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「Joe Strummer - Our Friend, Our Brother, Our Family」
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ORG-masterの思い出
ずいぶん前のことだと思うけど、ロンドンでスマッシュUKの事務所に居候していたとき、たまたまジョーが遊びに来て、スタッフと話をし始めたことがあった。こっちは、コンピュータとにらめっこしながらの仕事中で、彼らの会話のじゃまをしないようにしていたんだけど、ちらっと目を合わせたジョーが近づいてきて、僕の肩に手を置いてこんなことを口にしたことがある。
「俺、お前知ってるよ」
おそらく、その前に来日したときにちらっと顔を合わせていたとか、その程度だったのに、こんな気遣いをするジョーと接して彼がどんな人間なのか一瞬にわかったように思えたものだ。
そんな彼の気遣いや人の良さや優しさを語るためのエピソードは限りない。でも、なによりもfujirockers.orgにとって重要なのは、このサイトやfujirockersというコンセプトそのものに彼が絡んでいることだろう。
97年の嵐のフジ・ロックでのこと、当時、わずか3人のスタッフでウェッブ情報を流していたとき、彼がコンピューターのそばに来て、"Let's Get Together Boad"にメッセージを書き込んでくれたことがあった。その時、このBBSから「赤いリボンを付けて、フジ・ロックを目指そう」という話が自然発生的に生まれたことを説明すると、彼が大喜びして「全然顔も合わせたことのない人が仲間になっちゃうのか?そりゃあ、すげぇ。インターネットってぇのはとんでもないな。俺もクールなサイトを作らなきゃ」と、話してくれたものだ。おそらく、彼には、この時点からフジ・ロックが目指していたものやネットの可能性を理解してくれていたんだと思う。実に、fujirockers.orgはそんなコンセプトが下になって生まれているのだ。
この写真はキャンセルとなった2日目に会場へやってきたレゲエ界の重鎮、リー・ペリーとのツー・ショット。リーをみつけたジョーが「俺だよ、リー。俺たちをプロデュースしてくれたじゃないか」と、話しかけ、たまたまそばにいた僕に「写真撮ってくれよ」と頼まれてシャッターを切ったもの。あの時のジョーの表情は、無邪気な子供のようで、彼がレゲエやスカを、そして、もちろん、リー・ペリーをどれほど愛していたかを知ることのできるエピソードでもある。
ジョーとの思い出は限りなく、時に彼のあのちょっとしわがれた声が聞こえてきて、涙が出てきたりするんだけど、やっぱ悲しんでなんていられないだろう。彼が生きていたらきっと動いただろうことがいくつもある。
「もう、遅すぎるんだよ。そうは、思わないか。どうすりゃ、いいんだ?」
初めてミック・ジョーンズがジョーのブリクストン・アカデミーでのライヴを見に来た日のこと、ライヴを終えた彼が酔っぱらってはいたけど、そんなことを大まじめな顔で話していたのを思い出す。イラクが攻撃されれば50万人が殺されてしまうだろうと予想される事態を前に、彼が生きていたらどんな行動をとっただろうか... とそんなことを想像してしまうのは僕一人だろうか。
comment and photo by ORG-master.The copyright of the photos belongs to Koichi "hanasan" Hanafusa. They may not be reproduced in any form whatsoever.(Jan 22, 2003)
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