• オウテカ来日公演に寄せて – ピッチブラックのフロアでまだ見ぬ自分と戯れよう

    みんな真っ暗な中で踊ったことってある?23年の『SONICMANIA』でステージが突如黒い幕で覆われて「途中入退場禁止」と掲示されたあの時のことは、なんともフェスらしからぬ奇妙な体験でよく覚えている。だからこそ結構久しぶりとなる単独も楽しみなオウテカの来日公演が、いよいよ来週に迫ってきた。大阪公演はなんと17年振りなんだって。

    昨秋の自身最大規模のヨーロッパ / アメリカのピッチブラック公演はすべてソールドアウトで、今回の東京 / 大阪公演も既に完売。果たして彼らの何がここまで僕らを惹きつけるのか?どういう体験が僕らを待ち受けているのか?ってことを、公演に先立って少し考えてみよう。

    真っ暗な中で踊ること

    まずピッチブラック(完全消灯)ってのはどういう体験なんだろうか?「薄暗さが羞恥心を抑制して空間に没入できる」みたいな話はクラブ界隈ではよく聞く話ではある。その上で薄暗いダンスフロアが演者やオーディエンス同士のコミュニケーションを前提とした空間設計なのに対し、ピッチブラックはその前提すら剥ぎ取る。音、あるいは自分自身。向き合うべきはそれだけ。これって似てるようで全然違う気がする。

    ディスコは誰も差別しない。とはいえ踊っている僕らは「周りの人にどう見られるかな?」みたいな(気遣いともまた違う)自意識や自己顕示欲みたいなものってどこかしらにあるよね。そんなのめっちゃくだらないなあって思いながらも、他者への目線 / 他者からの目線にどうしたって縛られてる。ピッチブラックはそういう束縛から強制的に解放するもので、相互監視的な視線が飛び交うSNS社会においてますますクリティカルだなって思う。

    「時間や社会に囚われず〜」とか言うと某ドラマみたいだけど、つまりはそういうことだろう。シチュエーションに沿ったペルソナや固定観念に縛られがちな僕らの手から、自分自身を解放しようって話です。自分に課している役割や期待から一度降りようって言い換えてもいいかもしれない。

    オウテカ × ピッチブラックという必然

    さて、ピッチブラックは誰でもいいわけではなく、他でもないオウテカがやるから成り立つことだ。オウテカのプレイにはわかりやすくノリやすいビートもなければ、みんなでエモくなる泣きの展開も正直言ってまったくない。変拍子というよりインプロめいた数々のマテリアルは、ポップ・ミュージックのフレームやテクノのセオリーで捉えるなら「よくわからない」になるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

    リズムにせよメロディにせよ、合わせておけば安心なものなどどこにもなくて、すべてが各々の身体感覚や心象の奥底を呼び覚ますフック。そんなサウンドにピッチブラックで誰にも邪魔されず没入できるのだから、これほど贅沢なことはないだろう。そう考えるとピッチブラックも奇抜な飛び道具などではなく、シーンの極北でずっと続けてきた音楽的挑戦の延長線上にあることがすんなり理解できるだろう。

    こんなふうに小難しいことを考えがちなのは、オウテカとかIDMとかレディオヘッドが好きな人間の性分でもある。ただね、「こんなのただのダンス・ミュージックじゃん」ってことも、ちゃんと言っておきたい。ライブ中も某ドラマよろしく脳内を駆け巡る様々な独り言と戯れながら、身体の動きに任せつつパリピみたいな心持ちで楽しめたらいいなって思う。

    「いいフロアは演者とオーディエンスのコミュニケーションでつくられる」ってのは誰もが賛同するところだと思うし、この場合どういうコミュニケーションが生まれるのかな?ってことも気になってくるオウテカのピッチブラック公演。さあさあ、世間に溢れる右へ倣えの安心などどこにもない、真っ暗闇の中へひとり漕ぎ出そうではないか。見渡したところで何も見えない。でもその闇の中に、たぶん見たことのない自分がいる。

    text by 阿部仁知

     

    autechre japan twentytwentysix

    tokyo 2026/2/4 (wed) ZEPP Divercity
    osaka 2026/2/5 (thu) Yogibo META VALLEY
    Thank you, SOLD OUT!!

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