4月26日、突如としてツイッターのタイムライン上が「ハイスタ祭り」になった人は多かったのではないかと思います。復活を示唆するツイートをメンバー全員同時発表し、その後正式にAIR JAM 2011開催を決定づける公式サイトが開設されました。
リアルタイム世代の筆者だけでなく、実に数多くの層のファンからなんと11年も復帰を待たれていたバンド、Hi-STANDARD。フジロックとも非常に親和性が高い彼らですが、自主イベントであるAIR JAMの歴史をフジと重ね合わせた時系列で見てみると、面白いことが色々とわかるだけでなくある種の感慨がグッとこみあげてきます。
1997年:フジロック&AIR JAM、ほぼ同時にスタート
フジロックがのちに伝説となる嵐の天神山で第一回の開催を果たしたこの年、時を同じくしてハイ・スタンダードは野外自主イベント・AIR JAMをスタートさせます。総計9バンドが登場し、スケーターなどの各アトラクションも盛り込んだ、一万人以上が集まったとされるこの丸一日がかりの大規模イベントのチケット価格は約2000円という破格の安さ。いまだに語り継がれる値段設定となっています。
密かに当時からすでに取材を行っていた姉妹サイトの記事はこちら 。ハイスタ、神セットリストですね。
1998年:豊洲に刻まれたふたつのレジェンド
なんといってもこの年の驚異は、フジロックとAIR JAMの開催地が同じだったことに尽きます!
東京湾豊洲ベイサイドスクエア、どちらも一日3万人規模、ツー・ステージ制というコンセプトまで相似。
日程こそズレていたものの、まさに同じ場所でこのふたつのレジェンダリーな音楽的史実が刻まれたわけです。後に代表曲となる”STAY GOLD”の一般初お披露目も確かこの時でした。
メンバー自身が語るAIR JAMの隠しコンセプトとして「都市近郊イベント」というのがあるようですが、現在ではそのコンセプトはサマーソニックなどに受け継がれて日本のフェス文化を成熟させているようです。
1999年:ハイスタ、フジ初登場!!
この年AIR JAMはいったんお休み。その代わり、ついにハイ・スタンダードがフジロックに初登場します!!この年度から苗場に場所を移したフジのグリーンステージ、ハイスタの出番は初日の夕方から。
チベット人奏者ナワン・ケチョ氏とのセッションから始まり、本当に虹まで出たという”MOSH UNDER THE RAINBOW”での巨大モッシュサークル出現は今や神話。……いいライヴだったなあ。また、ボーカルの難波氏は自分の出番の後、フィールド・オブ・ヘヴンなど他ステージにも飛び入りしていたようです。
ただ、残念ながら現在までのところ、この時がハイ・スタンダード名義としては最初で最後の出演となっています。
■SET LIST
1.ナワン・ケチョ氏と横山健のフリーセッション/2.STAY GOLD/3.STANDING STILL/
4.TEENAGERS ARE ALL ASSHOLES/5.SUMMER OF LOVE/6.WAIT FOR THE SUN/7.MAKING THE ROAD BLUES/8.ASIAN PRIDE/9.MY HEART FEEL SO FREE
/10.ピンクパンサーのテーマ/11.CALIFORNIA DREAMIN’/12.MAXIMUM OVERDRIVE/13.THE SOUND OF SECRET MIND/14.STARY NIGHT/15.MOSH UNDER THE RAINBOW/16.TURNING BACK
2000年:初のスタジアムAIR JAM開催
ご存じのように2000年のフジロックは初の日本人ヘッドライナーとして、初日ブランキー・ジェット・シティ、二日目ミッシェル・ガン・エレファントが抜擢されましたが、ここにハイ・スタンダードも一緒に並んでいたらなあ……と思わずにはいられません。
なんせ90年代を代表する純国産ロックバンドが横並びに冠を飾る、最大のチャンスだったんですから。とはいえ、この年はたとえオファーがあったとしても、初のスタジアム開催となったAIR JAM 2000の準備でそれどころではなかったでしょう。今まで以上にバラエティ豊かな出演者を集めましたが、この年を境にハイ・スタンダードは結果として活動を休止。AIR JAMもここから10年以上開催されなくなります。
2001年〜2009年:メンバーはそれぞれの活動へ
ハイスタが活動停止状態になったことから、フジ出演もAIR JAM開催もしばらくなくなり、多くのハイスタ・アーミー(※注・ハイスタファンの総称)はここからメンバー個々人の活動に焦点を当てることになります。
ギターの横山健氏は2003年のスマッシュ主催のイベント「マジック・ロック・アウト」出演を皮切りに、各地フェスにも参戦するようになり、2006年にはKEN BANDを率いて豪雨のフジロック出演。
一方、00年代半ばには沖縄移住中だった難波氏もちょくちょくフジロックには遊びに来ていたようです。2004年には本人曰く「一個人・難波章浩として」反戦旗を掲げ、裸足で会場を練り歩いていたところを筆者が直撃インタビュー。その頃の難波氏は全くといっていいほど、シーン上には姿を現していませんでした。(当時の)政情不安を真剣に訴える彼に、音楽表現やミュージシャンとしての活動はもうやめてしまったんですかと問うと、「いや俺が音楽やめるわけないじゃん!」と破顔して一蹴。ファンの心配を吹き飛ばしてくれました。その年は会場のあちこちで小さなアコースティック・ギターを使って弾き語りを敢行していたとのことです。ここから数年、オフィシャル・ステージでの再登場も待たれることになりました。
2010年:全員が苗場に!!
この年、ちょっとしたミラクルが起こります。
横山健、難波章浩の両雄が同時にフジロック出演!!!それぞれが”STAY GOLD”を歌うという涙ものの展開に。
今思えば、翌年への伏線というか、復活への密かな序章だったようにも思えます。
2011年:9.18 ハイ・スタンダード AIR JAM 届け!!!
そして今年のハイスタ復活、そしてAIR JAM開催です。
もう、もう、もう、何年待ったことか・・・。それぞれが個人としてもはやフィールドを固めつつあるので、各活動を応援すればするほどに複雑な感情も芽生え、ハイスタとしての活動は半ばあきらめようとして、でもやっぱりあきらめきれない…そんなジレンマのさなかに届いた、まさかのビッグ・サプライズ。
日本全体が沈痛な雰囲気となっていた時だけに、もはや号泣ものといっていい久々の便りでした。
AIR JAMのサイトで伝えられたメッセージによると、今回のみの単発復帰に終わらず、近い将来には特に甚大な被災を受けた東北地での開催も考えていることが伺えます。ならば、その勢いのままに来年あたり、実に13年ぶり(!)となるフジロックにもぜひ出演を…!と思わずにいられないのはフジロッカーズとしての宿命ではありますが、今年はまずは、AIR JAM 2011の開催を楽しみにしましょう!そして日本の隅々まで、この金ぴかの希望が届きますように!!!
■AIR JAM 2011
http://www.airjam.jp/
■出演者
Hi-STANDARD
BRAHMAN
FACT
the HIATUS
磯部正文Band
キングギドラ
LOW IQ 01 & MASTER LOW
マキシマム ザ ホルモン
ME FIRST AND THE GIMME GIMMES
MURPHY’S LAW
Pay money To my Pain
SUBLIME with ROME
10-FEET
TURTLE ISLAND
WAGDUG FUTURISTIC UNITY
■開催日
2011/9/18 日曜日
■開場 / 開演
10:00 / 11:30
■開催地
横浜スタジアム
■チケット
7,800円(券種は公式ホームページをご覧ください)
text by joe