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インタビュー

    『Lj』編集長・菊地崇さんインタビュー〜フェスティバルスピリットを語る

    アウトドアショップやCDショップに今年も並ぶ「夏フェス特集」ブース。そのブースに必ずと言っていいほど添えられている冊子があります。今回はそのフリーペーパー『Lj』の編集長・菊地崇さんにインタビュー。ほぼすべての年に参加したフジロックのこと、フィールドオブヘブン、ジャムバンドについてお話を伺いました。
    フジロックの懐広さを伝える上で欠かせない存在のひとつ、フィールドオブヘブン。ジャムバンドをはじめとするオーガニックな雰囲気がトリコになっているフジロッカーも多いのではないでしょうか。ヘブンは、足を踏み入れてみると分かる通り、取り囲むショップやデコレーション、そしてバンドなどひとつひとつが密接に関わりあって一つの雰囲気を作り上げています。

    今回はその周辺カルチャーにずっと焦点を当てているフリーペーパー『Lj』の菊地さんにインタビューし、彼が見てきたフェスティバルと、そのメンタリティにスポットを当ててみました。

    2005年にハリケーン・カトリーナを受けて「貧困の側面よりカルチャー面からニューオーリンズを伝えたい」としてはじまったLj。つい先日、最新号の27号が出たばかりです。2012年フェスティバル特集、ショップなどで見つけた時にはぜひ!

     

    苗場に感じた「フェスティバル感」

    ーはじめまして。本日はよろしくおねがいします。まず、事前に私が友人から菊地さんのことを聞いたら一言で「ミスターフィールドオブヘブン」とのことでした(笑)。たしかにLjにもヘブンの、ジャムバンド/オーガニック系のカルチャーが色濃く反映されていますね。

    70年代後半の高校時代に音楽にハマって、そこから60〜70年代のロックも聴いたりしていたんだけど、30歳ぐらいにSWITCH(雑誌)の編集からフリーになって、当時机を借りていた会社で野外パーティーRainbow 2000のフリーペーパーを作ることになって。それが1996年で、翌年にパーティーやサイケデリックカルチャーのフリーペーパーBalanceを創刊したんです…そこからになるのかな。それで、そのBalanceに深く関わっていった2000年あたりにフィッシュ(Phish)やモー、スティーブキモックが来日して、できる限りインタビューを載せていったんだよ。

    当時、彼らジャムバンドってメディアにあまり載っていなかったと思う。アーティストの取材って、大体がレコード会社のアレンジがないとメディアはやらないじゃない?でもBalanceは、別にレコード会社に認められた存在でもなかったし、好きなバンドが来るんだったらやっぱり声を残したいと思って、好きなアーティストをどんどん取り上げていたよ。

    ーそもそも、ジャムバンド系、オーガニック系音楽シーンって今と比べてどういった状況だったのでしょうか?フィールドオブヘブン(以下ヘブン)がきっかけで”ヘブン系”のアーティストを知っていった私は、やっぱり99年のPhishがきっかけでシーンが広がったのかな、なんて思っているのですが。

    99年より前にOrganic GrooveとかDEAD HEADS FESTIVALっていうイベントが既にあったね。ヘブンがきっかけというより、フィッシュというバンドからシーンが広がったっていうのならあると思う。でも当時の方が規模は大きかったかなあ。大きかったというよりも熱かった。今年7年ぶりに来るスティーブキモックも当時は毎年のように来てたからね、まあいつ行ってもフロアは同じ顔ぶれなんだけど(笑)。

    ー菊地さんとフジロックの関わりはいつからでしょうか。はじめての時はインパクトがありましたか?

    行けなかったのは2001年だけでそれ以外すべて参加しているね。インパクトはあった!苗場最初の年、99年は湯沢の方からバスで行ったんだけど、山を超えた時に道からグリーンステージが見えた時は「こんなところでこんなステージが!」って感動したね。その前の97~98年は正直あまり”フェス感”みたいなものは分からず、どちらかといえばレインボウとか周りのイベントの方にそれに近かったんだけど、フジも99年からは感じるようになったね。

    ちなみに、95年にグレイトフルデッドが活動を休止したんだけど、日本のデッドヘッズはそれ以前からパーティーを裏方で支える人が多かった。そんな人たちの数多く参加したのがフジロック97年と96年にはじまったRainbow 2000で、その人達はそこからフジロックのヘブンやアヴァロンで舞台監督とか音響をやっているっていう。だから今でもフジロックやパーティーに顔を出すと、昔からの仲間や先輩が結構ポイントポイントにいる、ってのは結構ある(笑)。そういうところで、フェス感ってのが醸成されているのかもしれない。

    1999年、フィッシュファンの楽しみ方

    ー99年は初苗場そして初ヘブン。Phishは3日間トリを務めるという、すごい年でしたね。僕はその年ホワイトより奥に行ってないんですけど、行く前に読んだ雑誌で「バンドと一緒にファンが来日してくる!」なんて書いてあってぎょっとしたのを覚えています。

    Phish、全日程は見られなかったんだよね(笑)。ファンは来てた来てた、たっくさん来てたよ!楽しかった(笑)

    その時のヘブンは、95年の時に俺が見たデッドの会場にやっぱり近かった。アメリカの人たち、コアなファンは楽しむことに没頭するじゃん。ファンが自分でグロースティック(ルミカ)持ってきたり、着ぐるみで来たりみたいな。彼ら自身がステッカー配ったり、っていう光景が当たり前のように行われていた。日本には未だ少ないけど、あの年のヘブンにはそれがあったね。

    ー参加者自身が、ってすごいですね

    そう(笑)あのへん歩いていたらさ、1メートルぐらい底上げした靴で歩いている妖精ちゃんがいたね(笑)そんな靴でホワイトからアバロンのあたりまで坂を移動したりとかしていたんだよ。「うっわーすっげー!」って、当時は思ったよね。あの頃って、みんな服装も今みたいなカラフルな感じじゃないのに、その人ごみの中に3メートルぐらいの人がいるっていう…。楽しむために来る人たちってこうだよなあ、って感じがしたな。

    ライヴ自体もそう。楽しむだけじゃなくて、前の方で見る人はもちろんだけど、プラプラ歩きながら色んな人に話しかけてる人もいる、テーパーの人もいる。色んな人がいるんだけど、「勝手しないで!」なんて言わずに、お互いがお互いを認めているんだよね。それがよかったなあ。

    フェスティバル参加者の変化

    ーそんなマジカルのあった苗場、こちらでの開催はもう今年で14年目になります。そんなフジロックの中で変化を感じたことはありますか?

    お客さんがカラフルになったよね。レインジャケットなんかもそう、山の天気に対応するようになったというか、自分で自分を守るっていう意識が根付いた感じはする。あとは、以前よりバンド中心で見なくなった感じが強いかな。フレキシブルで、フェスらしい方向にいった気がする。いいものがあれば足を止めるみたいなね。個人的には、ライヴは最初から最後まで見たほうがいいなと思ってるんだけど。

    ーあとは、今やフジロックにとどまらずさまざまな数のフェスが行われるようになりましたね。

    いろんな音楽に触れる機会が増えた、っていうのはすごくいいね。で、そこから先に続けば、もっといいんだろうなって思っています。

    今って、会場に行ってライヴ見てキャンプして「フェス楽しかったね」…っていうところで終わってしまう。楽しいこと、面白いことの最終目的を、フェスティバルにしてほしくないなと。自分の好きなもの、バンドとか自然とかいろいろあると思うんですが、例えば「フジで見たこのバンドの出身国を旅してみようかな」って考えたりするとか。フェスはあくまでそういう次の一歩への入り口であってほしいし、参加する人も次の体験としてフェスを活かしてほしいな。

    アメリカに20代の時に初めて行ったんだけど、地図もカーナビもない、そもそもレンタカーってどうすんのとかバタバタしていて、実際行ってみたら想定外の連続で(笑)。でもやっぱりそういうのが楽しかったんだよね。

    ーそのドタバタが、やっぱり楽しいですよね。

    そう。ちなみにジャムバンドのライブっていうのも同じで、想定外のものがあるから俺は好きなんだよ。インプロビゼーション、その場で感じるものを空気に、形にしているから予定調和にならない。思いもつかないものがライヴの場で得られるから楽しいなって思うんだよね。

    これからどうなるフェス文化

    そういえばボナルーに行ったときに思ったんだけど、最近はちゃんとフェスティバルの仕組みもシステマティックになってるんだよ、便所は冷房効いてるし。いいんだけど快適すぎるって言うかね(笑)。1999年に行ったビッグサイプレスって言うフィッシュのフェスの時は大渋滞で、まる1日くらい入れなかったんだよね。ボナルーも、開催当初は同じような状況だったって。会場に入るまで20時間ハイウェイで待った、なんて話はごく普通にされていたから。

    ーそういえば日本のフェスも、どんどん便利になっていってる気がします。

    まあ基本的にはトラブルなんてないほうがいいんだけど(笑)便利にはなっていくんだろうね。…ああでも思い出に残るのはやっぱりトラブルもあった方がいいのかな。

    ーこれからもフェスは発展継続していく中で、僕はそういって続いていくフェスがいつかルーチン化して、特別なイベント感が薄れていくのかも…ということを不安に思っていたりするんですが、菊地さんはどう思いますか?

    俺は逆に、もうちょっと一般的になればいいのになって思う。日本は「音楽のフェス」だけどアメリカだと「お祭り」っていう感じで、文化として浸透している気がするんだよ。それこそ隅田川の花火を見るみたいな。

    だってフジロックが13万5千人だけど花火大会だったらもっと人くるし、今はわからないけどプロ野球だったらそれぐらいのキャパが何試合、毎週開催されるわけじゃない。それに比べたらまだまだだと思う。もっと定着したほうが面白いんじゃないかな。若い人たちからじいちゃんばあちゃんまで幅広く楽しめるような存在になっていくってことを考えたら、日本にフェスがたくさんあって、それがずっと続いていくのはいいことだと思うな。

    って考えると日本にはまだバンドが少ないっていう哀しさがあるかな。例えばマヌチャオやゴーゴルボデーロのような、音楽知らない人でも絶対に楽しめるお祭りバンド、おはやしバンドがまだまだ少ないような気がするな。日本だと渋さとか…ああ渋さ知らズみたいなあ(笑)!

    ジャムの楽しみ方、ステージの味わい方

    ーではそんな流れでフジロックのお話ですが、今年は何が見たいですか?

    今年はやっぱりスティーブ・キモックが一番見たいな。あとまだ見たことないからトゥーツ&メイタルズも観たい。チェスダカもフェスらしい盛り上がりどころのあるバンドだろうからこれもだなあ。あとはショーンクティ…ああ、土曜日のグリーンステージはスペシャルアザースも出るし、この2日目前半のグリーンはちょっと特別な流れだね、今までと違う傾向だし。

    2日目はほかにもパレスオブワンダーの最初、ジプシーフォニックディスコ。このギャラクティックのメンバーのDJはおもしろいよ。バルカンビートとダンスミュージックがごった煮で…ああでもキモックとかぶるんだよなあ(笑)

    あとは3日目レッドマーキーのトリのシンズ。なんか最近すごくいいんだよね。これからすごく化けそうな、成長しそうな感じがあるよね。で、それを見ておいて「あの時シンズ見たよ」って言うのいいじゃない(笑)?
    ーシンズ!この間ボナルーのYouTube中継か何かを観たんですが以前と比べてだいぶ違う深みが出てきたように感じました。観たいですねー。

    しかしシンズの裏はレディオヘッド、渋さ知らズかー…。迷うなあ(笑)。さっきも話したけど、バンドは最初から最後まで見たほうがいいと俺は思っているんだよ。バンドってステージの中である程度ストーリーを持っていて、それをないがしろにして評価するのはいかん、って。

    ージャムバンドは特にその傾向があるって聞きますね。曲単位じゃなくて、ステージ全体をひとつのまとまりとして緩急がある、みたいな。

    そう。静かなときも激しい時も、いろんな時間ができるんだけど、その時その時の瞬間も含めたひとつの流れをバンドと参加者とで創りあげていくんだよね。だから、途中で抜けるっていうのは失礼だって思う気持ちが強いな。

    ーそれでは最後に、菊地さんの好きなジャムバンドについて、オススメの入門方法を教えてください。

    やっぱり音源よりもライヴが一番。そしてそれを回数見るのがいいと思う。ジャムバンド/サイケデリックって一度として同じものをやるっていうことがないからね。ライヴ音源…たとえばフィッシュ、ストリングチーズインシデント、スティーブキモックとか聴いてみるのもいいと思うけど、音だけだと見えてくるものも違うから足を運ぶといいね。

    「ジャムバンド」っていうと、ここ10年くらいで出てきたみたいなイメージだけど、60~70年代のロックはずっとインプロヴィゼーション、ジャムをやってたわけで。そういうミュージシャンシップの根源的なものが体現されている、その日のそこでしか体感できないものっていうのがジャムなんだよ。

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    以上でインタビューは終了です。

    記事中でもフィーチャーされていたフィッシュですが、菊地さんは彼らについて『「自由」って何だ-―ジャムバンドPHISHが伝えた「僕たちの自由」』という著書も出版しておりますので、次の来日、ヘブン出演を心待ちにしている皆さまはぜひこちらもチェックしてみてください。

    フリーペーパー『Lj』は全国で配布中。こちらのショップリストをご確認の上、まだの方はぜひ!

    ライター:ryoji
    写真:北村勇祐、fujirockers.org