【日高正博 × 花房浩一対談】はじまりの2人
- 2026/03/14 ● INTERVIEW

日高正博氏と花房浩一(本サイト、fujirockers.org主宰)の対談…間違いなく、一筋縄ではいかない。と、同時に、「誰よりもフジロックを好きな者同士の対談」でもある。この対談を記すにあたっては、最大限の親しみとリスペクトを込め、久しぶりに日高氏を「大将」と呼ばせていただきたい。
大将は裏方でありながらも、長年フジロックに通っている、所謂「フジロッカーズ」にとってはアイコンのような存在ではないだろうか。もっとも、こんなことを本人を目の前にして言ったならば、「そんなことねえだろ?」だとか、「ばかやろう」といった言葉が返ってくるかもしれない。それでも、fujirockers.orgがかつて、指名手配書のように大将のバストトップをデザインしたシャツを売り出した際には、史上最速で売り切れたというし、あながち外れてはいないはずだ。
大将を「日高」と呼び捨てするのは、年下では花房ぐらいだそうだ。大将に限らず、様々な方から花房の初対面の印象を聞いたことがあるが、「とんでもなく生意気な奴だった」という部分は共通している。大将と花房、今なお続く、ふたりの気の置けない関係性もまた面白い部分だ。
花房:長い付き合いになっちゃったね。
日高:そうだな。どれくらいだ?
花房:40年超えしたよ。
日高:なるだろうなあ。
花房:一番最初に会った時に、日高は俺のことを殴りたかったらしい。
一同:(笑)
日高:まあな、なんか腹が立ったんだよ(笑)

銀幕の任侠のごとく竹を縦に割ったような性格の大将と、カウンターカルチャーに分け入るヒッピーのような花房が遭遇したわけだから、双方が一歩も譲らなかったのは想像に難くない。使い古された表現を用いれば、「水と油」であった、とも言える。しかし、水と油を熱し続けると、「乳化」を起こして混ざり合う。ときに喧々諤々、小競り合いをしながらも、フジロックに対して常に熱量を保ち続けた結果、今に続く絶妙なパートナー、言うなれば「相棒」に成り得たのではないだろうかと察する。
フジロックへと続くそもそもの発端として、花房が80年代初頭のイギリス滞在中にグラストンバリーを知り、それを大将に伝えた、という事実がある。フジロックの立ち上げにおいて、関係者の中では「(スマッシュが)潰れるぞ」との声ばかりだったというが、花房だけは、「わかった」と、一言のみ返したという。両者にとっては、前代未聞の挑戦が成功するかどうかではなく、実現させること、すなわち、「挑戦することそのもの」が何よりも重要だったはず。この二人がフジロックについて話すとき、年齢を重ねてもなお衰えない熱がほとばしる。
まずは、2025年に行われ、今年の日本ツアーも決定しているDJイベント、「Royal Exchange(ロイヤル・エクスチェインジ)」についての雑談から。そして時間は巻き戻り、1997年。富士山の麓(ふもと)、天神山で行われた記念すべき第1回目のフジ・ロック・フェスティバル、そして、ジョー・ストラマーについての話に続いていく。
【ジョー・ストラマーとフジロッカーズ】

花房:あのさ、ロンドンのパディントンにね、「ロイヤル・エクスチェインジ」というパブがあるんだよ。
日高:うん。
花房:そこの近くにポール・シムノン(ザ・クラッシュ)が住んでて、「パブでなにか面白いことをしたい」と、DJイベントを始めたのさ。それが今、すごい盛り上がってるの。で、面白いのが、ジェイソン(・メイオールこと、DJ クンビア・キッド。パレス・オブ・ワンダーなどのブッキングを担当するスマッシュUKのボスでもある)やゴードン(・マクハーグ・3世こと、DJ ゴンチャン。フジロックの会場装飾を担当)もレコードを回してるわけ。俺もロンドンに行くとレコードを回すんだけどさ。で、ちょうど去年、日本にクルーが来てたのよ。もうどこもかしこもパンパンだったみたいでさ。だって、ポール・シムノンが日本に来るっていうだけで大騒ぎなわけよ。だって、クラッシュやけんね。みんな「ポールに会えるんだ!」って、たくさんの人が来てたのよ。
日高:ポールは良いやつだよ。俺にとっても大切な友達だ。うちにも絵があるよ。絵描きなんだよな。
花房:そう。彼が凄いのってさ、基本的にジョー・ストラマーと同じで、ファンが会いに来たらずーっと話してんのよ。絶対に「帰れ」とは言わないし、逃げもせずしっかりと向き合っていて、「すげえな」と思ってさ。どこの土地に行ってもそうだったらしい。
日高:そういう奴だよ。ジョー・ストラマーも悪友だな。ジョーは1年目の天神山(フジロックの第一回目。1997年)から来ているからな。
花房:うん。その天神山で俺たち(fujirockers.orgの前身)がコンピューターをカチカチやってた場所に、わざわざジョーが覗きに来たんだよ。その頃は俺たちが作った「Let’s Get Together Board」っていうフジロックの掲示板があった。そこに、たまたまジョー・ストラマーの名前で書いてたやつがいるんだよ。俺がジョーに「お前がこれを書いたのか?」って言ったら、「いや、俺じゃねえよ?」ってやりとりがあって。でさ、その名前が面白くてな、「joestrummer@riot.org」って書いてあるわけ。
日高:メールアドレスか。
花房:そう。それにヒントを貰って、俺が「フジロッカーズ・ドット・オーグ(fujirockers.org)」のドメインを考えたんだよ。そういういきさつがあってね。
日高:うん。
花房:その時のジョーは、インターネット自体をまったく知らなかったの。で、「赤いリボン」の話を覚えてるかなあ…日高は覚えてないかな?
日高:赤いリボン? なんか聞いたような話だな?
花房:フジロックが始まる前に、掲示板でみんながもう繋がってるんだけれど、お互いの顔を知らないわけ。「さて、どうするか?」って時に、「目印として『赤いリボン』を付けて分かるようにしよう」という話が出たんだよ。
日高:うん。
花房:それを受けて、掲示板を通じて交流を持っていた人たちが赤いリボンを付けてフジロックにやってきた。その話をジョーにしたら、「会ったこともない奴がいきなり繋がれるのか? すげえな!」ってなってな。ほんで、あいつががイギリスに帰って即、iMacを買ったんだよ。だから、あの時みたいなフジロックのことが大好きな人たちの繋がり…それは、はっきりとしたものではないけれど、どこかで「共通の意識」があると思うわけよ。おそらく去年、日高に対してメッセージを綴ってくれた人たちの多くは、なんだろうな…若い世代もいると思うけど、昔から来てる人がかなり多かったんじゃないかな? とも思うんだよ。
ここから、花房と大将、それぞれ別の目線で会話が進んでいくこととなる。その違いは、双方がこれまで担ってきた立場や意識、役割などが大きく関係している。しかしながら、フジロックに対して抱く理想については、ほぼ共通しているというのが興味深い。
【寄せられたメッセージ】

花房:去年の、日高のサイン付きポスターをフジロッカーにプレゼントする際に、「日高に対するメッセージを書いてくれ」という応募条件を出してさ、日高がその全てに目を通してくれて、「応えないと」ってことでね、今回の対談があるわけ。200通くらいだっけ、とにかくすごい量のメッセージがあったんだけどさ。
日高:(メッセージを)読んだよ。はっきり言って俺はびっくりしたよ。なんつうの、「俺のこと、よく知ってんなぁ」って思った。本当にな。あと、いろんな意見もあったよね。そのほとんどがぴったし当たってんだよ、俺にとってはな。フジロックを作った時にさ、もちろんグリーン・ステージとかホワイト・ステージとか、いろんなステージを作ったけれども、それよりもだ、一番自分の中で大きかったというか、気を遣ったのは、「いかにお客さんが楽しめるか?」。やっぱり、そこなんだよ。
このバンド見て、あれ見て、こうして…って、そういう修学旅行みたいな、あらかじめ決められた行程じゃねえんだって。適当に動いて、見たことのないライブや出来事に遭遇して、「ああ面白かった!」って、そうやって幅を広げてくれたらいいなって。例えば、A地点からB地点へ行くとき、いろんなモンがあったらいくらでも楽しめるだろ? 子供を連れていても楽しめるし、川へ入っても楽しめる。音楽以外でも楽しめる雰囲気を創りたかったからね。今回のメッセージにもね、フジロックそのものをさらに楽しめるようなリクエストが書いてあった。いっぱいだよ? 「ここはこうして、あれもやってください!」とかさ。ありがたいよね。
花房:たださ、時代の流れもあるから仕方がないことだとも思うけれど、フジロックがどんどんステージが中心になってる…というか、ステージしかないかもしれない、っていう風になってきてるわけよね。それもわかるんだけどさ、でも昔はさ、「何これ?」みたいなのがあったわけね。一番すごかったのは、日高がさ、「お化け屋敷を作ろう」って言ったじゃん? 「は?」って、みんなが同じ反応をしていたけれど、そういう突拍子もない驚きがあったよね。どこかに行ったらなんか出てくるかもしんない、みたいなさ。そういうのが俺の中では、どんどん無くなってきているような気がするんだよ。
日高:まあ本当にお化け屋敷からなにから、思いついたことは全部やったからね。そのバカさ加減が必要だよな。
花房:そう思う。
日高:とりあえず、ちょっとしたアイデアでいいんだよ。「くだらねーな」と思っても、とにかくやればいいんだ。もらったメッセージにもな、要するに昔、俺らがやってたような、「ああいった(バカな)ものが大好きです!」って書いてあったんだよ。嬉しいよな。でもな、責められることもあるんだよ。「こんなモンに金をかけてどうすんだ?」ってな。
花房:いやあ、でもそういうものがあってこそのフジロックさ。
日高:な、そうだろ? バカなことを考えるのが俺たちの役目であって、もちろん、実際にやるのも俺たちで。どうしてもね、日本人は物事を合理的に進めていくんだよな。「肝心要(かなめ)の部分だけ抑えておけばいいだろう」みたいな…違うって。一番必要なのは「無駄」なんだよ。お客さんから笑われるようなモンがあってはじめて、潤いが生まれると思うんだ。
花房:そうだよな。
日高:そこがやっぱりフェスティバル、お祭りだよ。このフジロックをやる時にはな、日本の…なんつうのかな? こう、夏のお祭りの過ごし方も含めて「もっと考えてみる」というのはあったな。盆踊りだろうが、花火だろうがな。俺らはたまたま「ロックフェスティバル」を謳ってるだけで、実際のところは何でもアリなんだ。
前夜祭の苗場音頭なんて、苗場の人達が夏の盆踊りで踊ってるのを知ってな、「フジロックでもやってくれ」って口説いたんだけれど、問答無用でダメだった。最初ははっきりと、「やらん」って言われたんだ。「だってあなたたちはロックでしょう?」ってな。1年目はダメ、2年目もダメで、それでも俺は口説き続けて、3年目でやっと出てくれることになった。「よし、じゃあ花火大会もやろう!」って花火も打ち上げてな。今では当たり前のように盆踊りも花火も前夜祭の顔になって、木曜の夜(前夜祭当日)から1万人以上来てくれてるもんね。浴衣まで着込んでな。あれがないと始まらないんだよ。
花房:そうなんだよな。その日高の発想というのがどこから出てくるのかわかんないけどさ、めちゃくちゃ面白いわけよ。
日高:だろ? 俺にとっては「無駄こそが命」だよ。それがフジロック。そういうフェスティバルなんだよ。
改めてそれぞれの立ち位置を整理すると、花房は、「フジロックの魅力を伝えていくことで人間同士が繋がること」を重視してきた人物で、方や、大将は創り手としてのスタンスが主で、常に「誰もが手放しで遊ぶことのできる環境づくり」に重きを置いてきた人物だ。
長年フジロックに通っている人の中には、会場内の様々な場所に出没していた大将を見たことがある方もいるだろう。視線が合った時には、開口一番「楽しんでるか?」と訊いてくるのが大将。会話が進んだ先で、「ばかやろう」と笑いを交えて罵られたり…そんな記憶を持つフジロッカーも少なくはないはずだ。
大将が直々に仕込んでいた「くだらねーモン」のうち、強く印象に残っているものをざっと例にあげてみると…まずは、「ところ天国」のすぐそばに流れる川にて、「これ、面白いだろ? 絶対に記事にしろよ。命令だからな?」との前置きで見せてもらったのは、リモコンでヒレが動くサメの模型。まるで子どものようなノリだった。
またある年、「絶対にカフェドパリに来い」と言われて行ってみたらば、スマッシュUKのスタッフがちょんまげのカツラを付けて寸劇をやっていた。翌年となり、「また寸劇をやるんですか?」と聞いたところ、「あれはな…やってみたら準備が大変で、二度とやらない。やりたくない」と苦笑い。基本は強気な大将だけれど、しっかり失敗もしていた、ということも忖度なしに記しておきたい。




