ミッチイケダ & 花房浩一 グラストンバリーを語る Vol. 1
- 2015/07/13 ● from fujirockers.org, Interview
フジロッカーズ・オルグ主宰である花房と数々のアーティストのオフィシャル・フォトグラファーとして音楽シーンを切り取ってきたミッチイケダ。両者がグラストンバリー・フェスティバル(1970年からイギリスで行われている世界最大規模のロック・フェスティバル)に足を運んでから四半世紀が過ぎたということで、そこで体験してきたことを記録に残し、伝えていくという壮大な連載企画を不定期ではありますがオルグでスタートします!
ここだけの話、本インタビューの数週間前に2人のインタビューを実施しましたが、その時は、2人の話が脱線しまくりで、まさかのお蔵入り……。今回、再度実施し、ようやくインタビューを公開できることに! 次回連載が行われるのかも現在未定!ではありますが、これを読めばあなたも音楽フェスティバルのことがますます好きになること、間違いなしですよ!
グラスト初体験
――初めてグラストンバリー・フェスティバル(以下:グラスト)にいったのはいつですか。
花房: 初めてグラストに行ったのは1982年じゃないかな?ジャクソン・ブラウンが最初にでた年ね。その時はライターでもカメラマンでもなくて、ただの客。当時流行りの、「自分探しの旅」ってやつで、ある日イギリスのブライトンにたどり着くんだけど、そこの人達に教えてもらったのがグラストだったの。その時はフェスティバルとか何も知らなかったから、もう衝撃でしたよ。みんなで車で出かけて会場に着いて、降りてみたら、いきなり目の前に、「ウッドストックじゃん!?」みたいな世界が広がってるのよ。とんでもない国だなと。これが一番最初のキッカケ。
帰国して仲間にグラストの事を話したら、「なんで(体験談を)書かないんですか?」って言われて、「じゃあ書く、書く」って言って書き始めたの。それで、取材しにいったのが84年だったと思う。その時点では、日本人で取材している人なんて誰もいないわけ。その時は、おそらく20誌くらいの媒体に書いた。そんな時に日高と出会ったんですよ。グラストからアトミックカフェ、日高(との出会い)の流れ。
――ミッチさんは?
ミッチ:(下向いて悩む)
花房: なんとなくミッチに、「連れてってくれ」って言われたような気がするんだよな。『03』って雑誌で行くってなった時には、「ミッチを連れて行きたい」って伝えた記憶がある。たしか、89年だったはず。
――それは取材として?
ミッチ: 当時は仕事ではなかったけど、写真を撮れば、帰ってきたあとに必ず売れるみたいな(笑)。
――でも取材申請するときはどうしていたんですか?
ミッチ: どうだったかなあ。ロンドンでは他にフェスとかあって、行けば撮らせてくれたんですよ。カメラをぶら下げていれば撮れた。
グラストの魅力
――グラストのすごいところってなんですかね。
花房: 80年代はCND(1957年に設立されたイギリスの反核運動団体のこと)の反核運動がすごい盛り上がって、85年くらいがピークなんです。それでベルリンの壁が壊れたのが89年で、ネルソン・マンデラが解放されたのが90年なわけですよ。そういう状況の中でグラストがどんどん大きくなっていったのはある。
89年に東西の壁がなくなって、西側にとっての敵がいなくなった。そこから微妙に変化していって、環境問題に移行していくのね。今のグリーンピース(環境保護団体)やオックスファム(貧困と不正を根絶するためのNGO団体)、ウォーターエイド(水・衛生支援に取り組むNGO)とか、そういうのになっちゃうんですよ。だからあの時点で明らかにグラストは変質しているんです。そもそも、最初CNDが絡んだことも変質なのよ。だから昔のヒッピーの人達は、「なんでこんな政治団体が関わるんだよ」っていって辞めていったのね。
グラストで面白いのはさ、マイケル・イービス(グラストの主催者)なんだよ。あの人さ、昔は今みたいなビジネスマンじゃなくて、「俺が観たい!」 「俺の母ちゃんに観せたい!」とか、そんな思いで運営してて、いきなりトニー・ベネットを呼んだりするわけよ。ピラミッドに出たチーフタンズなんて、『俺たちこんなところでやっていいの?』とかいいながら演奏してるわけ。なのに観客に受け入れられる。「観たい!観せたい!」という発想は、いわゆるビジネス的なロック・フェスティバルの感覚じゃないんですよ。
ミッチ: グラストは人の動きが楽しいよね。単純になんでこんなに人が集まるんだろうって。どんどん増えていくし、どんどん広がっていく。これについてはクボケン(久保憲司)と一度話したことがあるんだけど、あいつは、「ここに来て平和について話すことはアホや。全てがわかるからとにかく来ればいい」って言ってた。俺も何かに惹かれるんだけど、それが何かは全くわからない。未だによくわかってない、でもまた来ちゃう。永遠の疑問でもいいと思うし、惹かれる理由を本とか文章にする必要はまったくないと思う。
仕事の面では、グラストの開催は6月じゃないですか。フェスティバルとしては早めの時期なんですよ。グラストに行くと、自分が追っかけていくべきアーティストが発見できる。それはすごく感じますね。
ヘリコプター事件
――ミッチさんが一番印象に残っているシーンってなんですか?
ミッチ: キュアーですよ。女の子1回仮死状態になって、生き返ったやつ。あれはすごいなあって。
――お客さんが?
花房: ライヴ中、前の方にいて心臓止まっちゃって死んでる女の子がいたんですよ。俺はその時いなかったんだけど、その時にヘリコプターがピラミッドのとなりに降りてきて。
ミッチ: セキュリティーはヘリコプターが降りられるスペースを確保しなきゃいけないけど、客は何が起こっているのかわからないから、どかないわけですよ。それでマジの喧嘩が始まって。
花房: 当時はステージの横もぷらぷら移動できたわけ。そこにヘリコプターが降りようとしてるんだけど、人が倒れてるのはステージ前だから。ステージ横にいる人達は、いったい何が起きているのかわからなかったんだよ。
――その時ミッチさんは撮ってたんですか?
ミッチ: 俺、撮ってたよ。女の子のおっぱいがすげー綺麗で。パシパシいっぱい写真撮ってたら、セキュリティの人に胸ぐら掴まれて、「これ以上、彼女の写真とったら殴るからな」って怒られたんですよ。
――それはすごいエピソード…。ライヴで印象に残っているのは?
ミッチ:ライヴだとなにがあるだろうな……。ライヴで衝撃だったのはオアシス、ジョニー・キャッシュ、あとはフェラ・クティ。フェラ・クティの音は超どファンクで唖然としたし、なにより人が多くてびっくりした。ステージの上に60人位いるし、バンドのバスとカミさんのバスとが分かれてて。カミさんが30人くらいいますからね。
あとは、フラワード・アップ。現存してて欲しかったバンドの一つですね。プライマル・スクリームを超えてましたね。あいつらはマンチェスターを意識したロンドンが産んだバンドなんですよ。グラストが終わってすぐ自然消滅しちゃったんですけど、ライヴはすごかったですよ。フュージョンとかファンクとかジャズとかパンクとか全部ミックスされた、すげー音楽でした。
花房: 自分の34年の歴史の中で最大のものはね、スティーヴィー・ワンダー。すごかった、あれ。良かった。普通はピラミッドがあって、ミキシングとPAのブースがあって、裏に行くとスペースがあんだよね。スティーヴィー・ワンダーは(スペースが)ないんですよ。あの時は他のステージがガラガラだったって話を聞いた。
ミッチ: あとはロジャー・ウォーターズかな。5.1チャンネルのライヴを初めてやったんだよ。グラストのピラミッドのステージのところにスピーカー置いて。戦車とかさ、ヘリコプターとかが後ろから飛んでくんの。5.1チャンネルは最近、日本の若いバンドがやってるじゃないですか。
――サカナクションとか。
ミッチ: そうそう。それをいち早くやってたよ。しかも屋外じゃないですか。余計にすごかったよね。
花房: あの時思ったのは、ギターの人が可哀想でさぁ。デヴィッド・ギルモアの音を出さなきゃ! みたいなさぁ。強迫観念にかられているのが分かって(笑)。
ミッチ: ピンク・フロイドはギターなんだよね。初めて分かった。だって、エリック・クラプトンがロジャー・ウォーターズのソロやってるの、全然売れてないんだもん。みんなギルモアのあの泣きのギターを聴いて……あれすげぇ不思議だった。
花房: ピンク・フロイドはギルモアじゃないと駄目だっつうのがさぁ、すっごいよくわかるよね。
ジョー・ストラマーの思い出
――ふたりはグラストでジョーとキャンプをしてますよね。
花房: パレス・オブ・ワンダーの始まりってあるじゃん、あれは要するにジョー・ストラマーのキャンプ・ファイヤーなんだよ。グラストで、ピラミッドの裏であいつらがやっていたことをそのままやっただけ。実はそれは、99年のフジロックがきっかけで、時間が押してたから、ジョー・ストラマー・アンド・メスカレロスの演奏を短くした。その翌年のグラストで、「お前さぁ、ライヴを短くしてやったんだから、タダで招待しろよ」という裏話なんだよね。2002年からパレス・オブ・ワンダーが始まるんだけども、「サーカス・オブ・ホラーズ」をやったのがその前(http://www.fujirockers.org/01/fromorg/20010528_artist.shtml)なんだよ。あれは俺がたまたま知り合って、日高に、「何とかなんねぇ?」って話をして、はじめてパレスの場所を使った。そこにいきなりジョー・ストラマーが来てたから、みんな驚いたんだよ。
――ミッチさんは、ジョーとの思い出はありますか?
ミッチ: 火(キャンプファイヤー)と酒、アップルサイダー、これが必ず必要だと俺にいつも言ってた。アップルサイダーはトラックに、樽で山ほど積んでいたよ。グラストでジョーに、「口開けろ!」って言われて、トラックの上からガーッとかけられたのを覚えてる。
――ミッチさんと花さんは、グラストでジョーとずっとつるんでいたんですね(笑)
ミッチ: グラストでポラロイド写真撮れっていわれて、3箱分くらい撮ったかもしれない。
花房: それがさぁ、ジョーが死んで何か月かしてあいつの家にいった時に、トイレに行ったらさ、ミッチの撮ったポラロイドがちゃんと飾ってあるわけ。すげぇなって。
エピソードいろいろ
――グラストでアーティストの面白いエピソードありますか?
ミッチ: デヴィッド・ボウイで覚えているのは、顔の左側しか撮っちゃいけないのね。セキュリティが真ん中に立ってて、ボウイが動くと、セキュリティもいっしょに動くんだよね(笑)。全部、上手の顔しか撮らせてもらえなかった」
――(笑)
ミッチ: あと、キンクスは人嫌いっすよね。(カメラ撮影が許される)あたま3曲は暗いライティングとかね。ウォーター・ボーイズも3曲目くらいまでわざとすっげぇ暗くして、4曲目から能天気みたいな。
――ミッチさんは、アーティストに限らず、人を撮るのが本当好きですよね。
ミッチ: そうですね。人撮るの、好きですね。グラストも長くいっていると、人がすごい変ってますよね。去年、一昨年くらいから中国人が増えて、国旗を振っていた。特に2000年以降かな、ピラミッドの前はかなりの旗がはためくのが普通になって、フォトピットから見ると、日本の国旗は一個 くらいしかないけど、中国と、韓国の国旗がここ数年、すごく増えたのを感じますよね 。
――花房さんと、ミッチさんってグラストに求めるもの、スタンスが違うのに、ずっと一緒に行ってるのが興味深いですよね。
ミッチ: 同じスタンスだったら一緒にはいかないと思う。俺的には同じものを求めることがあまり好きじゃないんですよ。球を投げたら、違う球が返ってくるというのが楽しいじゃないですか、世の中というか、人生というか。みんなで一緒になるのは好きじゃないから。
カメラマンだけが知るノエルの顔
ミッチ: 去年から超一流のロンドンの4つ星レストランがグラストのバックステージに入って来たんですよ。1泊でもびっくりするような金額なんだよね。楽屋が、ノエル(・ギャラガー)とか有名人が泊まる、シャワー付き、ダブルベッド付きのキャンピングカーで。そこはすごいですよ。俺が入れてもらった時はレイバンのサングラスがスポンサーに付いてて、来る人にあげるために、テーブルに「お好きなのひとつどうぞ」って並べてあるんですよ。で、俺、その有名人がベッドに置いてたのを壊しちゃったんだけど、「別にいいよ、向こうにいっぱいあるから」って。ノエルもそこに毎年来てるんだよね。
――ノエルは毎年行ってるんですか?
ミッチ: 来てるよね。研究熱心な人ですから。で、いい人がいたら、引っ張るんだよね。アメとムチはすごい上手いですよね、あの人は。現場をみてるからすごいなと思いますね。
――以前、「レディオヘッドの音楽は嫌いだけど、ライブはすごい!」みたいな発言してましたよね。ミッチさんは今回のノエルの来日は撮ってたんですか?
ミッチ: 地方は大阪だけ。すごいよかったですよね。やっぱり、ノエルがいってたけど、「今までは世界で一番嫌なヤツのことを考えながら曲作りをしてたけど、今は自分のための曲を作っている。俺の気持ちの中にある曲を歌として作っているし、自分のメロディーを作っている。世界一の馬鹿野郎のために曲を書いていない」って。それがいいんだって(笑)
――ミッチさんて、両方(ノエルとリアム)と仲良いじゃないですか。
ミッチ: うん。けど、「地球上で2番目に嫌いなのはお前だからなって』いつもいわれるんだよ(笑)。で、「1番目は誰?」って聞いたら、「お前の知ってるやつだよ」って(笑)
――(笑)
ミッチ:今、コンファームされてるツアー最後のライブだし、ノエルのことだから爆発するんじゃないの?きっと彼のエネルギーを夏のフジに合わせているよ。楽しみだ。
(了)
第二回目は今年のグラストのエピソードを中心にお届けする予定です。お楽しみに。
Photo by MITCH IKEDA