ジャジューカ」っていう音楽は一体どういうものなんだろうって。それで予備校の時に、音楽好きの仲間とたくさん知り合って、そのうちの一人の家で、ブライアン・ジョーンズのジャジューカとブライアン・イーノとラヴィ・シャンカルを聞かせてもらいました。12月くらいだったんだけど、ブライアン・イーノとラヴィ・シャンカルはすぐ買いました。ジャジューカに関しては、これを聞いていたら、受かる大学も落ちると思って(笑)。当時は臭いものに蓋をした感じです(笑)。
     それからしばらくは聞いていなかったんですけど、六本木WAVEで働いていた95年に、ジャジューカがCDとして初めて再発されて。そのとき、ちょうど僕が売り場の担当だったんだけど、改めてまた聞いたんです。それが二度目。

    ※3 モロッコ北部のリフ山脈に位置するアル・スリフ族の村・ジャジューカの伝統音楽で、15世紀にジャジューカ村に辿りついたスーフィーの聖人によって神聖な音楽とされたとされる。

    ブライアン・ジョーンズのジャジューカとサラーム氏

    ブライアン・ジョーンズのジャジューカとサラーム氏

    ─ 一回目にモロッコ行かれた時にはジャジューカに触れなかったんですね

     蓋をしていたからね(笑)。 だからジャジューカは、友人の赤塚りえ子さんが言い出すまで、僕の中では“臭いものに蓋”でしたよ(笑)。

    「サラームさん、ジャジューカ・フェスティバルやばかったです! 来年は一緒に行きましょう」 2012年7月、3週間のモロッコ滞在から戻ったばかりの友人、現代美術家の赤塚りえ子さんがそう切り出した。(ジャジューカの夜、スーフィーの朝P.156より引用)

    ─ 本を読んでいると、サラームさんはいわゆるワールドミュージックというより、スーフィー音楽に強く惹かれているように思いました

    そうですね。ソ連が崩壊した時に音楽ジャンルの捉え方も変わったと思います。それまでは、ワールドミュージックって、国別、民族別でジャンルを分けていたんですね。例えば、大きくアフリカがあって、その中に西アフリカがあって、その中にマリがあって、セネガルがあって、ギニアがあって…。そういう風に地図を割るようにして、そこの音楽を知るっていうのが、ワールドミュージックの聞き方のひとつだったんですけど、ソ連が崩壊したことによって、それまで見えなかったソ連の向こう側が急に出てきて。

     最初に出てきた音楽というのが、ジプシー音楽。ジプシー音楽ってソ連の中ではちゃんと保護されたりしていたんだけど、崩壊した東ヨーロッパにいても儲からないから、国境を超えて、西ヨーロッパにきて、もしくは、ドイツ人やフランス人がちゃんとオーガナイズして、バンド組ませてヨーロッパ中をドサ回りし始めたんです。それで日本まで来ることになった。そうすると、「ジプシー音楽」は国境を超えた音楽ジャンルであるという考え方が出てきたんです。ジプシー民族、もっと良い言い方をするならロマ民族は、スペインにもいるし、インドにもトルコにもいる。それまでのように音楽を国別に分けると、分けられない見え方が出てきたんです。

     その後インターネットが普及した時代に出てきたのが、スーフィー音楽。それまでは誰も「スーフィー音楽」というジャンルがあるとは言ってなかった。しかし、旧大陸のあらゆるところにスーフィーがいて、それぞれの音楽があることがわかったきた。それがスーフィー音楽という新しい言葉、ジャンルとして初めて見られるようになった。それまでの国や地域で分けるようなワールドミュージックの考え方では、対応できなくなった。ロックやジャズみたいなもので、スーフィー音楽は旧大陸全体に広がるジャンルなんだなってわかってきた。

     それらに共通する特徴は、宗教音楽なので、音楽を通じて宗教的境地に至る、神様に近づくとかそういうこと。我々にとってのお百度参りとほぼ一緒。そのスーフィー音楽に惹かれるものがたくさんあるんです。要はずっとトランスなんです。頭振って、酸欠、脳しんとうとかそういうこと(笑)。テクノとかハウスもトランスっていうけど、それはなんていうか、無秩序なトランスだと僕は思うんですよね。もちろんその中にもMC、Master of Ceremonyが引率してくれて、どんどんハイにしていくのかもしれないけれど、スーフィーや民族音楽の多くの場合はいわゆるシャーマンやグルみたいな人がいて、ハイに至るまでの道をしっかり用意してくれるんですね。一方、テクノなどのトランスは、もちろん良いものもあるんだけど、その辺が無秩序です。そのトランスは憑依的であって、動物に戻るのと変わらないわけで。それが悪いわけではないんだけど。僕が好きなスーフィーの音楽の多くは宗教的法悦に至るような音。僕もテクノをずっと聞いて来た人間だから、テクノが駄目と言ってるわけじゃないけど、スーフィーのトランスには伝統的なメソッドがあり制御されている。

    ─ サラームさんはもともとハウス・テクノのトランスも好きだったんですね

     そうですね、大好きです。だって世代的に80年に中学校一年生で、YMO世代ですよ。ニュー・ウェーブとかそういうものも全部通って来ています。だからsmashには長い間お世話になっていますよ(笑)。

    ─ 我々日本人は一般的に無神論者なわけですが、時代背景などを理解しないと、スーフィーを聞いてもトランス状態に行かないんじゃないかなと思うんですが

     伝統音楽、宗教音楽を知るには文化的背景や時代背景を少しは知る必要があるでしょう。しかし、件の赤塚さんは音に惹かれるがままに、ジャジューカ村に行ってどっぷりハマったわけで(笑)。それが昨年のジャジューカ初来日公演にダイレクトに繋がった! そう考えると、良質なテクノやエレクトロニカと変わらないか、それ以上のものがスーフィーの音楽にはあるのかも。だから何回も村に行っちゃう。

    ─ 新しい動きを見せるスーフィー音楽について具体的にはどういう風な動きが?

     ひとつは、2000年頃、トルコからスーフィー・エレクトロニカ的な音が出てきたこと。あとは、パキスタンやインドからヘヴィ・メタルみたいなスーフィー・ロック。スーフィー・ロックを演奏している人は、みんなバークリー音楽大学出てたりするんだけど(笑)。インド亜大陸の音楽家はテクニック史上主義なんですよね。だから、インドにはパンクっていうのは存在しなくて。そんな演奏しか出来ないなんてミュージシャンじゃないだろうと。いまだに、ロックといえば、クイーンとかレッド・ツェッペリンとか大好きなんですよね。だから、ニルヴァーナとか意味がわからないんだと思います。その代わりアイアン・メイデンとかメタリカが、いわゆるパンクの役割をしたんです。反社会的、反体制的で。でもテクニックがないとだめなんですね。ヘタウマって概念がない。下手って時点でもうだめなんですね。だからインド人の音楽って手数が多くなっている。ヘヴィ・メタルじゃないんだけど、ヘヴィ・メタルみたいになっちゃうんでしょうね。

    ─ サラームさんがスーフィーに注目している中で、フジロックに呼ぶなら、誰ですか?

     うーん。スーフィー音楽ではないけど、やっぱりイスラエルのBOOM PAMとかトルコのババズーラなどサイケデリック・ロック系に出て欲しいな。あとはイスラエルのポストロックバンドのGeshem(ex.The Layerz)とか。そういうバンドはフジロックに合うと思います。Geshemは1stアルバムがやっと出ますし。

    ・書籍「ジャジューカの夜、スーフィーの朝」について

    ─ 紀伊國屋書店のフリーマガジン「scripta」のコラムを再編集して、本書ができていますが、再編集するきっかけはなんだったんですか?

     まずscriptaを始めたのは編集者にワールドミュージックの現地レポートを長文で欲しいって言われたのがきっかけですね。それまでいろいろな雑誌で書いていたんだけど、さすがに長くても4000文字くらいで、通常は2500文字と短かったんですよね。scriptaは大体7,000字~9,000字で書いてくださいって言われて。三ヶ月に一度書いたんです。

    ─ 今回このタイミングでまとめたというのは?

     音楽の本、特にワールドミュージックの本なんてこの時代に売れるわけないんですよ。編集者さんもこのコラムが終わった瞬間に、申し訳ないですが、うちじゃ出せません、って言われました。まあ仕方ないですよ。それから半年くらい経ってDUブックスの編集者と仕事で会うことがあって、「サラームさん、なんか書き溜めている原稿などないでしょうか?」と言われて。「ああ、ありますよ、紀伊國屋書店の連載が」となって。それを渡したところ、一発で気に入ってくれて「ウチから出しましょう!」と。それから一年かけて再編集して、発売となりました。

     DUブックスの担当者が仕事を抱え込みすぎていて数ヶ月遅れたのですが、僕の作業自体はあっという間に終わりましたよ。(笑)。今まで中東音楽の本を数冊書いていますが、今までは本の最後をしっかりまとめて終わらせることにこだわりすぎていました。それに対してこの本は、悪い言葉で言えば、手鼻をかんでいるようなものです(笑)。フンッ(手で鼻をかむ仕草)ってやって、出しっ放し(笑)。元々、紀伊國屋書店の編集者が僕の文章をものすごく丁寧にまとめなおし、校閲してくれていたんです。だから僕の作業としては、すかしっぺとか手鼻とかみたいな、要は出しっ放しです(笑)。変にまとめないことにしたんです。

    ─ そうですか? エピローグではしっかりまとまっている印象ですが(笑)

     ああ、そうですか(笑)? それはありがとうございます。僕が訪れているワールドミュージックの現場はロックやクラブミュージックと変わらないくらい動きが速いんです。だからしっかり本にまとめたところで、数年経てばそれは古い話になってしまう。もはやまとめても仕方ない。まとめている間に、僕は次の出張でイスラエルに行って、新たなネタを仕入れてきたりするもんだから。それでも、こうして本を出すにあたってこだわった部分は、オールカラーで出したいというところでした。この本に出てくる写真は、僕が全部撮っているんです。今こういう音楽の情報って、大抵インターネットや雑誌なんかで見ると思うんです。でも、写真をモノクロの小さいサイズで済ましているところなんて本以外にないですよね。インターネットでは当然カラーだし、大きいサイズの写真。だから本だけが取り残されてるわけで。今、カラーの印刷代も昔ほど高くないから、僕の印税を減らせば、本をオールカラーに出来ると言うんで(笑)。だから、じゃあ減らしていいからやってくださいって(笑)。

    ─ そこまで言う必要なかったんじゃないですか?

     いや、いいんです。買ってくれた人に怒られちゃうかもしれないけれど、この本は僕の2011年から2015年までの活動のすかしっぺだから(笑)。書き下ろしと比べたら、僕の作業は全然少なかったわけだし。世間に出て、こうして色んなメディアに取り上げてもらえる、そして買ってくれた読者から良い反応があるだけで嬉しいです。だって、今の時代、音楽の本が飛ぶように売れるわけないんだから。DUブックスさんも条件面で結構厳しいこと言っていたんですけど(笑)、まぁ僕はオールカラーで出せたってことで満足しています。

    ─ でもやっぱり本という媒体は、購入さえすれば全て読みますよね。インターネットでは、気が向いた時にしか行かないし、全て読まない気がします

     そうですね。過去の本の時には、一部のお店限定で僕が作ったCD-Rをつけたりしていたんだけど、それってグレーゾーンですよね。それに対して、今回はこの本に掲載した音楽のyoutubeプレイリストのページをサイト上に作り、そのQRコードを巻末に掲載しています。CD-R一枚だったら70分そこらしか入らなかったけれど、今回は、本に出ている50組のアーティストを全部聴けるようにしています。

    ─ 僕は読みながら、Apple Musicで検索して、その都度聴いていたんですけど、全部読み終わった後にこの存在に気がついて(笑)

    ああ、ごめーん(笑)。 前書きに入れておけばよかったね。

    ▶プレイリスト
    http://www.chez-salam.com/dubooks_av/

    ─ 今いろいろな方法で音楽が聴けますが、サラームさんはどの方法をオススメしますか?

     うーん、僕自身はオーディオから聴いているけど、世界的にはやっぱりyoutubeが一番かなぁ。年末にインドに行ったとき、知り合った若い古典音楽の音楽家に「普段、どうやって音楽聴いているの?」って聞いたら、「youtubeで聞いてる」って。それで「CD買ったことある?」って聞いたら、「ない」って。

    ─ 持ち歩いて聞くって感覚がないんですかね?

     ああ、そうだね。インド人見てると、ずーっと繋ぎっぱなしで音楽流しているから、ダウンロードして保存することもないし、データを買うことすらない。

    ─ サラームさんは、本の中で中東を中心に行かれていますが、それが戦争中であったり、決して治安が良い状況ではなかったと思います。危険な目には合わなかったんですか?

     ちょっとはありますよ。だけど、大したことはないですね。例えば、ベイルートで、タクシーの中から、カメラを構えていたら、窓の外から手が伸びて来て、カメラを取り上げられたんですよ。「おい、降りてパスポート見せろ」って言われて。それで何かと思ったら、そこがシリアの秘密警察のビルの前だったんですね。でもそれって、東京にいながら、北朝鮮の秘密警察に捕まるようなもんであって、主権国家でもなんでもないじゃんって。僕は単なる旅行者であって、違う国の秘密警察が白昼に何やってるんだ! と思うけど、レバノンとシリアの関係ってそういうことなんだなーって。

    ─ 捕まったりとか、身の危険を感じたことはなかったんですか?

     ないですねぇ。そんなこと言ったら、ヨーロッパとかアメリカ(ここでいう先進国)の方が危ないですよ。ものを盗まれるとか暴漢とか、中東にはいないです。

    ─ 盗難の目にも合わなかったんですね

     そうですね。中東では、特に敬虔なイスラーム教徒はモノをとったりしないですよ。イスタンブルでは酔っ払って、クラブやライヴハウスにビデオカメラや三脚など置き忘れたことが何度もあります。でも、その度に出てきました。音楽を愛する場所は東京と同じです。

    ─ 本書では特にイスラエルに強いこだわりを感じたのですが

     イスラエルは音楽が素晴らしいですね。今イスラエルは中東の中のメルティング・ポット(るつぼ)です。僕は1967年生まれなので、ロンドンのパンクの現場も経験していないし、80年代末のマンチェスターのセカンド・サマー・オブ・ラブの現場も経験していない。レゲエが生まれたジャマイカにも、サルサが生まれたニューヨークにも行ったことすらない。ロックとかR&Bとかレゲエとか、そういう良い音楽っていうのは、僕にとって全て過去のものであって、自分が何か重要な音楽が誕生するシーンに居合せることはないと思っていたんですよ。だけど、2000年代のイスタンブル、ムンバイ、そして2010年代のイスラエルの音楽シーンを僕は直に見ている。それらの音楽のインパクトはすごかった。だから、過去の良い音楽を直に見て来た人に対して、もう羨ましいとは全く思わないですね。

    ─ 2014年にイスラエルに再訪されたとき、特にそれを感じたとありますね

     そうですね。何かパッとスパーク瞬間があったんです。日本なら90年代の渋谷系のときがそうだっただろうし、その前で言えば、70年代のはっぴぃえんどの頃だとか。それらと同様なものがイスラエルにもあったんです。イスラエルのスタートアップ好景気と重なっていたんでしょうね。

    ─ 今ワールドミュージック界で注目すべき国はイスラエルだと

     そうですね。ワールド系だけでなく、ロックやファンクもイスラエルは面白い。その中でもジャズが一番世界的に広まっていると思います。日本にも年間で10組くらい来ていますよ。

    ─ サラームさんが取り上げていたアーティスト「シャイ・マエストロ」を読みながら、聞いていたんですが、イスラエルのジャズって、やっぱり中東の雰囲気というか、エキゾチックなメロディが印象的です

     そうですね、日本のジャズだって70年代には日本のメロディーに立ち返るようなジャズがあったでしょう。ブラジリアン・ジャズなんて、最初からブラジルの音楽をやっていたし。キューバン・ジャズも最初からキューバの音楽をやっていましたよね。そうした動きは、今、イスラエルのジャズで目立っている。イスラエルのジャズのメロディーは、これまでのアメリカのジャズのメロディーとぜんぜん違うから、今、世界中から注目されている。

    彼らが奏でるユダヤの旋律はどこからやってきて、どこに向かっているのだろうか? それはジャズという普遍的なスタイルを通じて、もっともっと世界に広まっていくことだろう(ジャジューカの夜、スーフィーの朝P.241より引用)

    ─ 本を読んでいて気になった言葉があったんですが、「ノー・スタンプ・プリーズ」って

     ああ、イスラエルの出入国スタンプのことですね。以前はイスラエルに出入国の時に、パスポートにスタンプを押されちゃうと、周りのアラブ諸国や世界のイスラームの国に入れなくなってしまっていたんですよ。「ノー・スタンプ・プリーズ」という言葉は、それこそ深夜特急の時代から、バックパッカーの合言葉だったんです。入国審査の際に、そう言うと、パスポートではなく、別紙に入国スタンプを押してくれるっていう。2012年の頃はまだそういうシステムだったけど、今では、最初からQRコードで管理された小さな入国カードを渡されて、パスポートにスタンプを押されること自体なくなりました。

    ─ イミグレでの会話が印象的です

    僕は入国時と同じく「ノー・スタンプ・プリーズ」と言った。すると〜女性の係員が「なぜノースタンプなの?」と聞き返してきた。〜中略〜係員の女性は僕の答えに全く興味がなさそうにぽーんとパスポートを返してくれた。(ジャジューカの夜、スーフィーの朝P.122より引用)

     昔は「ノー・スタンプ・プリーズ」という主張が、その後の旅を続けるための命綱みたいなものだったんですよ。押されちゃったら、ほかの国に行けなくなるわけだから。でも、今となっては、それはもうどうでもいいこと、古き良きバックパッカーの時代は終わったってことを書きたかったんじゃないかな。

    ─ そしていよいよモロッコでジャジューカに再会。僕もこのブライアン・ジョーンズのジャジューカを聞いたんですけど、本当に不気味で鳥肌が立ちました。前述のように一度サラームさんの中でも離れたジャジューカにまた取り憑かれていくわけですが

     ええ、やっぱり一度行くと癖になるんですよ。それとジャジューカ村が面白いところだから。結局、三日三晩村人のところに泊まるしかないから。普通のフェスティバルって、何十組も、それこそフジロックみたいに何百とアーティストが出るけど、ジャジューカ・フェスティバルはたった1組ですからね(笑)。三日三晩、ジャジューカしか出ないんだから。村人のところに泊まって、たった一組の演奏を浴びるように聴き続けるんです。その間、村のコミュニティーの一部に入らせてもらうんです。僕は村の女性から料理を習いました。三日間、村の一員になりながら、昼に一回、夜に一回、ジャジューカをどっぷり浴びるっていう、なかなか本当に包括的な体験だと思います。ご飯だって、魚以外のものは野菜も肉も村で採れたもの。なかなか経験できるものじゃない。それで1回行ったら、2回目行きたくなって、これまでに3回行っていますね(笑)。

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    ─ 書籍のタイトルについて伺います。僕はジャジューカには朝を、スーフィーは夜を連想したのですが、何か意味はあるんですか?

     うーん。グッドポイント! 朝と夜が逆だったとは考えてなかったな。「ジャジューカの夜」は「チュニジアの夜」というジャズの名曲から浮かんだんです。チュニジアはモロッコの隣の隣の国だしね。そして「国境の南、太陽の西」のような感じの対句にしたかったんです。本来なら、サブタイトルの「ワールドミュージックの現場を歩く」が正しい題名なんでしょうけど、それだと内容はわかるけれど、全然ロマンチックじゃないし、絶対売れないだろうと思って。

    (続く)

     Vol.1は、ここまで。筆者である僕は、この本を読んで、ワールドミュージックの魅力にどっぷり取り憑かれてしまった。ジャジューカだけはまだ蓋をしているが(笑)。ぜひサラーム氏の著書「ジャジューカの夜、スーフィーの朝」を読むときは、僕のようにその国々の話で、その国の音楽をBGMで流すことをおすすめする。臨場感あふれるサラーム氏の文章とともに、なんとも言えないエキゾチックな旋律が拍車をかけて、まるでその土地にいるようなリアルを味わうことだろう。後半は、ブルー・ギャラクシーともう一つの肩書き、中東料理研究家に迫る。

    取材・文:紙吉音吉 / 野口明裕
    写真:北村勇祐


    INFO

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    「ジャジューカの夜、スーフィーの朝 ワールドミュージックの現場を歩く」

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    PROFILE
    サラーム海上 〜Salam Unagami〜
    音楽評論家/DJ/中東料理研究家/朝日カルチャーセンター講師
    中東やインドを定期的に旅し、現地の音楽と料理シーンをフィールドワークし続けている。単行本や雑誌、WEBでの原稿執筆のほか、ラジオやクラブのDJ、オープンカレッジや大学での講義、中東料理ワークショップ等、活動は多岐にわたる。選曲出演するJ-WAVE の中東音楽専門番組「Oriental Music Show」が2017年日本民間放送連盟賞ラジオエンターテインメント番組部門最優秀賞を受賞。コミュニケーション言語は英語、フランス語、ヒンディー語、日本語。群馬県高崎市出身、明治大学政経学部卒。
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