A little respect
~今さらだけど、タープ問題を考えてみる その1~
まずは、タープ利用者の発生の時期にさかのぼる。1999年から2000年ころ、フジロックが苗場に移ったばかりのとき、それまでの反省から「自分の身は自分で守ろう」と盛んに主催者から言われていた。そこでということで、一部の人たちがグリーンステージ後方にタープを持ち込んで日よけ、雨よけにしたのが始まりだった。
そのとき、いくつも生まれたのが「一緒にフジロックに行ってタープで基地を作ってシェアしましょう」というコミュニティで、ネットで募集された仲間たちが全国各地から集まってお互い助け合ったりしていた。実は、初期のフジロッカーズorg とか、後のところ天国スタッフとか、ボードウォークキャンプの常連とか、この頃にそうしたコミュニティで知り合った者が多い。
だから、タープというのは、単なる日よけ・雨よけというだけでなく、フジロッカーの自治と助け合いの象徴であり、年に一回、離れた地方の友人と会える場所でもあった。もちろん、お客さんの増加で、マナーを守らないでタープを張る人も増えたので問題になってきた。場所を大きくとる割には無人状態にするグループが目に付くようになったし、深夜にグリーンステージ行くと、放置されているタープを見かけたりした。2003年の時点で日高社長はこのように述べている。
タープ利用者のなかには、タープを無人にしないとか、日が暮れたらタープをたたむとか、知らない人でも受け入れたりしていたが、これがタープエリア全体のマナーになっていたかといえば、残念ながらそうではない。タープを使ってない人から見れば、広いスペースを無駄に占有していると思われても仕方がない。

今にして思えば、もう少しずつお互いを思いやることができればよかった、なんて道徳の授業みたいなことを言いたくないけど、結果的にそういうことなのだ。タープを使う人、使わない人、お互いの立場を認めつつ思いやることができなかったかと思う。そうであれば、それぞれ個別の事情があるわけだから、タープ利用者をまとめて悪く言うこともないはずなのだ。
おそらく、主催者もできる限り規制のない自由に過ごせるフェスティバルを望んでいるわけだから、このような規制は本意でないと思う。ただ、お客さんの増加と現状のグリーンステージ後方からすれば、規制は仕方ない。だけども、それゆえに、なおさら、初期からフジロックを支えてきたと自負するタープ利用者に配慮したアナウンスのやり方があったのではないかと思うのだ。
というわけで、次回は、タープ規制に反対している友人と語り合って、問題を考えてみた。
(org-nob)
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