 |
・
「Joe Strummer - Our Friend, Our Brother, Our Family」
|
|
Joe Strummerへの追悼ページの始まりです。
ジョー・ストラマーの死がFuji Rock Festivalに関わる人々にどれほどのショックを与えたか... それはここに繰り返して書く必要はないでしょう。9月の朝霧ジャム、そして、10月1日の新宿リキッドルームで素晴らしいライヴを披露した後に帰国してからわずか3ヶ月弱。あのニュースはあまりに唐突でショッキングでした。
あの日、ジョーが日本を離れる前日に大騒ぎをした中目黒のエチオピアン・レストラン、クイーン・シバに集まってきたのは、大将やfujirockers.orgや岩盤のスタッフ、スカ・フレイムスの宮崎君といった面々。ごく自然にお通夜となってしまいました。
おそらく、ジョー・ストラマーの悲報が届いた12月23日、日本だけではなく、世界中のファンが同じように、彼のことを思い、語り合っていたのではないかと思います。
あの直後からTOGETHER BBSにこの悲報に接した人たちからの声が集まり、その声を受けて、ジョーや残されたご家族へのメッセージを書き込めるようにTO JOE WITH LOVEを作りました。そこに集められたメッセージを見るたびに悲しみを感じたり、同時に、ジョーがどれほどファンとのつながりを大切にしていたか、そして、フジ・ロックを愛していてくれたかを感じています。
そのジョー・ストラマーへの追悼ページを作り始めました。前回の情報でもお知らせしたように写真家やライター、ミュージシャンたちからいろいろな写真やメッセージが寄せられています。それを少しずつこのセクションに加えて、今年のフジ・ロックまで続けていこうと思っています。
でも、このページを関係者だけの追悼ページにするつもりはありません。できれば、みなさんにも加わってもらいたいと思っています。ファンには限りなく優しく接し、周りの人に気遣いしてくれたのがジョーです。それは、シークレットで来日していた97年のフジ・ロックから単独でのツアー、昨年のフジ・ロックや朝霧ジャムでも全く変わることなく、多くの人たちが彼と話をしたり、彼と写真を撮影したかと思います。ここではそんな人たちの写真をメッセージ付きで紹介したいと考えています。
写真のサイズはjpgで解像度72pixel/inchで、最大のサイズで450×350pixel以内としてください。当然ながら、大きなファイルを数多く受け取ることはできません。必ず100k以下のファイル・サイズにして、その写真を撮ったときのことやメッセージを添えてjoestrummer@fujirockers.orgまでメールでお送りください。全てを掲載することはできないかと思いますが、できるだけ多くの人たちとこの追悼ページを作っていきたいと思っています。前述のように、この追悼ページは今年のフジ・ロックまで更新していきます。ですから、のんびりと写真を探して、送っていただければ幸いです。
今回ここで使った写真は昨年のグラストンバリー・フェスティヴァルで撮影したもので、ジュリアン・テンプル(映画監督)と彼が、キャンプ・ベースに戻ってきたときのものだと思います。
comment and photo by ORG-master.The copyright of the photos belongs to Koichi "hanasan" Hanafusa. They may not be reproduced in any form whatsoever.(Jan 22, 2003)
|