オレンジ・コートを振り返る
- 2015/07/17 ● from fujirockers.org
「あれ、オールナイト・フジがなかなか発表されないぞ…?」
オレンジ・コート廃止にまつわる噂のはじまりは、上記のような些細な疑問だったと思います。その疑問は日を追うごとに現実味を増し、ついに、スマッシュ代表、大将こと日高氏によって正式にオレンジ・コートの廃止が発表されました。その原因は、「フィールド・オブ・ヘブンとのサウンドクラッシュ(音かぶり)」というもの。今まで、新たにステージやスペースを増やすことはあっても、削減する向きはほとんどなかったことから、衝撃を伴ってフジロッカーズに伝わりました。
オールナイト・フジ
普段、ダンス・ミュージックを聴かない者でも、「電気が出るぞ、ジ・オーブが出るぞ」などと、初日の眠らない夜にざわざわ、ワクワクしていたのではないでしょうか。世間を忘れる3日間のはじまり、体力は十分、そんなこちらの気持ちに応えてくれるような抜群の日時。遊びは夜更かしから始まるということを、主催はタイムテーブルの上で、アーティストはステージの上からのパフォーマンスで教えてくれたような気がします。
フジの楽しみ方を熟知しているブライアン・バートン・ルイスが、コアな者が集まるフジロックの初日に、ことさらコアな趣向をめぐらせ、自由な遊びの場を提供してくれていたのがオールナイト・フジでした。スペースシャワーTVでブライアン自身がVJとしてホストをつとめていた番組、「メガロマニアックス」のような混沌がありましたし、プロレスを模して展開された、周年のお祭り騒ぎも決して忘れることはできません。豪雨で中止となった年もあって、オールナイト・フジだけをとっても、まるで、フジロックの縮図のようなエピソードに事欠きません。
オールナイト・フジの元ネタはきっと、「オールナイト・ニッポン」なのでしょう(※)。ちょっとしたスカしが効いている、「昭和のオシャレなサロン」のような文字体には、名作映画や、まだテレビが大衆の娯楽だった時代のタイトルロゴを思わすような、「フォント萌え」な感覚が少なからずありました。アーティストでわざわざロゴを用意されるのは、グリーンかホワイトのヘッドライナー周りに限られることをかんがみても、オールナイト・フジは、オーディエンスのみならず、フジロックにとっても特別な時間だったのではないでしょうか。
※過去に「オールナイト・フジ」というテレビ番組があったとのことです。
ロゴの秀逸なデザインに、惜しまれながら消えるといったあたり、なにか、寝台特急の引退と通づるものがあります。センチメンタルが押し寄せる一方で、また「あの感覚を、あの興奮を!」と、ただただ復活を願うばかりです。
すべてが揃っていたスペース
オレンジ・コートは、フジロックのステージの中では珍しくすべてのインフラが整ったスペースで、ここだけで、いくらでも時間をつぶせる場所でもありました。お腹が減れば屋台で飯が買える。ステージ後方には小高い丘があり、寝そべりながら休むこともできる。そして、地味ではありますが、ステージからほど近いところにトイレがあった。わざわざ移動する必要がなく、並ぶ間にも、なにかしらの音を浴びていられたのです。オレンジは、ステージというだけでない、フジでの時間を有効に活用するためのキーだったように思います。