池畑潤二インタビュー 後編:ROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRA結成秘話
- 2016/06/19 ● Interview
今やフジロックに欠かせないドラマーとなった池畑潤二と、フジロッカーズ・オルグ主宰の花房浩一によるスペシャル対談。後編では、1997年の伝説の第一回フジロックの思い出から、ROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRAの誕生、そして八代亜紀をゲストに迎える2016年のステージまで、フジロックに魅せられた男同士が熱く語り合った。(前半はこちらから)
花房:俺が日高(正博)と一緒にグラストンバリーに最初に行ったのが1987年ぐらいなんだけど。その時にピラミッドステージでヴァン・モリソンを観たの。で、俺たち涙目になってたわけ(笑)。「ここで観るヴァン・モリソンはすごいよね」って話をしてて、それからほぼ毎年のように一緒に行くようになって。俺の勘では、あの辺から日高はロケハンを始めていたのかなって思ってる。
池畑:そうそう。そうやってキャンプをしてる時、富士山の五合目にある駐車場で急に、「ここで野外フェスをやるぞ」って日高さんが言い出して。「ここで来年やるからな」って。俺としては「は?」って感じでまったくピンと来なかったよね(笑)。
花房:実際にフジロックが始まった時、池畑さんはどう思った?
池畑:なんかね、普通にいつもキャンプに行ってるのとまったく同じ感覚だったというか。単純に楽しかったね。さすがにレッド・ホット・チリ・ペッパーズがライブしてる時は「ヤバいな」って思ったけど。
花房:すごい雨というか、暴風雨だったよね。池畑:うん。だから俺も慌てて、レッチリがライブしているステージの後ろに行って、何かが壊れないようにとにかく見張ってた。その時のことは今でもはっきり頭に残ってる。その時に自分が何もできなかったって感覚があって。それは今に繋がってるところもあると思う。
花房:前日とか前々日はすごく天気が良かったじゃん? で、「ここでやれるのって最高だね」って話をソロモンたちとしててさ。一番目のサザン・カルチャー・オン・ザ・スキッズがやってる時はまだ晴れてたんだよね。で、だんだん雨になってきて、レッチリの時に大雨になって。俺の生涯のフジロック歴の中で最高のライブはその前のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだったんだけど。
池畑:レイジ、すごかったよね。
花房:俺は丘の上に登って上から見ようとしたんだけど、見えないんだよ(笑)。お客さんから巻き起こる水蒸気で。すごかったよね、あの時。あれは一生、忘れられないライブだった。ただ、俺たちも当然ずぶぬれ状態で、だんだん野戦病院状態になってきて。池畑:大変だったよね、一年目は。
フジロックは、居心地が悪かった
花房:その後、池畑さんはどんどんフジロックに巻き込まれていくじゃない。巻き込まれるという表現が正しいのかは分からないけど。
池畑:フジロックに携わってる連中─ 日高さんは当然として、ゴードンにしてもジェイソンにしても、みんなフジロックが始まる前から知ってるわけだから。だから、フジロックに携わるのは当たり前の感覚。ただね、ミュージシャンとしては今の苗場に移ってから毎年参加してるんだけど、なんだかずっと居場所が微妙だったんだよ。ミュージシャンとしてフジロックに行っている自分があんまり好きじゃなかったのかな。
花房:え、そうなの?
池畑:もちろんミュージシャンとして行って演奏するのはすごく楽しいんだよ。でもライブをしていない時にさ、どっか居心地が悪い。最初はずっとホテルに泊まってたんだけど、テントで寝るようになって。お客さんと同じ空気にいる方が気楽でさ。それを3〜4年続けたけど、どうもまだ居心地が悪い気がして。
花房:何でそんなに居心地が悪かったんだろ?
池畑:実は一回揉めてるから。フジロック初回があって、その後に日高さんとちょっと喧嘩して(笑)。
花房:やっぱり喧嘩してんじゃん!
池畑:それで1998年のフジロックには参加してないの。
花房:俺が喧嘩したのは1999年だなあ(笑)。
池畑:でも何かできないかなって気持ちはずっとあったんだよね。もどかしい気持ちが何年間もあって。それもあって、ボードウォークにも行ける時は参加するようにしてて。
花房:でもミュージシャンじゃん? トンカチとか持ってる姿を見たら、手とか怪我したら大変だなって俺なんかは思うわけ。
池畑:それはね、怪我する方が悪いんだよ(苦笑)。ボードウォークに来てるお客さんたちと話したいという気持ちもあるし。そうやってフジロックと携わっていくうちに、だんだん居心地の良さを自分で感じるようになって。やっぱりミュージシャンだから、どこかですぐ個性を出そうとしてしまうんだよね。でもフジロックに関しては、職人に近い感覚で参加できていればいいかなと思う。誰かの思う理想に一番近い形にできれば、あんまり俺の気持ちはいらないというか。
花房:うん、それはあるよね。フジロックってデカいじゃないですか。そうすると、自分が果たす役割というものが自ずとできてくるんだよね。それをいかに全うするか、ということにこだわらないと、他のところに焦点がいっていると、成立しない。すごくそれは思う。私が与えられている役割があって、それをパーフェクトにすることが一番重要なんだろうっていうのはすごく思ってる。
ROUTE 17が始まったきっかけ
池畑:いま話したのが、結局ROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRAに繋がるんだよ。音楽だからさ、自分の個性も出しつつ、日高さんのやりたいこともやれるようにすり合わせをして。
花房:元々あれは、どういう流れで始まったの?
池畑:以前にダッド・マム・ゴッドっていうバンドでグリーン・ステージの朝イチでやったことがあったの。バンドとしては一生懸命やってたけど、なんとなくお客さん自体も、それから音自体もさ、まだ寝ぼけてる感じがしてて。「よし、グリーン・ステージでかますぞ!」って感じで出て行った割には、何かあんまり伝わってない感じだった。で、その次の年も若いバンドがグリーン・ステージのトップに出てがんばってやってたんだけど、なんとなく同じようにお客さんに伝わってなくて。バンドが一生懸命にやってる分、なんか滑稽に感じて。
花房:フジロックの幕開けだろ?みたいな。というところで、多分、話がいろいろあったんだろうと俺は思ってるんだけど。
池畑:うん。これで良いのか?っという話がちょうど出てきて。確かにそうだねって話をしたら、日高さんに「朝イチから盛り上がるようなことをやったら良いんじゃないのか? そう思わないか」って言われて(笑)。そこで例のセリフですよ。「やるのか、やらないのか」って(笑)。
花房:だっはっは!
池畑:で、「じゃあ、やります」と言って。そんなことで始まったのがそもそもの始まりだったんだよね。
花房:残念なことに初年度のROUTE 17を俺は見てないんですよ。初日に問題があって、車に乗って高速を走って隣の町まで買い物に行っていて(笑)。でも、終わってから、レッドシューズかどこかで映像を見て。選曲からステージングからホントに最高だった。あれ、選曲は誰がやってるの?
池畑:選曲は日高さんとも話しつつ決める感じかな。俺が曲を決めて、「これはやってほしい」「ここはこうしてほしい」という話をして。後はゲストの人がいるので、その人が歌える感じの曲とかを話して。必ずこっちから曲を提案するようにしてるんだけど。あんまりいろんな人の意見はあまり聞かないようにしてるかな。
花房:ゲストはどうやって決めてるの?
池畑:ゲストは必ず、俺が一緒にやったことのある人。で、これを歌わせたら絶対に面白いだろうなと思ってたことをやる。去年だと、吉川晃司にエルヴィス・プレスリーを歌わせたら面白いと昔からずっと思ってたから。本人にそれを伝えたら「え!? 俺が歌うんですか?」って言ってたけどね(笑)。
花房:それはもう完全にプロデューサー的な発想だよね。ROUTE 17では結構、密にリハーサルをしてるのかな?
池畑:ゲストは1回か2回ぐらいかな。バンドとしては3〜4回ぐらい。全員揃うことは難しいね。あの中にはいっぱいいろんなヒントもあるし、面白いこともある。昔、50歳になった時に、「BIG BEAT CARNIVAL」っていうイベントをやったんだよ。50歳の誕生日に、いろんなミュージシャンにゲストで来てもらって、俺と花田(裕之)と井上(富雄)っていうルースターズのバンドと一緒にやったんだよね。
花房:ああ、やってたね。
池畑:正直に言って、フジロックにずっと参加してると、日本人のバンドのライブを観た時に、「圧倒的に海外のバンドに負けとるぞ」と思ってたの。だから普段、実際どのくらいの感じでやってるのかを知りたいというのがまずあったんだよね。俺の50歳なんてどうでもよくて、とりあえずみんながどのくらいのレベルでやってるのかを知りたくて。そういうこともあったから、ROUTE 17になった時には、意外と何も困らないんだよね。みんなのレベルややれることは分かってるし、いろんなアイデアもあるから。後は楽曲をどうするかっていうぐらいで。
花房:俺いつも思うんだよ、ROUTE 17は選曲がすごく良い。これの後にこれを持って来るかっていつもビックリする。それを若い子たちが分かってくれるのが一番嬉しいよね。たとえばプレスリーにしても、ああいう昔の音楽とかを知らない人も多いと思うんだよ。ROUTE 17はそれをきちんと紹介して、楽しんでもらってる。あそこがいろんな音楽への入り口になれば良いなって見ていてすごく思う。
池畑:そうだね。だから基本的には、自分たちが好きだった音楽を、できるだけ楽しんでもらえるようにバンドでやってる。プラス、朝イチからしっかり盛り上げる。それが使命だから。
花房:もう最近はすっかり定着した感じだよね。お客さんも朝イチからROUTE 17を楽しみにしてる。
池畑:うん。元々は、苗場食堂でやってた苗場音楽突撃隊の発展形だから、狭いところでやっても楽しかったし、大きいところでなるべく身近な感じでできたら良いなって思ってるね。
フジロックは「自分が正直であるための場所」
花房:当然今年も─ あ、いや、あんまり聞かないで楽しみを取っておく方が良いんだけどさ(笑)。
池畑:今年はもうほとんど決まってる。一昨年の苗場音楽突撃隊に鳥羽一郎さんが出たじゃないですか。日高さんも昔から、日本の伝統的な音楽をフジでやりたいって言ってたわけ。今年はそれも含めたところをROUTE 17でやろうかなと。で、今年は、八代亜紀さんに出てもらう。
花房:おお、良いじゃない。楽しみだね。そういうアプローチをするのって難しくないの? 俺もよく分からないけどさ、いわゆる演歌とか芸能界の世界ってさ、ロック系の人たちとは違うじゃない。
池畑:俺はたまたま、鳥羽さんの時もそうだったけど、レコーディングとかで呼ばれて行ってて。その時にコネクションを作ってさ、後でお願いができることもある。もちろん、そうじゃないこともあるけどね。ROUTE 17のことはある程度、普段からずっと頭に入れているから。もちろん、予算的なものもあるし、向こうのスケジュールもあるからさ、上手くいかないとできないこともあるけど。
花房:フジロックってさ、ジャンルじゃないじゃん? 良い音楽を、良い環境で楽しむっていうのが一番重要で。だから垣根とか偏見とか、全部取っ払いたいと俺なんかは思ってるわけ。超スーパースターと、まるで知らないミュージシャンとが同じ地平で見ることができて、同じように受け入れられるのがすごく大事だと俺は思う。
池畑:うん。ホントそうだよ。ROUTE 17はあくまでバンドはロックなんだけど、いろんな世界の人たちをそこに乗っかってもらいたいと思ってる。だからみんなに声をかけて、ROUTE 17がいつでもできるようにしておきたいなっていう気持ちはあるね。もちろん、「そんなに簡単に誰でも彼でも出しませんよ」、みたいな部分もあるけど(笑)。
花房:いやあ、楽しみだよね、今年も。そろそろまとめの質問をしますけど、池畑さんにとって、フジロックとは何ですか?
池畑:難しいね……自分が正直であるための場所っていうか。なんて言うんだろう、禊とは違うか(笑)。
花房:わっはっは!
池畑:唯一、ナチュラルに自分を置いておける場所かな。平常心というか。だからいろんなことができるんだと思う。表現としては、自分を思い切り出してるかって言えばそうでもないし。だからそんなにね、そこに秘めたる俺の思いみたいなものはないわけ(笑)。でもね、やっぱり一年目の大変な時に何もできなかったっていう悔しい気持ちがあるから、毎年やってるっていうのもあると思う。フジロックが終わった瞬間に、「また何かできるな」って気持ちになるんだよ。
花房:フジロックってさ、苗場で3日間あるわけでしょ。でもね、フジロックはそこで終わってないと思うので。僕らはフジロックに行くんだろうけど、それは自分の生活の中でさ、フジロック的なものはずっとあって。それが大きくなってると俺は感じてる。そこが一番、美しい部分かなって。
池畑:そうだね。昔だったらペットボトルとかもパッと捨ててたけど、ちゃんとリサイクルしないといけないって思うし(笑)。そういう些細なところでもさ、フジロックに影響を受けてる気がする。なんというか、池畑潤二としてはこうありたいという部分を、フジロックを通して教えてもらったと思うね。
フジロックは自分が正直であるための場所だという池畑潤二の言葉に、大きくうなずいた人も少なくないでしょう。そして、そんな大切な場所を守り続けていくという彼の静かな覚悟がひしひしと伝わってくる取材となりました。今年はゲストシンガーに八代亜紀、仲井戸“CHABO”麗市、奥田民生、トータス松本を迎えることが発表されたROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRA。豪華絢爛なロックン・ロール・ショーに託された池畑潤二の熱い思いを、ぜひ苗場で全身で受け止めたいですね。きっと今年もフジロックの最高の幕開けになるはず!
取材:花房浩一
文:大山貴弘
写真:森空