• 池畑潤二インタビュー 前編:池畑潤二はなぜフジロックを愛して止まないのか


    グリーン・ステージの幕開けを飾るROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRAのリーダーとして、夜のフジロックを大いに沸かせる苗場音楽突撃隊の首謀者として、池畑潤二はフジロックに欠かすことのできないドラマーだ。2014年にフジロックで行なった、池畑らオリジナル・メンバーによるルースターズの再結成ライブも記憶に新しい。池畑潤二はなぜそこまでフジロックを愛し、そしてフジロックに愛されているのか――。20年以上の付き合いのあるフジロッカーズ・オルグ主宰の花房浩一と、フジロックに魅せられた男同士によるスペシャル対談を行なった。

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    花房:俺の中で池畑さんってさ、非常にフジロックな人なわけ。キーパーソンの一人だとすごく思っていて。フジロックを本当によく分かっていて、愛していて、作っている人間の一人だと僕は認識しているのね。特に最近なんてさ、フジロックの会場にいつから来てるの?って感じじゃん(笑)。僕らは大体、フジロックがある週の火曜日に苗場に入るんだよね。ところが、苗場に行くと池畑さんは僕らよりももっと早くフジロックに来てる。

    池畑:前週の木曜日ぐらいから苗場にいるよ(笑)。

    花房:それにボードウォークキャンプにもよく来てるよね。僕は今までボードウォークキャンプに来ているミュージシャンはほとんど会ったことがない、池畑さん以外は。

    池畑:ミュージシャンじゃないんじゃない? ある時から、ミュージシャンからフジロックのお客さんに変わった瞬間があるんだよ(笑)。

    花房:だから今日はね、その辺を聞きたい。池畑さんの個人的な歴史も知りたいし、フジロックへの関わりについても話を聞きたいと思っててさ。

    池畑:いや、そんな大した話はないよ(笑)。

    花房:そもそもさ、池畑さんは俺より年はちょっと若いよね?

    池畑:俺は1958年生まれです。

    花房:じゃあ、俺より3つ下だね。元々、音楽を始めたきっかけって何だったの?

    池畑:実はこう見えて、小さい頃から音楽環境が周りにあって。2つ上の兄貴が小さい頃からバイオリンをやってたり、お母さんが合唱とかやってたりね。お父さんは詩吟だったな(笑)。

    花房:ははは。そういう豊かな音楽環境が周りにあって、最初に手を付けた楽器ってやっぱりドラムだったの?

    池畑:いや、最初はバイオリン。一番得意なのは「きらきら星」だった(笑)。あと自分ではハーモニカとか笛とか、大太鼓とかをやってたかな。

    花房:その頃はどういう音楽を聴いてたの?

    池畑:当時はガボットとかメヌエットを聴いてたけど、もう少し大きくなると労音(全国勤労者音楽協議会)ってのがあって、市民会館みたいなところにいろいろ見に行っていたね。サム・テイラーとか。

    花房:マジ? すごいじゃん!

    池畑:あと見に行ったのを覚えてるのは、はしだのりひことシューベルツかな? 何となく兄貴の影響もあったんだろうけど、そういうのを見に行った記憶がある。

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    ラジオ番組を通した音楽との出会い

    花房:最初はお兄さんの影響もあってそういう音楽を聴いてたんだろうけどさ、自分から音楽を聴くようになったのは何かきっかけがあったの?

    池畑:俺はね、小さい頃から新聞配達をしてたの。小学校3年生ぐらいに夕刊配りから始めて、それから朝刊も夕刊も配るようになって。で、5年生ぐらいの時に新聞社からラジオを貰ったわけ。真面目に1年間がんばったご褒美でね。それから毎朝、新聞配達する時にラジオを聴くようになって。だって今みたいにたくさん街灯がない時代だから、早朝に新聞配達をするのはすごく怖いのね、周りが真っ暗で。そのラジオでいろんな音楽番組を聴き出したのがきっかけでした。とにかく音楽がかかってたら怖くないからさ(笑)。

    花房:小学校4〜5年ってことは、60年代中期。ちょうどザ・ビートルズとかビーチ・ボーイズとか流行ってた頃だね。

    池畑:そうそうそう。あと、意外とザ・ベンチャーズとか流行ってて。

    花房:そうか、そうか。歌謡曲とかは?

    池畑:歌謡曲は普通に聴いてたかも。舟木一夫とか。

    花房:ヒデとロザンナとかあの辺?

    池畑:それはもうちょっと後だったかな。

    花房:僕はその頃、中学校のバスケットボール部で、学校の帰りによくそういうのを歌っていたよ、ピンキーとキラーズとかさ。

    池畑:ピンキラはもうみんなで歌ってたね。その頃はまだ楽器の感覚とかもないから、単純に面白くて聴いてた感じ。バイオリンはその頃もまだやってたけどね。クリスマス会とかでバイオリンを弾くと、すごくいっぱいお菓子を貰えたから(笑)。

    花房:はっはっは! で、自分の人生を振り返るとそうなんだけど、ある時に聴いたある曲が、ガーンと来る瞬間が俺の場合はあったんですよ。そういう瞬間が池畑さんにはなかったの?

    池畑:どうだろうな。いつも音楽がそばにあったから、そういう瞬間はなかったかもね。小学生ぐらいの時はもちろん「ロッテ 歌のアルバム」とか「シャボン玉ホリデー」は必ず観てたけど(笑)。あとあれだ、俺が好きだったのは、ゼーガとエバンス。

    花房:「西暦2525年」だ! 俺、この前シングル見つけた(笑)。

    池畑:松井伸一さんというラジオDJが福岡にいて、松井さんがやっているラジオ番組はほとんど聴いてたね。当時流行っているロックもあればボビー・シャーマンもあれば、いろんなものを一緒に流していて。それを楽しんで聴いてたね。

    花房:ダニエル・ビダルとか、「夢見るシャンソン人形」とかね。ラジオの黄金期ですよ。ちょうど僕が受験勉強をしながら深夜番組を聴いてた頃だ。

    池畑:そうそう。もうジャンルとか関係なく、いろいろ流れてた。それがとにかく面白くてね。

    兄弟バンドから薔薇族、そしてルースターズへ

    花房:そこでロックというか、ルースターズに繋がるような音楽に目覚めたのはいつぐらいの時なの?

    池畑:それはね、中学一年。その時はギターだったんだよね。うちは3人兄弟なんだけど、兄貴がギターを買って、俺もギターも買って。弟だけはベースを買ってサンタナを弾いてたんだけど(笑)

    花房:みんな楽器を買ったんだ?

    池畑:小さい頃から新聞配達してるから、お金持ってるわけ(笑)。だから兄弟でお金を出し合って、月にLPを6枚ぐらい買ってたね。

    花房:兄弟で音楽の趣味って合うものなの?

    池畑:ちょっとずつ違ってたかな。兄貴が一番オーソドックスというか。弟は小学生で「やっぱフィル・アップチャーチは良いな」って言ってたぐらい変わってて(笑)。弟は、細野晴臣さんに影響を受けてたんだと思うんだよね。俺も高校一年ぐらいで『FLYING SAUCER 1947』を聴いたのを覚えてるな。はっぴいえんどはずっと聴いてたね。弟はティン・パン・アレー系が好きで、俺はどっちかって言うとパンク系に走っていく感じ。

    花房:それは何となく分かるね。

    池畑:実は最初は兄弟3人でバンドを組んだんだよ。でも微妙に音楽の趣味が違うから、上手く行かなかったんだけど(笑)。

    花房:音楽性の違いで池畑兄弟バンドが解散して(笑)、その後に人間クラブ?

    池畑:いや、人間クラブの前にも別のバンドがあって。16歳ぐらいから薔薇族ってバンドを始めたんだけど。

    花房:しかしよくそんなバンド名を付けたね(笑)。

    池畑:今考えるとね(笑)。で、薔薇族でライブをやると、小倉辺りで200人ぐらい集まっちゃうわけ。

    花房:めちゃくちゃすごいじゃん!

    池畑:で、薔薇族に途中から大江(慎也)が入ってくるんだよね。その頃は頭脳警察とか村八分をカバーしてて、そんなにサンハウスはやってなかったかな。

    花房:サンハウスはさ、いわゆる「めんたいロック」って言われてたじゃない? そのシーンとは接点はあったの?

    池畑:直接はなかったかな。福岡にサンハウスがいた頃に、北九州にはシンデレラってバンドがあって。この人たちがとにかく演奏が上手くて喧嘩も強くて。

    花房:喧嘩が強いのは九州のバンドみんなじゃん(笑)。

    池畑:まあ、それが基本だったね(笑)。かろうじてその世代とは繋がってたね。柴山(俊之)さんとか鮎川(誠)さんとかもまだ20代だった頃で、同世代とは言えない年の差だったけどね。その頃、北九州で「チャンピオンシリーズ」っていうライブイベントがあって、サンハウスとかシンデレラとかが全部集まった中に、俺たち薔薇族も10代でそこにいたわけ。実はその帰り路が鮎川さんと一緒だったの。その時にいろんな話をしたんだよね。

    花房:俺は鮎川さんからブルースのことをいっぱい教わったことがあるんだけど、そういう音楽の話をしてたの?

    池畑:いや、話した内容はあんまり記憶にないな。「若松やったら一緒に帰ろうか?」みたいな話をしたのだけは覚えてるけど。

    日高大将の最初の印象は「なんか偉そうなヤツ」

    花房:で、薔薇族から人間クラブ、そしてルースターズに繋がっていくんだよね。ルースターズと言えば、池畑さんと日高正博の接点になるわけだけど。日高との最初の出会いっていつくらいなの?

    池畑:36〜7年前かな。俺らは21歳ぐらいだった。レコーディングに行ったら、なんか偉そうなヤツが一人いるなと思って気になってたんだけど、それが日高さんだったんだよね(笑)。

    花房:ははははは!

    池畑:で、当時俺はすごくバイクが好きで。「いつか手に入れるぞ」と思っていたバイクがあったんだけど、それが事務所に行った時にビルの前に停まっててさ。その持ち主が日高さんだったんだよ!

    花房:当時の日高ってさ、喧嘩したくてウズウズしているタイプだったじゃん? どっちかっていうと池畑さんもさ、そういうタイプで。喧嘩にはならなかったの、日高とは。

    池畑:そういう対象ではなかったかな。だから上手く行ったんだと思うね。ルースターズでは大江が音楽的な部分をいろいろ日高さんと話してて、俺はバンドを守っていく位置的で当時はやっていたから。

    花房:なるほどね。やっぱり若さと馬鹿さって近いものがあるじゃないですか(笑)。俺も最初に日高に会った時、俺は普通に話しているつもりだったんだけど、日高から見たら超生意気で、殴りたいぐらいだったらしい(笑)。でも結局、なぜか殴り合いにもなったことがないんだよね。

    池畑:俺もそういう感じに近いんじゃないかな。ちょっと周りとは違うけど、根本は俺たちと変わらないというか。だから喧嘩にならない。喧嘩になる人は、最初から「何だ、コイツ?」って感じだったけど(笑)。

    花房:個人的にはね、申し訳ないんですがルースターズってあまり知らないんですよ。自分とは接点がなかった。ただ、記憶の中で1984年にアトミック・カフェを日比谷の野音でやった時に、ルースターズが出てたのね。その時、池畑さんはそこに─。

    池畑:いないですね。ルースターズの活動は1983年に止まるので。1983年にイギー・ポップが中野サンプラザで3日間来日公演をやったんだけど、その前座でライブをやったのが最後だった。それで俺は辞めるんですよ。大江が復帰した時に、この後もルースターズができるかどうか、中野サンプラザで判断しようと俺は思ってたのね。で、結局自分ではこれ以上は無理だと判断した。それが最後。その後に井上(富雄)も辞めると言い出して。いや、それはダメだ、と(笑)。「俺が辞めた後、しばらくバンドの様子を見てくれ」と頼んだんだよね。

    花房:その時、当然日高はルースターズに絡んでるわけだよね。

    池畑:うん。でも意外と日高さんとはそんなに話してないの。そういう細かい─ 細かくないか。結構、大変な話だったんだけど、そういう話はあまりしてない。話すのは、「やるのか、やらないのか」ってこと。いつもそういう話。フジロックの時もそれだけなの、「やるのか、やらないのか」って(笑)。

    ドラマー池畑潤二として活動を始めたきっかけ

    花房:そういうルースターズの時代があってさ、SMASHが1983年に始まる。そうなった時に、日高はルースターズの事務所だったジェニカミュージックを離れるわけじゃん? それでも個人的な関係は続いていったのかな。

    池畑:俺はSMASHができる前にルースターズから外れて、九州に戻ってたの。実はルースターズの時の繋がりよりも、それからの繋がりの方が遥かに大きいと思う。

    花房:そうだよね。個人的にもルースターズの時より、それからの方が池畑さんと日高の関係をよく知ってる気がする。

    池畑:ホントそうだよ。俺が九州に帰ってる時に、ビリー・ブラッグの来日公演があって。

    花房:ああ、はいはい。日高がギターを持って回ったあのツアーね(笑)。

    池畑:うん(笑)。その時、俺は小倉にいて。ビリーは「キン肉マン」が大好きで、どこか連れてってくれないかと言うから、おもちゃ屋を一緒に回って(笑)。俺はちょうどその時、免許取り消しになっててさ、あんまり役に立たなかったんだけど。だから、歩いて行ける範囲を回ってね(笑)。

    花房:はっはっは。あの時は俺も通訳とかやらされたからね。

    池畑:それぐらいからまた日高さんと一緒になるようになって。

    花房:そうか。俺もビリー・ブラッグから日高と絡んでるから。タイミングは同じだね。その時にアトミック・カフェを一緒にやったり、ビリー・ブラッグのライナーノーツを俺が書いたりして、ツアーの時も俺は広島に行ってたの。それが1985年ぐらいだよね?

    池畑:そう。で、結局俺はまたバンドをやるようになって。1986年ぐらいにゼロスペクターってバンドを作って、また東京に出て来て。日高さんに会いに行ったら、俺に「バンドなんか止めとけ」って言うわけ(笑)。「お前はそういうタイプじゃないんだから」って。東京に出てきてアルファレコードと契約をしてさあ活動するぞって時にそういうことを言うのよ(笑)。

    花房:俺が池畑さんとよく会うようになった頃って、もうバンドじゃなかったよね。ドラマーとしていろんなところで仕事をしてる感じだったと思う。

    池畑:ゼロスペクターでやってる時に、事務所から「ドラムのオーディションを受けないか」と言われてたことがあって。「え、俺が?」って感じだったんだけど、行ってみたら本田美奈子ちゃんがドラマーを探してて。で、別にやりたくもなかったんだけど、オーディションを受けないかと言われたこと自体が嬉しくて、行ったら受かっちゃって。それが初めてだったのかな、バンド以外で仕事をするっていうのは。で、俺がそういうことをやるっていうのを知った人たちがまた声を掛けてくれて。布袋寅泰だったり、山下久美子ちゃんだったり。それでしばらくドラマーとしていろんなミュージシャンと一緒にやるようになって。

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    浅川マキへの思い、そして第一回目のフジロックへ

    花房:俺の中ではさ、ルースターズの池畑潤二というよりは、ドラマーの池畑潤二というイメージがすごく強くて。でもそっちはそっちで大変じゃん?

    池畑:今でもたまに思うよ、俺もよくこういうところでやってるなって。2日前にもテレビの仕事があったんだけど、若い頃にこれはできないなと思ったね(苦笑)。でもね、最初に本田美奈子ちゃんと一緒にやったことが実は俺にとって重要で。彼女がまだ10代なのにいろんなものを背負いながらやってるのを見て、ミュージシャン同士として感じる部分が大きかった。とてもじゃないけど俺とかがやってることとは違ってて、俺たちはバンドを支えてたけど、彼女は会社を支えるような大きな存在だったから。で、その頃に浅川マキさんともやったことがあって。

    花房:マジっすか!? あの人ってすごくこだわりが強そうな気がするんだけど。

    池畑:うん。俺が嬉しかったのは、レコーディングした時に、当時、吉野金次さんっていう超大物エンジニアが、東芝のスタジオでレコーディングしてて。その時にマキさんが、「吉野さん、アナタ何してるの!? 」って怒り出すわけ。「池畑さんのドラムの音が、体をパッと抜けていくように録れてないわよ!」って。その時は嬉しかったな。半分は申し訳ない気持ちだったけど(笑)。今でもね、実はマキさんの吸いかけのタバコを、家に大事に取ってるんだよね。

    花房:俺もね、マキさんが2010年に亡くなった時に悔しかったもん。「なんでフジロックに浅川マキを出さなかったんだ!」って。

    池畑:俺もあの年にフジロックで何か一緒にやれませんかって話をしようと思ってた直後だったんだ。

    花房:絶対にフジロックに出るべき人だった。きちんと彼女のための時間を作ってさ、やるべきだったよね。

    池畑:うん。

    花房:話をフジロックに戻すけど、1997年にフジロックが始まるよね。その前に、日高からその辺の話を聞いてたりしたのかな。

    池畑:俺は1993年ぐらいから日高さんといつも一緒にキャンプをしてたの。ソロモンたちとみんなで全国のいろんなところに行って、「こうやってみんなで世界各国を回りたいね」って話をしてて。その時は具体的な話は全然出なかったの。でも後で振り返ると、実はそのキャンプは─。

    花房:フジロックのロケハン、だったんだよね。

    池畑:そうそう。俺はそんなことまったく考えてなかったんだけど(笑)。

    後編へ続く

    前編は、音楽家池畑潤二はどのように始まったのか、そしてルースターズの誕生から解散までの話。その後ドラマーとして活動を始めた池畑と、スマッシュの日高氏との今まで語られなかった”関わり”が見えてきた。後編では、ついにフジロックが始まる。その時池畑が思ったこととは。

    かつてのバイオリン少年が、いつしかロックンロール・オーケストラのバンマスへと成長する─ 池畑潤二の音楽人生は、彼のドラムと同様に、最高に刺激的で類を見ない個性に満ち溢れているのでした。果たしてフジロックとの運命の出会いは、その後の池畑の音楽人生にどんな変化をもたらしたのか? そして今やフジロックを語る上で欠かせないバンドとなったROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRAは一体なぜ誕生したのか? ROUTE 17に込めた池畑潤二の思いとは? ロック親父たちの熱すぎる音楽談義は後編へと続きます!

    取材:花房浩一
    文:大山貴弘
    写真:森空

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