• ブライアン・バートンルイス インタビュー オールナイトフジの10年を振り返る


    今年のオールナイトフジは楽しかったですね! オーガナイザーであるブライアン・バートンルイスの予告通り、格闘技をテーマにしたステージセットで度肝を抜かれ、ステージにDJブースを2つ作って青コーナー赤コーナーとする、そしてK1リングアナで有名なレニー・ハートまで引っ張りだして(まあ、録音でしょうけど…)、ここまで徹底するとは思いませんでした。さらに宙を舞うレーザービーム、時折放たれる火炎放射と、エンターテイメントに徹した演出は10年間の集大成になっていました。

    というわけで、フジロック前にオールナイトフジ予告動画に登場していただいたブライアン・バートンルイスのインタビューをお届けします。フジロックでは、オールナイトフジ/デイドリーミングのオーガナイザー、生放送の司会などなどメディアでの露出も多いブライアンがフジロックでどのように過ごしているか。またオールナイトフジ10年を振り返ります。

    今年のオールナイトフジのレポート
    今年のオールナイトフジ・アフターパーティのレポート

    ■10年間の振り返り

    フジロック始まる前に、印象的でこういうのあるといいなあって思ったフェスティバルはロラパルーザ。それと一番すごかったのは、バーニングマン(アメリカの荒野で開催される大規模なイベントリンク先参照)かな。バーニングマンには2回いってるんだけど、そこで受けた刺激と衝撃はいまだに残っている。友達とふたりでバーニングマンにいって、初日に「散歩に行ってくるわ」っていってその友だちと6日間会わなかった(笑)。

    オールナイトフジは1年で終わるつもりはなかったんだけど、気づいてみたら10年やってた。オールナイトフジというネーミングは思いつきでやっちゃったものの、随分続いて定着したなと。(オールナイトフジとは、80年代フジテレビで放送された、女子大生ブームを巻き起こした番組。リンク先参照)元の番組とイベントは関係ないけど、フジテレビ(CS放送)の生放送を僕がやるようになるとは意外だった。

    ――変化したところはありますか?

    (おこなわれるオレンジコートという)場所も(金曜日という)日にちも変わってない。オールナイトフジを好きでいてくれるファンも増えて定着してきた。それにフジロック自体に、ファットボーイ・スリムがヘッドライナーになるなど、ダンスコンテツが増えたよね。フジロックが始まった頃の「ロックフェスティバル」の概念から、ダンスミュージックも取り入れられているということが、この10年で変わったところかな。オールナイトフジを始めた当初はフジロックに夜中遊べるコンテンツがほしかったからで、フジロックが僕の一番好きな夜中のタイムゾーンにシフトしていった。

    去年は、バケツをひっくり返したような雨がずっと続いていて、新潟県には警報がでていた。心が折れる寸前で支えてくれるのは元気なお客さんだったね。2年前に川の氾濫で(グリーン~ホワイト間の)橋が危ないってことでキャンセルしたときは、そんなに夜は雨が激しかったわけじゃなくて、(危険な)橋の工事をしないといけないって状況があったんだけど、去年は橋をしっかり作ったから、どんな雨が来ても中止することはないぞ、といわれてたものの、あの警報をみてホントに大丈夫か?「ここでキャンセルかぁ」ってすごいグルングルンの状態で。ぶっちゃけ危なかったね。

    オールナイトフジ10年はひとつの記憶としてごちゃまぜになっているけど、1年目にアーティストに頼まれたシャンパンが車の中に置いておいたら車の鍵がなくなって、車の上で踊ってサンルーフをぶち破って、サンルーフからシャンパンを取り出して、アーティストに血だらけのシャンパンを渡した瞬間が忘れられない。

    ■フジロックの過ごし方

    水曜の夜に入って、木曜の朝からオールナイトフジの準備が始まる。夜中まで黙々とゲネプロ(最終リハーサル)をおこなって、一回本番できるところまで作り上げる。前夜祭の花火はオレンジコートでかすか聞こえる。「ああ、始まったぞ」って。一旦作った装飾を全部戻して、金曜日の夜、オレンジコートのメニューが9時に終わってから、2時間でオールナイトフジの装飾を作る。その工程が10年ずっと変わってない。それがけっこうハードル高くて、その条件でできることが限られる。

    タイムテーブルを作るときは、パーティーの流れを考える。短い時間なんでどう表現するか。普通のクラブのパーティーは、オープンしたとき時間はウォーミングアップ的な感じだけど、オールナイトフジだとアタマの時間からガッと集まるし、最初が大事になってきた。(メインステージなどの)トリまで楽しんだテンションを引き継であげないといけない。明け方はハードにやりたい。始めた頃は、けっこう無法地帯で、2年目は誰も気づかず朝9時半くらいまでやってたんですよ。好きなだけやってたんだけど、オフィシャルコンテンツになっていくと共に終わり時間は6時になった。

    フジロックは基本「寝ない」(笑)。フジロックに関してはやれることはなんでもやっちゃう。オールナイトフジやデイドリーミング、スペースシャワー時代から現地からの生放送、今年はスカパー!。放送の準備とオールナイトフジの制作と、3日間のデイドリーミングが基本軸で、その中でホワイトステージのMCもやってたんだけど、MCの時間に間に合わないようになったりしてバトンタッチした。あとはドキュメンタリーや取材だったりやっている。今年は生放送を3日間。

    ――ライヴは観ますか?

    ライヴはそんなに観ない。フジロックの基本は「寝ない」と「同じ場所に5分以上いない」(笑)。超観たいライヴでも5分アップ(笑)。(その5分の中でも)印象に残ったのは、ジョージ・クリントンがすごかったね。電源抜かれた事件が。(自身のバンド)サファリで出たときも印象的だったね。今年は断トツ、アット・ザ・ドライブインが超楽しみ。5分しか観ないけど(笑)。

    フジロックの一番好きな時間帯は、日曜日の夜中。全部の仕事がひと通り終わったところからガン遊びするのが好きで、自分では楽しくはやってるんだけど、3日間忙しくて、本当に解放されるのは、日曜の夜の終わった瞬間であって、スタッフも含めて毎年楽しみにしている。以前、パレスオブワンダーで月曜の昼までジョー・ストラマーと遊んだことがあって、それがフジロック体験の中で断トツ一番を占めている。キャンプファイヤーを囲みながらカラオケやったりしていた。当時、トラックのタイヤの山があって、タイヤの中に入れられて、それをジョー・ストラマーたちがそれを押して、駐車場越えた川まで一気にいけるかっていうのをひらすら月曜の昼までやってた。

    自分も歳なんで、フジロックのダメージが堪えてくるようにはなってきた。フジロックからの復活は1~2週間かかちゃうかな。サマソニの頃に元気になる(笑)。

    文:池田信之 写真:Miyu Terasawa

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