「夏の魔物」主催者インタビュー前編 どうした成田大致
- 2013/09/05 ● Interview
9月、いよいよフェスティバルシーズンも終盤に差し掛かった頃合いです。その9月において今年一番「なんだこれは?!」と言わしめるフェスの開催が近づいています。青森県開催の夏の魔物 AOMORI ROCK FESTIVAL、その主催者インタビューをお届けします。
2006年、「青森の高校生主催フェス」という触れ込みでその名を世間に広めた「夏の魔物」。まだフェスの地方分化が今ほど進んでいなかった頃において、当時18歳だった少年が自らの足でブッキング交渉を行い、地元・青森県という場所を開催地に選んだそのフェスティバルは「DIY型フェス」の筆頭だったと言えるでしょう。それから数年、今も続く夏の魔物は、いよいよその名前の通りといえるようなスケールに変化しつつあります。ロック、アイドル、芸能人…ありとあらゆるエンターテイメントを呑み込み、プロレスをベースとしたエンターテイメント集団DPGとともに、見たこともないフェスを届けてくれるであろう夏の魔物’13。まずは主催者・成田大致さんの口から直接、高校生がロックフェスを育てる中で起こっていった変化を問います。
ーつい先日プレイベントが終えたばかりということで、そちらはいかがでしたか。
「もう山王戦の後の湘北みたいで…燃え尽きています」
ーそんな(笑)つづく愛和学院にウソのようにボロ負けしちゃうじゃないですか。
「そう、気持ち切り替えないといけない。やっと今、夏の魔物でやりたいことができているし」
ーそうなんですね。たしかに昔と比べると夏の魔物はだいぶ様変わりしました。最初の頃はザ・ロックフェスティバルだったのがバラエティを持ったものになりましたし。
「ここにくるまで、本当に色々ありましたから…」
ロックバンドをやっていた自分が嫌になった
ー数々のドラマがあったと思います。初めての開催、2006年からもう7年経ちますもんね。開催当時は青森在住でしたが、成田さん今は東京に住んでいるんですね。
「はい。きっかけは2年前、レコーディングしていたら当時所属していた事務所から『明日からホテル代が出ない』って話になって。それで不動産屋さんに行って『自分は秋葉原が好き。後楽園ホールと両国国技館しかほぼ行きません』って条件を伝え、探し出してもらったものがこの秋葉原の物件で、即入居(笑)。ただ俺は結婚しているから家族のいる青森にも帰っていますよ。月一回くらいでほとんど帰れてないけれど」
ーおぉ、出稼ぎ単身赴任じゃないですか。
「収入ないですけどね(笑)」
ー成田さん自身の変化といえば結婚・出産もトピックですよね。夏の魔物を高校生の時に始めて、今は奥さんもお子さんもいると。
「そうなんです。09年だったかな、バンドをやっていた時に俺、キングブラザーズみたいに高いところから飛ぶってことをライブ中いつもやっていたんですけど、それで複雑骨折して入院(笑)。で、彼女が病院へ見舞いに来るんですけど、『あれ…違う階に行くなー』って思っていたら行く先は産婦人科、妊娠だった…っていう嘘のようなホントの話です。って言ってもよくあるできちゃった婚というわけではなくて、それ以前から結婚することは決まってて。その結婚式っていうのが、青森で漫画家の岡崎京子さんとかの作品展があったんですけど、そこで結婚式ができるって公募していたのを見て『青森で岡崎京子好きっていったら俺たちだろう!』って応募したら当たっちゃって。十和田の現代美術館で、テレビ・新聞・市長とか全部来る感じの規模で、馬車に乗って入場し、2人のための打ち上げ花火も点火させちゃうみたいなのをやりました…ってこれ何のインタビューだ(笑)」
ーいやいや、家庭を持ったことが夏の魔物にも変化をって話の流れにしますよ(笑)。ということで成田さん自身についてですが、当時は夏の魔物の主催者でありながら、同時にTHE WAYBARKを率いるバンドマンでした。それが10年目に解散となったわけですが…
「ある時、夏の魔物で本物のロックバンドをずらっと並べても、俺自身は全然そういうのとは違うからなあ…って気付いたんですよ。『本物のニセモノ』だとは思いたいんですけど。で、ロックバンドをやっていた自分が、ある時イヤになったんです。これは結婚もリンクしているんですけど、まだ彼女と同棲していた時『お前は色々好きなものがあって聞いてる音楽も幅広いのに、自分のバンドに何一つ自分のよさが出せていない!』って言われて『ですよねー』って(笑)」
ーそこで自分が本物を目指すことを諦めたと。
「キヨシローさんが亡くなってからも曲書いたり、(元ハイロウズの)白井さんともやってみたんですがやっぱり違うな、向いてねえなって。好きなものと向いてる向いてないは別なんですね。身の丈に合わないことを無理してごまかし続けてきたんですが、限界がきちゃって。例えばフジロックのステージに立てる日本のロックバンドって、なんていうかそこに立つ必然性があるじゃないですか。でも自分がやってるバンドにはそれを全く感じなかったんです。スタイリッシュになろうとすればするほど、そんなバックボーンはないし、メンバーとも続けていけば続けていくほど価値観を共有できないって分かって。夏の魔物の規模が大きくなればなるほど違和感も出てきて。それで12年に方向転換して、SILLYTHINGっていう自分の趣味を全部一気にぶち込んだバンドをやったんです。ももクロが好きだから、そういうのをロックバンドでやってみようって。そしたら前から気にかけてくれてる人たちがみんな口を揃えて『これだよ』って言ってくれて。でもいろんな事情があり、そのバンドを終わらなくてはいけなくて。それで今に至るって感じですね」
ーそういった気持ちの変化の背景には何が?
「何でしょうね…。夏の魔物を始めた頃はただのロックファンだったんですけど、ロックバンドの裏切りもありましたし。プロレスファンなんでそういう裏切りなんかは耐性あったけど、それでもやっぱり凹みましたよね」
ーなるほど。ではそうしたことを経て、変わったものといえば?
「…本物とニセモノのかぎわけはできるようになったかもしれません」
ーそういう変化に伴ってなのか、青森にいた頃と比べて周りの人は変わってきましたよね。今年の夏の魔物に関する動画をはじめ情報を見ていると、ブッキングも何もかも自分の足でっていう昔とは違ってたくさんの人が付いているような気がします。
「少し前までとは違い、自分がやりたいことを具現化する手伝いをしてくれる、信頼している仲間達を見つけることが出来たからかもしれませんね」
「殺す」と言われても、届けたい人がいる
ー今のやりたいものが形にっていうと、今年の夏の魔物はラインナップも突き抜けた感じですよね。これが『自分のやりたいことができている』ということ?
「10代の時にできなかったこと、当時脳内で妄想していたものと限りなく近いものができているんです。11年とかその頃からかな、俺が本気になってきたんです。いや、いつだって本気でやっていたはずなんですけどね(笑)」
ー本気に、っていうのは具体的にどういうことでしょうか。興行としてちゃんとしたい、とか?
「いえ。興行としては毛皮のマリーズがヘッドライナーを飾りラインナップもマニアックになった09年に、わずかですが利益は出ていたんです。でも、その時も自分自身の充実感がなかった。どこかに妥協があったというか、最高の内容だったと言いたかったけど言えないものがあったんです。その後、『2010年代の新しいことを』って試行錯誤していって。まあそれがミイラズ事件にもつながっていくんですけど」
ーミイラズ事件…ナタリーに載ったインタビューがきっかけでステージ上で発生した乱闘騒ぎ…あれはものすごく話題として広まりましたね。
「昭和の新日本プロレスや橋本真也のZERO-ONEみたいなのがやりたかったからそういうことをやった感じでしたが…失敗でしたね。夏の魔物は都度都度そういうことがある。トライアンドエラーの繰り返しです」
ー試行錯誤のしくみは成田さん、夏の魔物のスタイルですよね。初回の後も、オペレーションに対する反省会をお客さんを交えてやっていたというし。
「はい。それもプロレスラーがやっていたからやりました。プロレスが好きとかそういうことを最初は特に言ってなったんです。でも07年からプロレスファンである自分というのをちょいちょい出していこうって、アントーニオ本多さんを呼んだりし始めた。ただ、その年はプロレスへの反応を見ているとイマイチで、『このスイッチは押しちゃいけないものだったか』とか思ったけど(笑)。そういうことなんかも後でアンケートを取ったり、お客さんの声を聞いたりっていう形で見るんですよ。で、俺っていう人間にはなんか言いやすいんでしょうね。結構お叱りとか、あと『殺す』っていう声が届く。そういうメールとかよく届きますね」
ーそんなのもくるんですか…キツいなあ。
「今となっては慣れてきて特に気にしませんが、なんだかんだ言って気にしいだし、都度都度落ち込んでましたね(笑)。だからといってわかってほしいとか、押し付けようとは絶対したくないんですよ。届けたい人がいて、そこにきちんと届いてほしいなって思っています。誤解されてしまうことがあるかもしれないけれど」
ーそういうイズムは昔からブレないですね。だから年々新しいものを取り込みながら続くんでしょうか。青森ロックフェスティバルはいわゆるロックンロール以外の要素がどんどん入ってきているけれど、それでも根幹には変わらないものを感じる。
「自分でもブレていないと思います。もちろんロックが、ロックしか聞かない人たちからは『ブレてる』って指摘されますが、そもそも元から俺はそういうロックだけが好きな人間じゃないので。ラインナップの変化だって、去年からステージが増えたことで、今まではただのサイドストーリーだったものをステージに上げただけです。昔から他ジャンルの方…鳥居みゆきさんや、声優の宮村優子さんとか色々ブッキングしてきていて。その基準はカッコいい…っていうよりも『熱気があるもの』で。俺は熱を感じるものにしか俺は興味が無くて、それを基準にしています。今年で言えばオーケンさんも、最初の年からずっと呼びたくて何年も交渉してきましたし。今みたいな形を最初からずっと作りたいと考えてきたけれど、時代もあってできなかったのが、昨年から許されるようになってきたというか、変わり始めてきたんです」
ーたしかに、場所をスキー場に移しての昨年から東京に届く情報・評判という意味でも変わってきたなって思いました。
「今年はイベンターさんも入って進行のグダグダが改善されたり、それによって俺もイベントをどうするかってことに集中できるようになりましたね。そうすることで自分自身、アーティストの楽屋に直接行って交渉を行っていた初期の夏の魔物の熱量に戻ってきたなって思います」
この続きは今年の夏の魔物の中身に迫ります。純然なロックフェスティバルからサブカルチャーの坩堝と化したそのラインナップには一体どんな背景が?!成田大致さんはどんな視点でその空間を創ることになったのか?!お楽しみに!
写真:小西泰央/文:本人(@biftech)
■INFO
青森ロックフェスティバル 夏の魔物 2013
9月14日(土)7時開始
青森県東津軽郡平内町夜越山スキー場