• リコ・ロドリゲス追悼


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    9月4日、スカの偉大なトロンボニストであるリコ・ロドリゲスが80歳で亡くなった。それを受けて、彼と共にステージに立ったバンドやDJたちが集まり、急遽、9月22日にイベントを開催することとなった。

    今の時代は、スカ好きにとっては別れの連続だ。スカという裏打ちの音楽を創りあげた、「レジェンド」たちが、どんどん天国へと旅立ってしまう。彼らが来日するとなれば、スカ好きは地元の祭りに参加するかのようにライヴハウスへと駆けつける。オリジナルの灯(ともしび)を感じ、至福に包まれる一方で、再びその勇姿を見られることを願いながら帰路につく。先日逝去したリコ・ロドリゲスにも、毎回同じことを思っていた。ウィルコ・ジョンソンのように、良いかたちでこちらの雑念を蹴散らしてくれることを願っていた。

    リコは、ジャマイカの不良更正施設、「アルファ・ボーイズ・スクール」で(オリジナルの)スカタライツのメンバー、ドン・ドラモンドにトロンボーンを教わった。たらればの話をしても仕方のないことかもしれないが、イギリスに渡らず、ジャマイカに残っていたならば、若くして亡くなった師に代わって、バンドの一員になっていたとも言われている。スカタライツで“フリーダム・サウンズ”や、“ロックフォート・ロック”を吹き鳴らしていたかも……というのは、妄想としてはたまらないものだけれども、反面、日本における、リコ個人に対する極めて深い愛情は醸造されなかったことだろう。

    ジャマイカでは、スカはだんだんとテンポを落とす形で進化し、ロック・ステディなどを経てレゲエやダブとなっていった。ジャマイカ移民がイギリスに持ちこんだスカやレゲエは、70年代後半にザ・クラッシュが示した方法論でパンクと溶けあい、ジャマイカとは別の新たなスカ、「ネオ・スカ」となって一大ムーヴメントを巻き起こした。リコは、その中心となったレーベル、「2トーン」の屋台骨を支えるバンド、「ザ・スペシャルズ」の一員として参加していた。リコの姿はジャケットにこそ写っていないが、彼はザ・スペシャルズにとって、なくてはならない存在だった。子ほどの年の差があるメンバーに、「本物」を教え、スカが世界へと伝わる土台を固めた。その一方で、スカが、新しい感性のもとで発展していく様を、心より楽しんでいたのではないかと思う。

    吹奏楽を一切通らずにスカ好きとなった者は、パンクを経由していることが多い。例えば、ランシドから、その前身ともいえる、スカコアのバンド、オペレーション・アイヴィーへと向かい、音のみならずアートワークなどに触れたなら、その行き着くところは2トーンに違いない。2トーンにはザ・ビートや、ザ・セレクター、ボディスナッチャーズにバッド・マナーズなど、実に様々なバンドがいたけれども、やはりとっつきやすいのは、マッドネスとザ・スペシャルズの二大巨頭だ。このザ・スペシャルズに、「8人目のメンバー」という特別な立場で参加したことが、よりいっそうリコ個人を浮き彫りとしたように思えるし、その後の、ソロ活動への布石となったのではないだろうか。

    リコに対して特別な思い入れを感じてしまうのは、「オリジナル」を伝える者、「新しさ」を認める者というだけではない。「ルーツ」を自分の感性ややり方で表現する者でもあったからだ。スカのルーツはジャズやラテンの世界で花開いた、「ビッグバンド」だ。スカタライツも、そもそもはホテルで演奏するジャズのビッグバンドだった。さきに述べた“ロックフォート・ロック”も、元は、ラテンの“エル・クンバンチェロ”で、よく甲子園の観客席で吹奏楽部が演奏している。

    リコは、ビッグバンドというルーツを、本業のトロンボーンはもちろんのこと、「歌モノ」であれば自身の声で歌っている。それがまた、彼のトロンボーンの音色と同じく、暖かみがあり、枯れているようでもあり、どこか口元がゆるんでしまうような、何ともいえない味わいがあるのだ。これには逸話があって、バッド・マナーズに帯同して来日した際、スタッフと共にカラオケに行ったことが発端だという。今はどうなのか知らないけれども、カラオケには旧いスカの曲はない。だが、ビッグバンドの、「スタンダード」と呼ばれる曲ならば、しっかりと押さえている。そんなこんなで、「サッチモ」こと、ルイ・アームストロングの、“ワンダフル・ワールド(What a Wonderful World)”を歌うこととなるのだ。

    フジロックでは、スカ好きの間では語り草となっている2002年のフィールド・オブ・ヘブンにて、関西のデタミネーションズ、関東のザ・スカ・フレイムス、本場ジャマイカからはザ・スカタライツがやってきて、そして、リコが自身のバンドを率いて参加していた。そこには、リコと共に、日本のスカのファンにとってはお馴染みとなった、エディ・“タンタン”・ソーントンもいた。その時の、ジャマイカの親とともに日本の子らが収まった写真を見たことがあるが、「ヤーマン!」と聞こえてくるような画には、リコのみならず、フジロックそのものの魅力が表れているように思う。彼がフジロックに参加したのは、この2002年のスカ祭りと、ルード・プレッシャーズをバックに従えた2006年の、ただ2回きりだった。だけれども、少ない気がしないのは、ザ・スカ・フレイムスをはじめとして、クール・ワイズ・マン、石川道久セッションらがリコをサポートし、数多くのライヴやツアーを行ってきたからだ。

    晩年は自身のバンドを持たなかったリコ。それでも、ザ・スぺシャルズの支柱だったジェリー・ダマーズ率いる、スペシャル・A.K.A・オーケストラのほか、ジュールズ・ホランド(元スクィーズ)のバンドメンバーとして、生涯現役を貫いていた。

    リコ・ロドリゲスに対する哀悼の意、そしてリスペクトは述べても終わることがないし、彼がいなければ、日本のスカはまるで違ったものとなっていたかもしれない。イベントでは、彼が残した曲のみならず、紹介してくれた曲などがたくさん演奏されたり、ターンテーブルに乗ったりして、「I & I」(アヤナイ)の精神が立ちのぼることだろう。

    ※「I & I」(アヤナイ):ジャマイカのパトワ語で、「わたし(と、あなた)」


    Tribute to legendary Jamaican trombonist Rico Rodriguez
    ─ リコ・ロドリゲス追悼ライヴ ─

    伝説のジャマイカのアルファ・ボーイズ・スクール出身で、スカ、ナイヤビンギからレゲエ、2トーン、そして現代に至るまでシーンを代表するトローンボーンニストとして活躍し、ここ日本にも何度となく訪れ我々の前で素晴らしい演奏を披露してくれたリコ・ロドリゲスが先週9/4(金)に80才で亡くなりました。

    この悲しいニュースを受け、彼とステージやレコーデイングを共にしたバンドやDJ達と急遽追悼イヴェントを企画し、RICOに感謝と哀悼の意を表したいと思っています。

    尚、今回の出演者、スタッフ、会場は全てノー・ギャラで、RICOの家族に収益金を寄付致します。

    2015/9/22 (Tue) Daikanyama UNIT

    OPEN 18:00 START 18:00
    スタンディング 前売り:¥3,500 当日:¥4,000

    お問い合わせ
    SMASH 03-3444-6751

    【UNIT – Bands】
    東京スカパラダイスオーケストラ / Cool Wise Man / 石川道久 ‘Rico Memorial’ セッション
    【UNIT – DJs】
    King Nabe (Club Ska) / 藤井 悟 a.k.a. Satol F.(Caribbean Dandy) / Dr.Ihara (Club Ska) / Naoki Ienaga / Tommy Far East
    【SALOON – DJs】
    RAS TARO (Club Ska) / Yossy (Club Ska) / Matsuda “CHABE” Gakuji / Top Doca
    【追悼特別写真展】
    菊地昇


    写真提供:Lawrence Impey (Official)
    文:西野タイキ

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