レユニオン島からマロヤを届ける!ランディゴは供養とレジスタンスの音楽
- 2012/07/24 ● from fujirockers.org
フジロック初日のクリスタル・パレス(23:45〜)、2日目のオレンジコート(12:00〜)に出演。アフリカ東海岸から約2000キロに位置するレユニオン島からはるばるやってくるバンド、ランディゴ(LINDIGO)をご紹介。彼らを取材したアリサ・トヨサキさんから原稿をいただきました。
レユニオン島で、先祖を祝う音楽がある。アフリカ東海岸から約2000キロにあるこの島にしかない、独特な音は「マロヤ」という。
私が初めてマロヤを聞いたのは今年のパリ、大統領選挙の時だった。その雰囲気はきわめて熱く、多様文化を象徴する19区の会場はとてもカラフルだった。この日の晩、姿を見せたのはレユニオンで最も人気のあるバンド、ランディゴ。そのメンバーたちの表情にも独特なものがあった。インド人と黒人の間といっていいだろう、肌の色に切れ長の細い目。おそらく30歳前後と見られる若いミュージシャンたちがステージにが登場した瞬間から、会場が一気に踊り始めたのが印象的だった。
「僕らの先祖は、サトウキビ畑の奴隷だった。その辛さと悲しみからマロヤが生まれた。」
と、ランディゴのリーダー、オリビエ・アラストが語る。彼はマロヤにポップな音楽を融合して、レユニオンのディスコに流した最初のアーティストである。2004年にアルバム『Misaotra Mama』でデビュー。ランディゴは数百回ものライブを繰り返して、レユニオンの大人気バンドになっていった。アラストにいわせると、この成功は「先祖のおかげ」であるとか。
「いつもマダガスカルを見つめている。我々、レユニオン人はルーツを忘れない。どこから来ているのか分かると、どこへ行くのか分かるんだよ」
と、強調しているのがアラストだ。17世紀まで無人島だったレユニオンは、フランス王国に占領され、アフリカ大陸とレユニオンの間に浮ぶ大きな島、マダガスカルから何万人もの労働力が強制的に連れ来られたという歴史がある。マロヤはレユニオン人にとってはアメリカのブルースに似たものと言っていいだろう。現在、マロヤは「無形文化遺産」に指定されているのだが、こういった国際認識に辿るまで長い道のりがあったのだ。
その昔、マロヤは音楽のジャンルというよりは、夜、秘密な空間の中で行われていた儀式だったと言っていいだろう。実は、フランス施政下にあった1980年まで禁止されていたのがアフリカ人の先祖をまつるマロヤ。
「マロヤは『耳』=『白人』の地主をバカにしたり、自由を要求したりしていたレジスタンス(抵抗)の歌だった。」
と、アラストが笑いながら語ってくれるのだが、何世紀にもわたって、純粋なフランス語にインドネシアやアフリカの言葉が混ざったるつぼだったのがレユニオン。1946年からフランスの海外県になったのだが、独特な「クレオール語」が残り、それを聞き取れないフランス人が、いつも耳を傾けることによって、『耳』とあだ名を付けられるようになったという。
「私も子どもの頃フランスに移り住んでいて、レユニオンに帰った時にクレオール語が話せなかったから、学校では『耳」と呼ばれいた。」
アラストの奥さんであり、ランディゴのコーラスも担当するロリアンがそう語っている。彼女のような白人との混血が差別を受けるのも珍しくはないとか。しかし、マロヤのお陰で生まれたのが、白黒ではなく、ヨーロッパやアジアとアフリアが混ざったレユニオン人の誇り。その牽引役となったのが1970年代マロヤの白人アーティスト、ダニエル・ワロだったという。
インディゴ(藍)は治療するための植物である。
「ランディゴはこの名を借りて心を癒す役割を果したい」
アラストは語っている。奴隷の傷つけられた肌にインディゴの葉を付けるように、ランディゴは、サトウキビ畑の花でできたマロヤの独特な楽器の「カヤンベ」を振り、先祖たちの魂を癒していった。世界中の民族に共通する先祖供養とレジスタンス精神が重なり合ったランディゴの音楽は言葉を遙かに超えた力を持っている。会場でトランスしたかのように踊っていたパリジャンの姿はその証明だったように思える。
text by Alissa Descotes-Toyosaki
【追加情報】
7/29(日)には、サラヴァ東京で単独公演を予定されています。詳しくはこちらでご確認ください。
また、彼らがブラジルのバイーアを初めてツアーしたときのドキュメンタリー『Creole Cousins』も要チェックです。予告編はこちら。