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「Joe Strummer - Our Friend, Our Brother, Our Family」
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岩盤の豊間根氏からのトリビュート
僕にとってジョー・ストラマーは"叔父貴"です。
"兄貴"がポール・ウェラーで、"親分"が日高さんかな。もちろん勝手に思っているだけです。ライブを見ている時、いつも心の中で、なぜか半分泣き声で「おじき〜」と叫んでいました。
僕には、ジョー・ストラマーとの個人的な付き合いは全くありませんでした。ジョー・ストラマーが亡くなった日の夜、日高さんや花房さん(ORG-master)と集まったレストランでも、日高さんや花房さんとジョー・ストラマーとの思い出話に黙って耳を傾ける事しか出来ませんでした。スマッシュのスタッフの一人は、泣いていました。
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花房さんの手伝い(FUJIROCK EXPRESS)で初めてスタッフとして参加した99年のフジロックの最終日、ジョー・ストラマーのステージが始まる直前、仕事が終わらず本部裏のテントでPCに向かっていました。何曲目だったかは忘れてしまったけど「LONDON CALLING」のイントロが聞こえてきた瞬間、仕事を放り出してグリーン・ステージにダッシュしました。
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その日の夜中、花房さんに呼ばれてワールド・レストラン「クイーン・シバ」テントの裏に向かうと、そこにはジョーを囲むように日高さん、ハッピー・マンデーズのべズ、プライマル・スクリームのマニ等がパーティーをやってました。もちろんそこでも、僕は遠くからその光景を眺めるだけでした。それだけでも十分幸せだったんです。
だからジョー・ストラマー追悼ページが出来て、みんなの思い出話をアップするって聞いたときも僕には書けることなど何もないと思いました。でもジョー・ストラマーが僕個人に届けてくれた音楽の"いちファン"としての立場でなら、日高さんや花房さんに負けないくらいの思い出がある。
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僕が中学1年生の時、テレビで初めてクラッシュのライブを見ました。「カンボジア難民救済コンサート」というライブで、クラッシュの他にもプリテンダーズ、エルヴィス・コステロ、ロック・パイル、スペシャルズ、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ、クイーン、ザ・フー、ウイングス、レッド・ツェッペリンのメンバー等が出演していました。これが僕のロックンロールの原体験です。
ここから約20年間ロックンロールを聴き続け、今はレコード屋をやってます。
この時にクラッシュが演奏していた曲は「ハルマゲドン・タイム」と「シュッド・アイ・ステイ・オア・シュッド・アイ・ゴー」の2曲。ここから約20年間、僕はピンチになったり物事に迷うと頭の中で「should I stay or should I go」と自分に問いかけてきました。
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それでもやっぱりこの曲が頭の中で鳴り始めると、いつも結論は「GO」ばっかり。それで失敗したり、痛い目にあったりの連続。恋愛の局面でもこの曲が鳴っちゃうもんだからまったく困ったもんだ。つくづく自分の頭の悪さにうんざりしながら、今でもほぼ毎日この曲が頭の中で鳴っています。
昨年末から岩盤では、今NYで巻き起こっている「ポスト・パンク&ダンス・シーン」をフォローしています。その代表格としてRADIO 4をプッシュし続けているのですが、マジック・ロック・アウト出演時に彼等が岩盤テントに来てくれて、メンバーと話をすることが出来ました。なんと言ってもクラッシュからの影響を最も強く感じさせる音楽性を持ったバンドなので、誤解を恐れずメンバーに直接「クラッシュ好き?」って聞くと、メンバー達は「マジでクラッシュが大好きなんだ!ジョーが亡くなる前に、ロンドンで一緒にライブもやったんだよ。最高に幸せだったよ。」って教えてくれました。そしてみんなでビールを高々と掲げて「JOE STRUMMER!!!」と叫びました。彼等は英語で、僕はカタカナで。
さぁそろそろ今年もフジロックの開催が決定し、チケットの販売が始まります。岩盤では、「ジョー・ストラマーに捧ぐ FUJI ROCK FESTIVAL '03」として、勝手に店頭展開を考えています。
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comment from Toyomane-san of Ganban. (Feb 15, 2003)
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